アマノっちー!

shimano racing 天野壮悠(あまの たけはる)のブログです

未完成であると言う価値

2022-03-10 22:58:00 | 日記
お久しぶりです。
私は自分が未熟で未完成な人間だと日々痛感します。
たくさんのミスや至らなさで、自分が苦しんだり人に迷惑をかけてしまう時があります。
もちろん、この未熟さは、改善していかなければなりません。完成された人間などいませんが、足りない部分を補う努力を怠れば、より自分も他人も傷つける結果になってしまいます。

しかし、その大前提として、自分が未完成であると、認知し受け入れる必要があります。未熟な部分、未完成な部分を正しく認知すること、あるいは認知しようとすることがとても大切だと感じています。それには、大きく二つの理由を感じています。

一つ目は、単純に自分が未完成であると認知しなければ、向上できません。また認知しようとすることは、向上心を持ち続けることに繋がるからです。
向上心の原動力とその行動が、自分が未完成であるという認識であると思います。その認識は、自分や自分の周りの誰かを傷つけないための改善につながるように思います。

二つ目は、自分が未熟であるという事実は時にショックなものであったりします。その事実自体に傷付けられることもあります。そこで未完成であると受け入れる必要が出てきます。
私は自分は未完成であるが、これから完成させれば良いんだという認識に変えることで受け入れています。それによってポジティブなイメージに繋げられます。
受け入れられないと、完全であると信じて疑わなかったり、未完成なことに過度にショックを受けてしまいます。


トレーニングや、あらゆる努力は自分の未完成な部分を見つめ直す行為から始まります。もちろん長所を伸ばすというトレーニングもありますが、短所があるから長所が引き立ちます。
特に自転車はデータで数字で自分の能力が測られ、短所が示されてしまいます。
結果にどう向き合い、少しずつ変えていくか、自分を完成させるかというのは、トレーニングに限ったものではないと思います。
その向き合う行為そのものが、私が未完成である意味だと思います。



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