郷土の歴史と古城巡り

播磨国風土記の謎 消えた2つの郡

播磨国風土記の謎 消えた2つの郡
                         閲覧数5,556 件(2009.11.17~2019.10.21)



 奈良時代に編纂された最も古い書物に、諸国の土地の名の由来や特産物などを記した「風土記」があり、当時全国には62国と3島がありましたが、残されているものはたった5つしかなく、それも原本ではなく、写本として残されてきました。その現存する風土記は、播磨(はりま)、常陸(ひたち)、出雲(いずも)、肥前(ひぜん)、豊後(ぶんご)の5つ。完全なのは、出雲国風土記だけで、その他のものは一部が欠けています。
では、播磨国風土記に欠けているものとは。

  1. 明石郡(あかしのこおり)
  2. 賀(加)古郡(かこのこおり)
  3. 印南郡(いなみのこおり)
  4. 餝磨郡(しかまのこおり)(飾東郡・飾西郡)
  5. 揖保郡(いいぼのこおり)(揖東郡・揖西郡)
  6. 赤穂郡(あこうのこおり)
  7. 讃容郡(さよのこおり)
  8. 宍禾郡(しさわのこおり)
  9. 神前郡(かむさきのこおり)(神東郡・神西郡)
10. 託賀(多可)郡(たかのこおり)
11. 賀毛(茂)郡(かものこおり)(加東郡・加西郡)
12. 美嚢郡(みなぎのこおり)

 以上の12郡が当時の播磨国にあったと考えられていますが、実際は10郡しか記されていません。2つが欠落しています。それが、明石郡と赤穂郡です。ではなぜ、この2つなのでしょうか。

 地図で見るとわかりやすく、風土記の書き出しが海岸線の東端から始まり西端に進み、北の内陸部へと時計回りに進みます。





 明石郡は風土記の巻頭にあったはずなので、巻首のことばとともに欠損・欠落したものと考えられています。そして明石郡の逸文が『釈日本記』(鎌倉時代に書かれた「日本書紀」の注釈書)に残されていることがわかり、記載されていたことはほぼ間違いないといわれています。しかし中ほどに記載があるはずの赤穂郡に関してはすっぽりと抜け落ちていて、しかも何の手掛かりもなく、大きな謎となっています。


風土記の発見と大賀ハス

 播磨国風土記の現存しているものは三条西家に伝来した古写本です。これを筆写したものが寛政8年(1796)にはじめて世に紹介されました。実に風土記が作成された奈良時代初期から1千年を越えて世に表れたのです。

  このことで、大賀ハス(おおがはす)のことを思い出しました。昭和26年3月30日、千葉県千葉市の落合遺跡で発掘された今から2千年も前のハスの実から発芽し開花した古代ハスは、「世界最古の花・生命の復活」としてアメリカのライフ誌に掲載され、大賀博士の名をとって大賀ハスと名付けられました。発掘調査打ち切り寸前に女子中生徒が泥炭層から1粒のハスの実を見つけ、その後2粒が発掘され、この3粒の内の1粒がうまく育ち、見事なピンクの大輪を咲かせました。まさに一大快挙でした。



▲ 咲き誇る大賀ハス(in 千葉公園 旬は7月上旬)

 風土記もこれと同じで、発見されなければ永遠に闇に葬られていたものが、1千年の時を経て、世に現れたことは、奇跡に近いと思います。この風土記が示す多くの地名は今なお存続し、数々の神話の主人公の縦横無尽の活躍が地域を形成していった記述が漢字の羅列の中に凝縮されています。まさに歴史の実が開花し、歴史ロマンの香りを漂わせ、訪れる人々を太古の旅に誘ってくれることでしょう。

参考:「播磨国風土記を歩く」

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