裏磐梯には、「諸橋近代美術館」という、(たぶん)個人蔵の美術館がある。
何年か前に、裏磐梯の五色沼を訪れたとき、その庭の美しさに惹かれて立ち寄った。
大きな門をくぐり、小さな川が流れる橋を渡って建物に近づいていくのだけど、まるで近代風の洋館が森の中の湖畔にたたずんでいるような趣なのだ。
幸いなのか、私はお天気の良い日にしか行ったことがないのだけれど、雨の中、または夕暮れや夜も、その情景は美しいだろうと思う。
が。中は違う。
いや、違うと言い切るには、私が勉強不足なだけかもしれないけど。
この美術館を開いたという諸橋さんは、ダリに惹かれて、集められるだけ集めたらしい。
美術館の中は、ダリでいっぱいだ。(もちろん、所狭しと置かれているわけではない。でもその作品の1つ1つの存在感が大きすぎて、いっぱいというイメージなのです)
サルバドール・ダリという芸術家さん、きっとこの絵だけは見たことがあると思う。
砂漠の中の枯れ木に、溶けたような時計がかかっている、あの絵。
美術の教科書で見た、あの夢の中のような不思議な絵を描いた、あの画家さんです。
数年前、あの絵が好きで「あ!あの絵を描いた人なら見てみたい!」と物見遊山で行ったのがまずかった。
私は絵心も物を作り出すような才能もが全くないので、なんと表現していいのかわからないけど・・・とにかく、自分の中の常識というか・・・芯のような部分が、揺すぶられるような衝撃だった。
最初のうちは、彫刻も絵画も直視することができなかった。
その日の夜は、美術館の隣の、これまた美しいホテルに泊まったのだけれど、夢にまで出た。
足が細長くて、間接がいくつもある象・・・のような動物。
もう・・・私の中でありえない世界だったのだ。
・・・最初から少しは勉強していけば良かったんだろうけど・・・あの衝撃は忘れられない。
なんて思い出があったから、今回の旅行で諸橋近代美術館に行くのには、ちょっと抵抗があった・・・。
でもぜひみんなに見てもらいたいという気持ちは強かったし、あの庭にもう一度行ってみたかったので、黙って(?いやちょっとだけ抵抗して)ついていった。
さすがに2回目になると、ちょっと冷静。
この人は、スプーンとひきだしが好きなんだよね・・・なんて、的はずれなことを思いながら、2時間くらいで回ったのだろうか。
芸術家さんは、みんな苦学生。というおかしな偏見あるんだけど、ダリは裕福な家庭に生まれて、ご家族の理解も厚く、上流社会で暮らしてきた人らしい。
そして奥さんを深く愛していた。
奥さんの絵を何枚も描いているんだけど、いつも美しく幸せそうに笑っている。
きっとダリから、奥さんはこんな風に見えたのだろうな・・・と思った。
今回、もう一度見たいと思っていた絵がなかった。
その絵は不思議な構図で、近くで見ると奥さんのガラが窓辺から外を見ている絵なんだけど、遠く離れてみると、ガラがぼやけてきて、絵全体がリンカーンの顔になるというもの。
どうやらあの絵は、美術館の所蔵のものではなかったらしい。
いつかもう一度見ることができるだろうか。
大胆な中に、信じられないほどの緻密さ、繊細さがある。
友人がつぶやいていた。
やっぱり、もう一度は行かなきゃダメかな。
http://www3.ocn.ne.jp/~salvador/
そうだった。
この人は、私なんていなくても大丈夫な人だった。
私はこの人がいなきゃダメな人だけど、この人は違う、一人で勝手に生きていける人。
もう…どっか行っちゃいたい…。
意志の疎通というか…ま、私がイライラしているだけなんだけど。
…私がイライラして、ダンナがグースカ寝てるっていう、この現状が、またイライラ私をさせるのかも。
どうせ眠れないので、近くのコンビニまで脱走してきた。
頭冷やさなきゃね…。
保険料とレンタル料だけで、乗馬体験ができるというので、やってきたのが「クレイン乗馬クラブ」。
郊外にある。とは言っても、仙台中心部から30分くらいかな。
けっこう近い。
こんなに近くに馬が50頭もいるなんて…驚きだ。
私が乗せてもらった馬は「ハピネス」という、15歳のあしげの男の子。
北海道生まれで、もともとは競走馬だったそうだ。
でも思うような成績が出なくて、ここにやってきたらしい。
指導員の方がいうには、とてものんびりとした性格で、「競走馬より、ここが合ってる」。
そっかー。よかったね。
いざ、馬を近くで見ると、とにかくでかい!
そして乗ってみると、想像以上に高さがあって不安定だ。
大人しいというハピネスだけど、寄ってくる虫を嫌がって、止まっていると常にしっぽを振り、足を振る。
体を支えているものは申し訳程度の鞍の背もたれだけなので、頼りない自分の足とたずなを握る手に力が入る。
すると、指導員のお兄さんは「はい、力抜きましょう」と言う。
…ここは、ハピネスとお兄さんを信じるしかない!
ふぅと深呼吸をして、肩の力を抜いて、その申し訳程度の鞍にもたれるように背筋をのばしてみた。
すると、不思議。
体が安定して、楽に歩けるようになった。
なんだ、私が悪かったのか?やればできるじゃん!
高さにも慣れて、すっかり楽しくなってきた頃、「ちょっと走りましょう」と言われた。
なんでもOK!いっちゃってください!
いい気になってみたところ、ハピネスは急に上下に激しく揺れながら走り出した。
いたた!お尻が痛いです、先生!
「はい、痛いですね」
まじ痛いです!
「では2拍子のリズムで、お尻をあげてみましょう」
あー、なんか見たことある、そのお尻あげながら走ってるとこ。
馬の上下に合わせてお尻あげるんだよね…こんな感じかな?
「それじゃ跳ねてるだけですねー」
やっぱり。
「跳ねた瞬間に、ぐっと力を入れてみましょう」
1、2のリズムで、跳ねたところにグッ!お尻が重いから、なかなかあがらないよー。
「いやー上手ですよ!初めてでこれだけできれば十分です」
…またまたうまいな、お兄さん。
なんて思いながらも、すっかりいい気になってしまった。
一時間も乗らなかったと思うのだけど、気が付くとすごい汗。
あっという間!とにかく楽しかった。
ハピネスの写真が撮れなかったのが、とても残念。
「ハピネス」なんて、いい名前だね。
とっても幸せな時間でした。
私は本当に家とは絶縁状態で、おじぃちゃんが亡くなったことも実家から連絡が無かった。
もちろん、お葬式にも行っていない。
でも、やっぱり世の中うまくできてるね。じぃちゃんちの近所に同じ課の人が住んでいて、「これ、おまえのうちじゃないか?」と教えてくれた。
血の気が下がる、というのを、初めて体験した。
じぃちゃんは毎朝かかさず、広瀬川のほとりを1時間ほど散歩していた。
山登りが趣味で、孫が小さい頃には、ゴールデンウィークはみんなで泉ヶ岳登山。
下りてきて、おこずかいくれるのが、すごく楽しみだった。
初めて灯篭流しに参加したときは、「願い事をお書きください」欄に、もうひたすら、ごめんなさいじぃちゃんごめん、としか書けなかった。
そのあとの花火大会でも、仲間がいるのに、ぼろぼろ涙がこぼれて心配させた。
次の年にも、やっぱり、ごめんなさい、と書いた。
花火大会の前に一人で泣いて、仲間と合流した。
去年は、ダンナと一緒だった。じぃちゃん、結婚して幸せだよ、と書いた。
今年は、おばあちゃんの元気な顔を見ることができてよかった。見守っていてください。と書いた。
灯篭流しなんて、自己満足でしかないと思う。
でも、私にとっては、おじぃちゃんとつながっている、大切な行事だ。
なんなんだ?
ついさっき、四国でダムの貯水率が今夜にも0%なるという異常事態だと全国ニュースでやっていたのに、ローカルの仙台放送では県内で大雨警報だという。
2で割ればちょうどいいのだろうけど・・・そんなわけにはいかない。
どうしちゃったんだろう・・・。
いや、吠えないです。
先日の福島裏磐梯旅行の夜(湖なのにカヌーに乗って、ずぶぬれになって吠えたかった日の夜)、ホタル観察会があった。
正直、カヌー漕ぎ過ぎでくたくただったし、もうお風呂入ってゴハン食べて寝たかったんだけど、企画した私の高校時代のセンパイがタフな人なので、「もう今日は寝たいデス」なんて口を挟む猶予もなく、「7時半にはペンション出るから」と夕食中に宣言されてしまった。(昔はしょっちゅう熱出して倒れてたくせに・・・いつの間に私より丈夫になったんですか?)。
近くの国民休暇村の入り口に集合。
車で5分も走らなかったと思う。
この国民休暇村、小学校のとき、修学旅行で泊まっているはずなんだけど、記憶が・・・。
と思っていたら、新築されていたらしい。
どおりでぴかぴかしていると思ったよ。
最初に紙芝居でホタルについてのお勉強。
前の方にいた男の子が、虫博士らしくて、「図鑑に載ってた!」と言いながら紙芝居を先々に言い当ててしまって、お姉さんを困らせていた。
でもいいねぇ、虫博士。
今時の子供は図鑑なんか読まないんじゃ・・・なんて思ってたけど、そうでもないらしい。
その後、夜の散歩へレッツゴー!
もうホタルはおしまいの時期らしくて、この観察会も今年は16日で終わりということ。
私には2匹くらいしか見つけられなかった。
ふんわり闇に浮かぶホタルの光は、何だか分からないけど気分を高揚させるね。
「見つけた!!!」みたいな。
土手に飛んでいるホタルしか見たことないから、つい下向いて探しちゃうんだけど、木にとまっていたりもする。
「ホタルって木にとまるのかぁ」なんてヘンなところで感心した。
50分ほど歩いて帰ってくると、そのまま星の観察会が始まった。
3台の望遠鏡が、月の方を向いて待っていた。
この写真は、ケータイのカメラを望遠鏡のレンズに接眼させて撮ったもの。
45倍だったかな?
ケータイのカメラでこのくらい撮れたら、ま、上出来でしょう。
月を望遠鏡で見る機会は実は結構あって、天気の良い日、仕事帰りに勾当台公園に行くとたまに仙台天文台の人が来ていて見せてくれる。
望遠鏡から月を覗くと、まぶしくて目を開けていられないくらい輝いている。
・・・あそこに旅行に行ける時代が、来たんだねぇ。
行ってみたいなぁ・・・でも110億は、ムリだなぁ。
夏の大三角形もみせてもらった。
その日は月明かりがまぶしすぎて、見ることが出来なかったのだけど、白鳥のしっぽは本当は双子星なんだそうだ。
一個に見えるけど、実は寄り添った二つの星なんだそうだ。
なるほどねぇ。機会があったらぜひ見てみたい。
そのあと、センパイが持ってきていた花火をして(ほんとに準備がいい人なのだ)、興奮さめやらぬまま、宿にどたばた帰り、お風呂に入って寝た。
盛りだくさんな一日だった。
白と黒の、パンダみたいなウサギ。
半ば飛び出すように家を出て、家族なんていなかった私の、唯一の家族だった。
正面から見ると「ヒラメに似ている・・・ような気がする」と友達と笑って、ヒラメ顔だったといわれている、新撰組の沖田総司からとって惣次郎と名前をつけた。
ほんとに沖田のように、ウサギのくせに短気で機嫌の悪いときは手がつけられないほどに暴れた。
賢いウサギで、かごに入れて出かけても、必ず外に出ている。
不思議に思って、そっとドアの隙間から覗いていたら、しばらくすると器用に口で鍵をはずし、脱走。
私が「こらー!!」と入っていくと、心底びっくりしたらしく、まさしく脱兎のごとく家具のすきまに飛び込んでいった。
ある夏の日、惣次は遊んでいて、開け放してあった押入れの上に飛び上がり、布団の上に避難してあったジグソーパズルとともに落ちてきた。
ばきっと、大きな音がして、私は目が覚めた。
見ると、惣次郎は前足を突っ張るようにして、体を引きずっている。
元気に飛び跳ねていた後ろ足は、だらんとして、動かなかった。
私は蒼くなって、すぐに病院に連れて行った。
惣次郎は押入れの上から腰から落ちて・・・腰骨の神経が切れていた。
もう治らないから、安楽死させますか?と言われた。
もし、自分で排便できないなら、そうするしかありません。と言われた。
私には、どうしても、できなかった。
それからはもう大変だった。
なんとか自分で排便することはできたものの、私がきれいに拭いてあげなければならない。
グルーミングもできないから、定期的にくしでといてやる。
気が荒い惣次郎は、動かない体にイライラするのか、ますます暴れるようになった。
手を出すと、暴れて噛み付く。
私もイライラして、怒る。
苦い薬は絶対飲まない。
私は蜂蜜やサツマイモに混ぜたりして、ごまかしながら食べさせた。
次の年の1月だった。
冬になると寒いので、湯たんぽをタオルでくるみ、かごに入れてやっていた。
いつもならすぐかごに入りたがるのに、その日はいつまでも私になでられていた。
それどころか、こっちに身を摺り寄せてくる。
どうしたのかと、思った。
その次の日の明け方、惣次郎は、逝ってしまった。
私はずっと見ていた。
涙が止まらなかった。
あのとき、押入れを閉めておけばよかった。
パズルを降ろしておけばよかった。
後悔しかなかった。
それからしばらく、世界は真っ白だった。
惣次郎がいなくなったのに、私は会社に行かなければならなかった。
街が動いているのが、不思議でならなかった。
惣次郎がいなくなったのに、私は生きていた。
惣次郎と一緒にいた時間は、わずか1年。
この痛みは、一生続く。
でも流れる時間ほど偉大なものはなくて、そうちゃんといた時間と同じくらいの時間が流れるころ、私はようやく落ち着いてきた。
5年くらい経つと、思い出せるようになってきた。
そして、今年で10年。
思い出して、久しぶりにボロボロ涙を流して泣いた。
そうちゃん、走れない足で生きるのは辛かった?
私のエゴだけで生かしてしまったのは、間違いだった?
生まれたばっかりで小さな箱に入ってうちにやってきて、決して幸せだったとはいえなかった。
そうちゃん、今、元気に走っている?
私はそれが知りたい。
思わぬアクシデントで、思わぬ時間をくってしまったけれど、無事目的地へ到着!
連れてきてくれた友人に言われるがまま、桧原湖畔に立っていると、向こう岸から、なんとモーターボート(漁船のようだったが)がお迎えにきた。
美しい磐梯山を背にボートに乗ること3分。
対岸に木の桟橋からロープにぶら下がり、海に飛び込む子供たちの姿が見えてきた。
ボロい小屋、イカダのような舟、必死に足を掻いて泳ぐ一羽のあひる、まるでトムソーヤ島のようだ(陸だけど)!
そこでバーベキューをして、湖なんだけどカヌーをこいで、なぜか頭からびしょぬれになり(後ろに乗ってた友達がオールで水をかける…あとから冷たい)、あひるを追いかけて1日遊んだ。
地震が来てから、なぜか雨雲がすっかり晴れて、磐梯山も久しぶりに美しく見えたということ。
地震はイヤだけど…いいとき来たなぁ!
すっごく楽しかった。
が。
行きの高速に乗ってるときに、仙台のダンナから「地震、大丈夫!?」というメールが。
「地震!?気づかなかったねー」なんつって、のんきに「一応、ラジオつけてみる?」なんて言っていたら…なんと、震度6弱。
慌てて、うちや両親に電話してみるものの、もはやケータイなんてつながるわけもなく…。
もう、帰りたかった…。
とりあえず、一時間ほどすると、ケータイも落ち着いて、ダンナや職場にも連絡をつけることができて、一安心。
そのまま、目的地へ向かった。
この地震はずっと恐れていた宮城県沖地震だったのかなぁ。
宮城県沖地震は30~40年周期で訪れる大地震。
前回の地震のとき、私はまだ一歳になったばかりで、覚えていない。
そして今回も体験しないまま…これはラッキーなのだろうか?
今はまだニュースも見ていないけど、昨日の時点では負傷者が30~40人くらい、死者0人だった。
3年ほど前の大きな地震でも、古い家屋が倒壊するような被害は多発したけど、死者はなし。
宮城県沖地震は「いつ起きてもおかしくない」という意識が、だれもの胸の中にあって、それが用心に結びついたような気がする。
その意識が被害を最小限にくい止めたんじゃないかな。
そして、県や地域の長年の呼びかけや耐震診断なんかの地道ながんばりが、実を結んだんじゃないのかなと、思った。
そのわりに、新しくできたばかりの松森のプールの天井落ちたりしてるけど…。
なぜ!?
今ちょうど楽しい旅行からの帰り道。
…うちの中がどうなっているのか、ちょっぴり不安…。
明日は朝が早いから、もう寝なきゃ…と思うけど、寝付かれない。
ダンナの実家に帰るのは、ご挨拶の時から数えると、もう6回目か…いつの間にかずいぶん行ったんだなぁ。
お母さんお父さんを始め、弟さんや弟さんのお嫁さん、親戚、みんなほんとにすごーくいい人ばかりで、正直びっくりした。
それと同時に、納得もした。
ダンナはこういう中でみなさんに愛されて育ってきたんだ。
嬉しくて、ありがたかった。
でも私は凹むことばっかり。
弟さんのお嫁さんは天然に明るくて、とても気が利いて、かわいい。
比べても仕方ない、とは思ってはいるものの…てか、こんなふうに思ったの、今回が初めてだ。
私はほんと、ダメダメ。
ダンナにも申し訳ない。
「こんな嫁さんもらって、あの子もかわいそうに」って、みんないい人だから、言わないし、思わないかもしれないけど、そう思われても仕方ないことが、情けなくて申し訳ない。
…なにこれ?
おばさんに聞いたんだけど、聞き取りができず…。
「アワ」とかなんとか言っていたような気がするけど…それは「粟」のこと?
粟の畑なんて見たことないから、わからないなぁ。
着いてすぐ飲まされた、茶色のカプセルが効いたのかな(なんだかわからないけど「これ飲めば風邪なんかすぐ治る」と言われた)。
夜は寝れなかったから、眠いけど…。
隣の部屋(弟さんご夫婦)はもう起きて、一階に下がっている様子…。
ヤバい。
昨夜、微熱が出た。
熱出るなんて、久しぶり。
起きたら下がってたけど、まだなんとなくダルくて、また夜あたり上がるのかなー。
これから、秋田に行くのに…ヤバい。
しばらくはブログはケータイから・・・。
でも、ずっとダンナと一緒だから、なかなか書けないかも。
最近、珍しくも皆勤賞だったから(それこそ、ケータイ壊すまでは)、ちょっと惜しい気もするけど・・・。
でも、休みの時くらい、PCから離れてたほうがいいかも。
あんまり忙しくて、エクセルやアクセスいじってばっかりいると、もう本気で仕事やめたくなることもある。
偏頭痛がして、夜眠れないことも。
事務職の宿命なのかな。