あたいのこばなし。

日々の様々な思いを発散すべく、書きつづり。

2008-06-19 09:34:56

2008年06月19日 09時34分56秒 | 今日の小話。
私の地域では、『おじぃちゃん』の事を『おじちゃん』と呼びます。
『おばぁちゃん』は『おばちゃん』。

6月17日午後11時40分。
私のおじちゃんが亡くなりました。
83歳でした。

生まれたときから一緒に住んでいて
大好きなおじちゃんでした。

5年前から肺気腫という病気を煩い
酸素吸入機をずっとつけていました。

おばちゃんはここ5年間看病が少し大変だったようですが、
『おばちゃんはおじちゃんがいい人だったから幸せだった』と何度も言っていました。

私が習字や字を書くのが好きなのはおじちゃんの影響。
暇さえあれば広告の裏面に筆で字書きをしていました。
一緒になっておじちゃんの字をお手本に書いてました。

わたしのおじちゃん、字、超達筆です。
眺めているだけで惚れ惚れしちゃいます。

しかし、どれもこれも広告の裏に落書きのようにかいていたので
あまり残っていません。

お正月は一緒に書初めをしたり。

昨日自分の部屋にたまたま残っていたおじちゃんの字を見つけました。
『成せば成る 成さぬは人の~~』

実はこれも何かの封筒の裏に書いてあったもので
今日見たらなくなってました。もしかして私整理しながら捨てちゃった??

『成さぬは~~』この続きなんだっけ??

きっとおじちゃんメッセージだと思います。

小学校の頃、夏休みになると毎日のように一万人プールに行ってました。
その頃プールの監視員だったおじちゃんに、
水深3メートルの飛び込みプールに華麗に飛び込む姿を見せたくて
見せたくて通いました。
おじちゃんが飛び込みプールの監視の時間を見計らってわざわざ行き
前転して飛び込んだり、派手に披露しました。

そして、おじちゃんは仲間の監視員に得意げにオレの孫だと自慢するのです。そして家に帰ると褒めてくれました。
『周りの監視員が行(こう)ちゃんげの孫はたいしたもんだ~』って言ってたって。それがとても嬉しかったのです。

こうして小さい頃からヤンチャ坊主の私は
箪笥と箪笥の間を手と足を水平に開いてよじ登ってよくおじちゃんに見せました。

するとおじちゃんはタバコを吸いながら大笑いしました。

コードレスホンが初めて家に来た時は
『線が繋がってないんじゃ、電話つながんめ~』と言いながら
適当な電話番号を押して
『あ、南さんのお宅ですか?あ、違いますね。間違えました~。』
と言って何件かいたずら電話をしたのち、
『線が無くても繋がんだわな~』と言ってようやく納得しました。

今日、近所の方が集まって、うどんやら煮物やらだんごやらと
ご馳走を作ってくれました。

『とにかく、人を笑わすのが上手なおじちゃんだったな~。』
と皆言ってました。

話好きなおじちゃんでした。

ここ何年かは私は話相手にもなれず
後悔することも多々ありますが
今のおじちゃんの顔がとっても安らかで笑ってるように見えるから
許してくれてるのかなぁ。

昨日夜中、病院から家に来た時は無表情でしたが
朝になったら笑った顔になってました。
家に着いて安心したのかな。

昼間に葬儀屋さんが来て、白装束に着替えさせてくれて
髪をとかし、髭をそり、少し化粧をしてくれました。

そしたらお肌も艶々で綺麗になって益々笑った顔になりました。
男前なおじちゃんになりました。

お通夜、告別式がまだ残っているので
明日からまたバタバタして大変そうですが
できるだけ傍にいたいと思います。

今日は家族でおじちゃんに並んで皆で寝ます。

おじちゃんの姿がまだ家にいるうちに日記を書こうと思いまして。
記憶が薄れないうちに。

〓エリー〓