
暑いから長くは滞在せずすぐに下る。25分くらいかけて登ったのに、1分も滞在せず。すごくコスパが悪い。しかし、暑さには変えられない。やはり下界の方が涼しかった。なぜだ。そこから、最後の難関に向かう。猪名川道の駅の少し先の道を左に曲がってしばらく行った先に才ノ神峠というのがあるらしいというのを知った。どうやら激坂らしい。行きたいと思うのは当然だ。いざ到着すると、すごく狭いアスファルトというよりコンクリートの道だった。道幅はギリギリ軽自動車が通れるかどうかくらい。基本は歩くか自転車かバイクだろうな。という道だった。この道も期待を裏切らない激坂で、1.19km平均勾配13.2%だった。途中22%の表示をガーミンに見た時は思わず笑った。歯を食いしばらなければ登れないほど急でむしろダンシングすると後輪が滑ってしまう。ただ一つ言えるのは160kmくらい走ってきてから登る峠ではなかった。しかし、ラストにこれを持ってきた判断は正しかった。すごく楽しかった。


考えることができる人間が大抵は偉いとされるけど、そうとも限らない。例えばIQの高さと人生の幸福度は負の比例関係にあるとどこかで聞いたことがある。実際、世界一幸福度が高いと言われていた国が、物理的、情報的に発展した時、インターネットなどにより自分たちの貧しさを知り幸福度が下がったということがあった。
それくらい考えたり知識を得ることは、不幸にさせる行為かもしれない。その点では高いIQを持つ人類はこの星で最も不幸な種族であると言えるだろう。
しかし、私は今日さらに不幸になった。
今日、春学期一つ目の講義を受けた。ガイダンスの中で「高大接続」という話が出た。正直初めて聞いた単語だったが、要は「高校と大学の学びを接続させる。」という意味らしい。
面白かったのは、
「高校までの教科書は全て正しいと受け止めなければならない。しかし、大学の教科書にはどこの誰かもわからない、おじさんが考えたことのカスしか載っていない。」
と言う話だ。カスというのは行き過ぎた表現だけど、教授はすぐに話を盛る癖があると自己紹介していたから納得した。詰まるところ、主体性と批判的意識をもって講義に臨めという話だった。
批判的意識についても教授は、語っていた。
「その話のいい部分を見つける作業であって、それは結果的に怪しい部分を指摘することにつながる。しかし、それはdisることとは違って、正しい部分を認めなければならない。」
腑に落ちた。
可愛い子でもいないかなーくらいの気分で普段対面授業は受けるけど、女の子の話を聞くよりも、盛り癖の激しいおじさんの話を聞く方がはるかに面白かった。大学へ行くモチベーションを持つことができた。
大学で学べるのは、あと一年。寂しい気もするけど出来るだけ学んでIQを上げて不幸になっていこうと思った。