こぶた的思考―カラスのあしあと―

今うわさの「大殺界」。でも、それってどういうものなの?
これからのながーい4年間を記録してみたいと思います!

惣次郎をおもう

2005年08月18日 | Weblog
昔、ウサギを飼っていた。
白と黒の、パンダみたいなウサギ。
半ば飛び出すように家を出て、家族なんていなかった私の、唯一の家族だった。
正面から見ると「ヒラメに似ている・・・ような気がする」と友達と笑って、ヒラメ顔だったといわれている、新撰組の沖田総司からとって惣次郎と名前をつけた。
ほんとに沖田のように、ウサギのくせに短気で機嫌の悪いときは手がつけられないほどに暴れた。
賢いウサギで、かごに入れて出かけても、必ず外に出ている。
不思議に思って、そっとドアの隙間から覗いていたら、しばらくすると器用に口で鍵をはずし、脱走。
私が「こらー!!」と入っていくと、心底びっくりしたらしく、まさしく脱兎のごとく家具のすきまに飛び込んでいった。

ある夏の日、惣次は遊んでいて、開け放してあった押入れの上に飛び上がり、布団の上に避難してあったジグソーパズルとともに落ちてきた。
ばきっと、大きな音がして、私は目が覚めた。
見ると、惣次郎は前足を突っ張るようにして、体を引きずっている。
元気に飛び跳ねていた後ろ足は、だらんとして、動かなかった。
私は蒼くなって、すぐに病院に連れて行った。
惣次郎は押入れの上から腰から落ちて・・・腰骨の神経が切れていた。
もう治らないから、安楽死させますか?と言われた。
もし、自分で排便できないなら、そうするしかありません。と言われた。
私には、どうしても、できなかった。

それからはもう大変だった。
なんとか自分で排便することはできたものの、私がきれいに拭いてあげなければならない。
グルーミングもできないから、定期的にくしでといてやる。
気が荒い惣次郎は、動かない体にイライラするのか、ますます暴れるようになった。
手を出すと、暴れて噛み付く。
私もイライラして、怒る。
苦い薬は絶対飲まない。
私は蜂蜜やサツマイモに混ぜたりして、ごまかしながら食べさせた。

次の年の1月だった。
冬になると寒いので、湯たんぽをタオルでくるみ、かごに入れてやっていた。
いつもならすぐかごに入りたがるのに、その日はいつまでも私になでられていた。
それどころか、こっちに身を摺り寄せてくる。
どうしたのかと、思った。
その次の日の明け方、惣次郎は、逝ってしまった。
私はずっと見ていた。
涙が止まらなかった。
あのとき、押入れを閉めておけばよかった。
パズルを降ろしておけばよかった。
後悔しかなかった。

それからしばらく、世界は真っ白だった。
惣次郎がいなくなったのに、私は会社に行かなければならなかった。
街が動いているのが、不思議でならなかった。
惣次郎がいなくなったのに、私は生きていた。
惣次郎と一緒にいた時間は、わずか1年。
この痛みは、一生続く。

でも流れる時間ほど偉大なものはなくて、そうちゃんといた時間と同じくらいの時間が流れるころ、私はようやく落ち着いてきた。
5年くらい経つと、思い出せるようになってきた。
そして、今年で10年。
思い出して、久しぶりにボロボロ涙を流して泣いた。

そうちゃん、走れない足で生きるのは辛かった?
私のエゴだけで生かしてしまったのは、間違いだった?
生まれたばっかりで小さな箱に入ってうちにやってきて、決して幸せだったとはいえなかった。
そうちゃん、今、元気に走っている?
私はそれが知りたい。