20世紀末ボックス

風景写真、音楽、80年代おもちゃ、気分次第のちゃんぽんブログです。

水滴

2010-10-31 | 写真


EOS Kiss X4 + EF-S 18-55mm


葉っぱの上に水晶が転がっているようです。  まさに自然が作り出す「美」ですね。


はっぴいえんど - 風をあつめて 

2010-10-31 | 音楽


伝説のバンド「はぴいえんど」です。

YMOの細野晴臣を中心に、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂という豪華なメンバーで構成されています。

日本のロック界を切り開いた存在といえるでしょう。


3:風をあつめて


小坂忠、柳田ヒロらとともに結成したバンド、エイプリル・フールを脱退した細野晴臣と松本隆、そして大瀧詠一と鈴木茂が出会い、1969年にバレンタイン・ブルーという名前でバンドが結成された。1970年4月にハッピーエンド、さらに平仮名表記のはっぴいえんどとバンド名は改名される。

バンドの作詞担当であった松本隆が、ダブルミーニングなどの技法を積極的に歌詞に取り入れ、日本語ロックと呼ばれた独特の世界を構築。松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し、この曲がなければはっぴいえんどはなかったかもしれないという趣旨の発言をしている。ちなみに大瀧と細野は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞をつけるこの提案に反対したらしい。またサウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレープに影響された先進的な音であった。メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観が音楽性にも影響している。

しかし、ブリティッシュロックの人気が絶頂期を迎えつつあった当時の日本において、これらのバンドはほぼ無名であり、音楽性としてもマニアックであったため、評論家や一般のロックファンの評価は決して高くはなかった。にも拘らず、このような音楽性を標榜したのは、ブリティッシュロックはアメリカのロックをコピーして生まれたイギリスオリジナルの音楽であるため、日本のロックを作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったからだという。はっぴいえんどがとった方向性は後続のバンドに少なからぬ影響を与え、葡萄畑や乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンスなどの後継者を生んだ。

また、今でこそシングルとアルバムのバージョンを違えたりリミックスすることは一般的になっているが、シングルカットする際にはアルバムの音源を使うのが通例だった当時において、彼らはすでにシングルとアルバムのバージョンを変えて発表していた。

避雷針 by空倶楽部

2010-10-29 | 写真

10月10日、長崎市香焼町の先端にある展望所で撮影した空です。



EOS Kiss X4 + EF-S 18-55mm + PLフィルター

ここからは、長崎の港を眺めることができます。
目の前に見えるのが、三菱造船所。先日紹介した「キリンさん」たちがたくさんいます。




真下には、来春開通するという伊王島大橋(仮)が見えます。
こんなに近いのに今まで伊王島に行くのに船を使ってたんですね~
開通したらぜひ行ってみたいです。

 長崎港を背にするとそこには東シナ海が広がっています。

う~み~は~広い~な~大きい~な~♪です。


長崎くんち-御座船回る-

2010-10-28 | 旅行

10月7日~9日は長崎くんちでした。


8日(金)は、仕事が早く終わったので庭先回りを撮影しに行ってきました。


しかし、この日はあいにくの雨。 


それでもがんばって撮影しました。どうか見てやってください!



浜市アーケードとベルナード観光通りが交差する、大丸デパート前の広場です。


ここでは、庭先回りの船が本番さながらのパフォーマンスをしてくれます。


船が来る1時間も前からパフォーマンスを一目見ようと大勢の人が集まっていました。(私もその中の1人…)


この日は雨だったので、例年より人が多く一時はパフォーマンス中止の声も出ていたのですが、


お客さんの期待に応えてほんの少しだけ、船を回してくれました!



人混みの後ろから手を伸ばして撮影したので、構図もなにもありません。おまけに若干ブレてるし…


明かりの少なさでシャッター速度が遅くなったのですが、こんな撮り方もありかなぁと自己満足しています。


それにしても、やっぱり船は回ると迫力があります!


爆弾ちゃんぽん

2010-10-27 | 旅行

10月7日~9日は長崎くんち。

8日(金)は、仕事が早く終わったので庭先回りを撮影しに行ってきました。

歩き疲れたし、お腹も減ったのでちゃんぽんでも食べようと、向かったのが「思案橋ラーメン」。

   


 ここは福山雅治が来崎した際に必ず立ち寄るお店ということで有名です。


そして福山お気に入りのメニューが「バクダンチャンポン」850円。 上におろしにんにくがたっぷりのせてあります。
 

店内を見回すと多くの有名人がここを訪れているらしく、壁にはたくさんの色紙が並べられていました。




中でもやっぱり目を引くのが福山のサイン。 何枚も飾られています。



 

「龍馬伝」の長崎ロケの時には出演者の方達も訪れているようです。



 

バクダンチャンポンを食べてると、庭先回りの踊りが思案橋ラーメンにやってきました。


目の前で踊りを見られてラッキー♪



 

バクダンチャンポンはとてもおいしかったです。


ただし、次の日は誰にも会えません。なぜなら…、


 

口の中のにんにく臭がハンパないからです!!



長崎くんち-雨の竜宮船-

2010-10-26 | 旅行

10月7日~9日は長崎くんちでした。


8日(金)は、仕事が早く終わったので庭先回りを撮影しに行ってきました。


しかし、この日はあいにくの雨。 


それでもがんばって撮影しました。どうか見てやってください!



くんちで使われる船は高~~~~~いものですから、濡らすわけにはいきません。


船の中には楽器を演奏する子どももいたりします。


みなさん、雨の中でも一生懸命です。  がんばれ!


長崎くんち-庭先回り-

2010-10-25 | 旅行

10月7日~9日は長崎くんちでした。


8日(金)は、仕事が早く終わったので庭先回りを撮影しに行ってきました。


しかし、この日はあいにくの雨。 


それでもがんばって撮影しました。どうか見てやってください!



銀行前での庭先回り。ほんのちょっとだけ踊りや歌を披露します。


踊りを独り占めできていいな~と思ってしまいますが、後日しっかり集金に来られるそうです…。



長崎くんち(ながさきくんち)、長崎おくんちは、長崎県長崎市諏訪神社祭礼である。10月7日から9日までの3日間催される。国指定重要無形民俗文化財昭和54年指定)。


「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」など、ポルトガルオランダ中国など南蛮紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな出し物(奉納踊)を特色としている。


地元では一般的に「くんち」と呼ばれるが、お諏訪様(諏訪神社)への敬意を表し「おくんち」という人もいる。「くんち」には「宮日」「供日」という字があてられることがあるが、その名称は旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力である。


1634年寛永11年)に、神前にて謡曲「小舞」を遊女である高尾と音羽の二人が奉納したことが始まりとされる。もともとは基督教徒を鎮圧するために長崎奉行榊原飛騨守の肝煎りで始められた


長崎くんちは、諏訪神社の氏子にあたる長崎市内の各町が、だしものと呼ばれるさまざまな演目(奉納踊)を奉納するものである。長崎市にある59の町(以前は77町)が5~7町ごと7組に分かれて年ごとに奉納する[2]。その年の当番に当たった町を踊り町(おどりちょう)と呼ぶ。すなわち一つの町を見ると、7年に一度、踊り町が回ってくることになる。


それぞれの踊り町は、その町のシンボルでもある、巨大な傘鉾(150kg前後)を先頭にして境内に進み、さまざまなだしものを神前に奉納する。踊り町ごとに得意とするだしものがある。川船、龍踊りなど多くのだしものは複数の町が奉納するためほぼ毎年~数年ごとに見られるが、一部のだしもの(コッコデショ、鯨の潮吹きなど)は一つの町しか行わないため7年に一度しか奉納されない。


くんちは、前日(まえび、10月7日)、中日(なかび、8日)、後日(あとび、9日)の3日に分けて行われる。諏訪神社に祀られている三体の神体が、前日に諏訪神社の本宮から大波止に設けられた御旅所(おたびしょ)に下り(お下り)、後日には再び本宮に上る(お上り)という神事が行われる。各踊り町は諏訪神社本宮でだしものを奉納した後、旧八坂町(現鍛冶屋町)の八坂神社、御旅所(夢彩都おくんち広場)、長崎市公会堂などの踊り馬場でも奉納を行う。その後旧市街の各企業や民家の入り口前(庭先)でだしものの一部を披露する(庭先回り)。中日、後日にも各所で奉納踊りが行われ、同時に庭先回りも行われる。


Sadistic Mica Band - 黒船

2010-10-24 | 音楽
最近ハマってる「YMO」。

メンバーは超有名な3名、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一。

その中の高橋は、YMO以前「サディスティック・ミカ・バンド」にドラマーとして在籍していました。

サディスティック・ミカ・バンドといえば「タイムマシーンにお願い」が有名ですが、

高中正義のソロギターで聴かせる「黒船」もまた素晴らしい曲です。

動画のヴォーカルは加藤ミカではなく桐島かれんの方なんですが、よかったら聴いてみてください。

Sadistic Mica Band - 黒船


1972年デビュー。1974年発表のアルバム『黒船』は日本のロック史における名盤と評されており、当時英米でも発売されていた。活動中の1975年にはイギリスでツアーを行っている。解散後もこれまでに3度、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。

バンド名の由来であるが、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもので、また、ボーカルのミカの包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来する

元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(ボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義(リードギター)が加入し、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。

その後まもなくして角田が自らのバンドを結成する為に脱退する。ドラマーとして大口広司の一時加入を経た後、高橋幸宏が参加、高橋に誘われる形で小原礼(ベース)がメンバーとなる。1973年にファーストアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。このアルバムは発売当初は数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で日本でも評価されるようになった。

その後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。その後、加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月に解散した。


解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動した時期がある(1978年頃には自然消滅)。


1985年には加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一、松任谷由実を加えた「サディスティック・ユーミン・バンド」として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「All Together Now」に出演。


1989年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に桐島かれん(ボーカル)を加えて Sadistic Mica Band(ミカの表記が下線のとおり変更)として再結成。アルバム『天晴』を発表した。先行シングル「Boys and girls」はマツダ・ファミリアのCMソングにもなり、オリコン13位を記録。サディスティック・ミカ・バンドとしては唯一のオリコントップ100入りシングルとなっている。また、このメンバーでライブが行われ、後にライブアルバム『晴天』として発売された。


行こか戻ろか思案橋

2010-10-24 | 写真
EOS Kiss X4 + EF-S 18-55mm


この付近にはかつて川が流れ、花街時代、遊廓へ“行こか戻ろか”と思案したので名付けられたという思案橋が架かっていた場所です。

この辺りは飲屋街で、夜の長崎の代名詞となっています。

でも、不景気の影響や長崎市の商業圏の変化により最近あまり元気がないような…。

どこの飲屋街も同じなんですかね~


南島原市口之津町 瀬詰崎灯台

2010-10-24 | 写真
Powershot G11


島原半島南端に位置する灯台。

幅約5kmの早崎瀬戸を挟んで天草下島と向き合っていて、有明海の入口を示す灯台として航海の安全を見守っています。

早崎瀬戸は有明海の入口にあたり、日本三大潮流の一つに数えられています。

3~6月の大潮時には、潮流の早さが最大7ノットとなり直径20mの勇壮なうず潮が見られます。

瀬詰崎灯台から眺める橘湾の夕景は、海面がきらめき、とても美しく、人々をやさしく包みこみます。

また、灯台の元は、釣りポイントでもあり休日には、地元の釣り自慢が陸釣りを楽しんでいます。(じゃらん観光ガイド

向こうに見えるのは熊本県の天草。

泳いでいこうと思えば行けそうな距離なんですが…

急な潮流に流されますね^^;  

大村城下町灯籠まつり

2010-10-23 | 写真
EOS Kiss + EF-S 18-55mm


長崎市がくんちで賑わっていた頃、大村市の城下町灯籠まつりに行って来ました。

行った先は「旧楠本正隆邸」。

楠本正隆とは、幕末に活躍した大村藩士のひとりで、明治維新後は地方行政官として名を高め、のちに衆議院長となった人です。

この屋敷は明治3年に建てられたもので、中はとにかく広いです。

EOS Kiss + EF-S 18-55mm



まつりの期間中は屋敷をライトアップしていて、とても幻想的な雰囲気でした。

EOS Kiss + EF-S 18-55mm

神の島

2010-10-22 | 写真

長崎市神ノ島町にある神ノ島教会です。


 



教会から少し離れた海の上には、マリア像があります。



 


これがそのマリア像。穏やかな表情で船の航行を見守っています。


左下に見えるのが、神ノ島教会です。


 



一方その頃、えびす様は…


 


 


 


 


 


宴会中でした。