あたいのこばなし。

日々の様々な思いを発散すべく、書きつづり。

前途多難。

2008年07月02日 00時48分33秒 | 今日の小話。
昔から浮き沈みが激しくて沈んでしまうとなかなか浮いてこれなかった私。
最近では結構ポジティブシンキングが働いて底までどん底に落ちる事はなくなった。

ただおじちゃんが無くなって葬式の前日は後悔の念に駆られて
涙が止まらず夜中声を押し殺してないた。

苦しくて誰かに聞いてもらいたくて
お父さんとお母さんの部屋に泣きに行こうかと思ったけど
勇気が無く、やっぱり声を殺して涙が乾くのを待つしかなかった。

後悔。

私はおじちゃんが生きているときから
このままおじちゃんが亡くなったら後悔する事は分かっていた。

家にもほとんど帰らず、帰ってもおじちゃんと会話するどころか
家族の誰一人と会話をする事がなかった。

話してもどちらもなぜか怒り口調で口を開くだけで気持ちが苛々した。

だからおじちゃんが亡くなって今考えると
おじちゃんと最後に会話したのがいつなのか、
何を話したのかなんて、てんで思い出せない。

病気して辛いのに、何もしてあげられなかった。
優しい言葉も励ましの言葉も。

後悔する事は分かっていたのに行動に移せなかったのは
後悔したときの気持ちがこんなに辛くて悔しいって知らなかったから。

だからおじちゃんの分までおばちゃんを大切にしたいと思う。
いくら線香をおじちゃんにあげてもごめんねを言ってもありがとうを言っても
伝える事はできないし、一生会えない。

こんな後悔をもう二度としたくないと思った。

そんなこんなであれから実家に帰ってきている。
家族とも少しずつ会話するようになったし
怒らなくなった。笑うようになった。
今まで約8年間は実家が嫌いで嫌いでしかたなかった。
でも本当は皆優しくて思いやりのある家族だったんだ。

私はこれを感じることができなくて、
これを変わりに与えててくれたのがだいちゃんなんだなぁって思った。

でも、コレを取り戻したら
私の心の安らぎの大半を占めていただいちゃんが少なくなり、
代わりに家族が大半を占めるようになったように思う。

そうすると少しだいちゃんから自立したように思うし、
だいちゃんが特別な感じがしないような気がしてきた。

でも昨日誕生日を祝ってもらってだいちゃんの大きな愛を感じたしb
失っては生きていけないものなんじゃないかなと思う。

だいちゃんは優しい。
友達も皆元気をくれるし力をくれる。
おばちゃんも私の幸せを願ってる。
家族だってホントはお互いの事気にかけて想っていてくれてる。

こんな恵まれた環境だから。

打たれ弱い。

私は人にキライって直接言われた事がないし
言われないように行動しようって心がけてると思う。

でも私はそのつもりでも、仕事上、
お客様の捕らえ方は様々で、嫌われる事もあるようだ。

クレーム。

参る。滅入る。

あー、仕事辞めて専業主婦に永久就職して子供産んで
養ってもらいたい。って思う時は女子だったら誰でも一回はあるはず。

でもそうなったら今度はめちゃめちゃ働きたくなるんだろうなぁ。

無い物ねだり。

仕事では私だけじゃなくて皆何かしらツライ思いをしているはずだから
そんなに落ち込む事なく、また楽しく活動すればいい。

って、自分で自分を励ましてみる。

26歳。と一日目、早くも悔し涙で幕開けをしたタケダであった。

前途多難である。



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