「それでも僕はやってない」の周防監督が朝日新聞のオピニオン欄で意見を出している。(朝日070122 8)
「裁判官が「疑わしきは罰せず」の原則を貫きにくくなっている事情を考えると、その背景にあるのが刑事裁判での有罪率99.9%という数字ではないか。
裁判官は無罪推定に立って、公判をスタートするのが建前だ。だが有罪率99.9%という現状では、なかなか無罪推定に立てないし無罪の確証がない限り無罪判決を出しにくい。また、元裁判官が書いた本を読むと、無罪判決を出す場合、不安なのが上級審で、判決が覆らないかということだと述べている。」
と、実績である99.9%のプレッシャーについて指摘している。
原則にたてば、あるべからざることであるにもかかわらず。
大体が99.9%という数字自体がおかしいではないか。原則に立っていたら不可能な数字と思われる。
にもかかわらず、賢いはずの裁判官が、(いや賢いからこそなのかもしれないが)、自分の過ち(評価?)を上級審から突きつけられるのを恐れて原則をたがえてしまう・・・。
まさに監督の指摘のとおり
「しかし最終的に、無実の罪に問われた被告を救うことができるのは裁判官だけだ。少なくとも被告人が無罪を主張している裁判は十分すぎるほどに慎重な審理を尽くしたうえで判決を出してほしい。」
と望みたい。
「裁判官が「疑わしきは罰せず」の原則を貫きにくくなっている事情を考えると、その背景にあるのが刑事裁判での有罪率99.9%という数字ではないか。
裁判官は無罪推定に立って、公判をスタートするのが建前だ。だが有罪率99.9%という現状では、なかなか無罪推定に立てないし無罪の確証がない限り無罪判決を出しにくい。また、元裁判官が書いた本を読むと、無罪判決を出す場合、不安なのが上級審で、判決が覆らないかということだと述べている。」
と、実績である99.9%のプレッシャーについて指摘している。
原則にたてば、あるべからざることであるにもかかわらず。
大体が99.9%という数字自体がおかしいではないか。原則に立っていたら不可能な数字と思われる。
にもかかわらず、賢いはずの裁判官が、(いや賢いからこそなのかもしれないが)、自分の過ち(評価?)を上級審から突きつけられるのを恐れて原則をたがえてしまう・・・。
まさに監督の指摘のとおり
「しかし最終的に、無実の罪に問われた被告を救うことができるのは裁判官だけだ。少なくとも被告人が無罪を主張している裁判は十分すぎるほどに慎重な審理を尽くしたうえで判決を出してほしい。」
と望みたい。