ユダヤ人は、長年ヨーロッパであざけられ人間扱いされず、ゲットー(ユダヤ人居住区)に住まいを限られ、法律的・社会的に多くの制約を受けてきました。
正式な名字は持てませんでした。
土地所有も許されませんでした。
職業は、キリスト教徒が嫌った金貸しや質屋、両替商、小物商、行商人などに限定されました。
ユダヤ人の身分を示す黄色い記章の着用を強制されていました。
夜になると、ゲットーの門は錠をおろされました。
ゲットーは不衛生で、ユダヤ人の乳幼児などの死亡率はとても高いものでした。
ロスチャイルドの先祖も、16世紀から代々、そんなゲットーの中で暮らしておりました。
彼らは、ドイツのフランクフルトにあるゲットーに住んでいました
ロスチャイルドは、元々はバウアー(屋号)を名乗っていました。
しかし、代々、赤い盾(ロート・シルト)の表札がついた店舗兼住居で暮らしていたことから、「ロートシルト」という屋号を使うようになりました。
ロートシルトの英語読みがロスチャイルドです。
フランクフルト・ユダヤ人が正式に名字の使用を許されたのは、ナポレオン占領下の1807年のことでした。
初代ロスチャイルドであるマイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、1743年頃、3人兄弟の長男として、フランクフルトに生まれたのでした。
初代ロスチャイルド、マイアーのお父さんの名前は、アムシェル・モーゼスといいました。
お父さんは、赤い盾の表札を掲げて、質屋や両替商を営んでいました。
当時のドイツは350の国に分かれていたので、それぞれの通貨に両替することが必要だったのです。
天然痘が猛威をふるった1755年頃、お父さんは亡くなりました。
そして、マイアーは宮廷ユダヤ人銀行家となっていたオッペンハイム家に奉公に出ています。
6年後に、再びフランクフルト・ゲットーに戻ってきます。
彼は古銭商を始め、1764年頃にフランクフルト・ロスチャイルド商会を設立しました。
1770年、彼はユダヤ人グーテレと結婚します。
店の2階で生活し、1階で古銭や絵画や家具など雑多の商品を売買しました。
夫婦は20人の子を産みました。
ゲットーではよくあったことですが、10人がすぐに亡くなり、10人が育ちました。
5人が娘、5人が息子でした。
やがて、マイアーは、ほぼ同年齢のヘッセン領主ヴィルヘルム公を古銭商売の上客とすることに成功するのでした。
ヴィルヘルム公は、フリードリッヒ2世の息子で、後のヴィルヘルム9世です。
また、ヴィルヘルム公は、イギリス国王ジョージ2世の孫でもあり、ジョージ3世とは従兄弟であり、デンマーク王の甥でもあり、スウェーデン王とは義兄弟でもありました。
ヴィルヘルム公は、ヘッセンで若者を傭兵として育て貸し出す傭兵ビジネスをしていました。
アメリカ独立戦争(1775~1783年)では、イギリス政府に毎年1万5千人の傭兵を貸し出していました。
さらに、王族、政界の人たちに広く貸し付けを行っていました。
こうして、ヴィルヘルム公は、ヨーロッパ随一のお金持ちとなりました。
マイアーは、そんなヴィルヘルム公に気に入られて宮廷御用商に任ぜられ、傭兵ビジネスのもうけをがっぽりもらえるようになります。
マイアーは、父親のフリードリッヒ2世とも仲良くなって、その威光を利用し政界に足場を築きました。
そこで彼は王族の秘密を把握し商売に利用しました。
マイアーは、商売にかけては抜け目がなく貪欲でした。
ヴィルヘルム公は1786年、父フリードリッヒ2世の死に伴い、ヴィルヘルム9世となりました。
ヘッセン=カッセル伯方を継承し、当時ヨーロッパ最大級と言われた資産を相続しました。
マイアーのフランクフルト・ロスチャイルド商会は、1789年頃、ヘッセン=カッセル伯方家の正式な金融機関に指名され、借款の仕事に携わりました。
1801年頃からは、ヴィルヘルム個人のお金の管理も任されました。
マイアーは、傭兵代金をイギリスで直接投資に回せるようにし、ロンドンにいる3男ネイサンに運用させました。
さらに、マイアーは情報でお金を儲ける仕組みを作ることに成功します。
マイアーは、ヨーロッパ全土の郵便事業を独占していたテュルン・タキシス家と仲良くなってスパイとして活動してもらえるようになりました。
重要郵便文書を勝手に開けて中身の情報をマイアーやヴィルヘルム9世に知らせていました。
また、マイアーやヴィルヘルム9世にとって都合のいいように、速く郵送したり、遅く郵送してもらったり操作を行いました。
このようにして、マイアーのビジネスは、1790年代に急速に成長し、マーチャント・バンカー(国際的な銀行家)となっていきました。
初代ロスチャイルドであるマイアーは、少年時代にラビを目指したこともありました。
ユダヤ人は神から選ばれた民であり、世界を支配することが約束されていると信じていました。
そんなマイアーでしたが、いつしか絶対的な神は「貨幣」であると信じるようになりました。
貨幣は、神をも含むすべてのものを商品に変えます。
貨幣は人間世界ならびに自然から固有の価値を奪い、支配します。
人はそれを礼拝します。
政治もまたお金の力でコントロールできます。
「貨幣が世界の権力となる」
このことがユダヤ教の世俗的精神であり、キリスト教精神の土台となり、ユダヤ人はユダヤ人的方法で自己を解放させ、ユダヤ教の完成を目指す。
これが彼のユダヤ的信仰となるのでした。
初代ロスチャイルドのマイアーは、グーテレと結婚し、20人の子を作りました。
しかし、ゲットーは不衛生な環境なので、10人の子を亡くしました。
5人が娘で5人が息子でした。
長男:アムシェル(1773~1855)フランクフルト家
次男:サロモン(1774~1855)ウィーン家
三男:ネイサン(1777~1836)ロンドン家
四男:カール(1788~1855)ナポリ家
五男:ジェームズ(1792~1868)パリ家
マイアーは、ロスチャイルド帝国の基礎を築くために、5人の息子を矢を放つようにヨーロッパの主要都市に放ちました。
長男のアムシェルは、フランクフルトにとどまります。
そして、マイアーは、息子たちに贈り物・貸付・投資でビジネスで成功できるように、賄賂について徹底的に指導するのでした。
1798年頃、マイアーは三男のネイサンをイギリスに送り込みました。
ネイサンはイギリスで織物業界に食い込んでいきました。
産業革命で大量に生産される綿花を安く買い、それをドイツに高値で売ってたくさん儲けました。
ドイツはナポレオン戦争(1803~15)で品薄になっていたのでよく売れました。
その間、マイアーは、イギリスから来ていたセールスマンをドイツに引き留め、ドイツでたくさん綿製品を受注させました。
セールスマンがイギリスの工場に発注する前に、ネイサンは材料を安い値段で大量に買い占めておきました。
セールスマンがネイサンに発注します。
ネイサンはイギリスの工場に生産を依頼します。
でも、原料はネイサンが独り占めしているので工場は生産できません。
発注通り生産できなかった工場は、多額の違約金をネイサンに支払うこととなりました。
親子の連係プレーで見事暴利を得たのでした。
ネイサンはこの資金をもとに、1804年、ロンドンの金融街シティに移り、マーチャント・バンカーとなります。
16世紀後半、エリザベス1世の時代、シティは優越的な地位を得て、大英帝国のあらゆる覇権的な事業に参加することになります。
1588年には、シティの予算でスペインの無敵艦隊に対抗するため20隻の艦隊を結成しています。
シティはアイルランドやアメリカの植民地化にも手を貸しました。
1694年、英仏戦争で財政が悪化したイギリス政府が借り入れを受けるために、イングランド銀行がシティに設立されました。
イングランド銀行は、国王に承認された豪商などを株主として設立されています。
イングランド銀行は、18世紀を通じて政府へ戦争資金の貸し付けを行いました。
イングランド銀行は、海外へ軍事資金を送金する業務も請け負いました。
後にネイサンは、イングランド銀行も支配することになります。
1803年、ナポレオン戦争が始まります。
この年、初代ロスチャイルドのマイアーは61歳ですが、デンマーク政府に莫大な金額の貸し付けを行いました。
以降、政府への貸し付けは、ロスチャイルドの得意分野となります。
ナポレオン戦争のころ、フランスは「自由主義」を掲げていました。
マイヤーは、ユダヤ人の権利獲得のためにお金の力を使いました。
フランス軍は、占領地でユダヤ人開放政策を実施していきました。
そして、ユダヤ人たちは法律的に市民権を獲得しました。
フランス軍撤退後も、しばらくはユダヤ人がもとのような生活に戻ることはありませんでした。
ナポレオン戦争中、ヴィルヘルム9世は、ロンドンに蓄えた莫大なお金をネイサンに管理させていました。
ネイサンは、ヴィルヘルム9世のお金を国債として運用し、そこで得た元手に貴金属の投機で利率20%という法外な利益を上げていました。
ヴィルヘルム9世は、ナポレオン軍とイギリス・オーストリア同盟軍の両者においしいお話をもちかけましたが、ナポレオンはそれに嫌悪を感じて大軍をヘッセンに送りました。
ヴィルヘルム9世は、国外逃亡を余儀なくされ、ヘッセンのお金の管理もネイサンに託すのでした。
ロスチャイルド家は、ヨーロッパ中にあるヴィルヘルム9世の債権を管理し守りつつ利益を上げていました。
事前に築いておいた郵便ビジネスでナポレオン軍の動きを事前に察知し、監視をうまくかわすことができました。
マイアーは、密かにオーストリア皇帝や他の諸侯のお世話もしていたので、マイアーには武器を持つ権利、免税、領内での移動の自由など、いいようにとりはかっていました。
ナポレオンの大陸封鎖令(1806)が出されるのですが、ロスチャイルド家はそれをものともせず、自由にイギリスとヨーロッパ大陸との間で密貿易を行うのでした。
ネイサンは、命知らずの船乗りたちを雇い、どんどん封鎖をかいくぐります。
お金の恩をもらっていたフランクフルト公は、ナポレオンの立ち入り捜査が入りそうなときにはその情報をいち早くマイアーに知らせました。
同じく1806年、ネイサンはハンナと結婚しました。
ハンナのお父さんは、イギリスのお金持ちのユダヤ人、レヴィ・ベアレント・コーエンです。
コーエン家の家業は、イギリスの織物やインドの産物などをヨーロッパ大陸へ密輸することでした。
この結婚で、ネイサンは、コーエン家の家業を受け継ぐことになります。
モカッタ家は、ロンドンの有力な地金屋さんでした。
イングランド銀行の金銀のブローカーとして一大勢力をなしていました。
また、ネイサンにとって強敵だったキリスト教徒のベアリング家に金塊を運んでいました。
モカッタ家のモーゼス・モンテフィオーレは、ネイサンの奥さんであるハンナの妹、ジュディスと結婚します。
ちなみに、モーゼス・モンテフィオーレは、ユダヤ人代表委員会の会長を長年務めています。
さらにちなみに、ハンナのいとこのナネット・コーエンのお孫さんは、革命家のカール・マルクスです。
カール・マルクスもロスチャイルド家とつながっています。
ネイサンは、モーゼス・モンテフィオーレを仲買人とし、ロスチャイルド家とビジネスパートナーとなります。
ネイサンは、この姻戚関係を利用し、モカッタ家にも入り込み、ベアリング家に戦いを挑みます。
ベアリング商会は、1762年に、フランシス・ベアリングによって創設され、「女王陛下の銀行」と呼ばれたマーチャント・バンクです。
インド貿易やアメリカ投資さらにはフランスでの商売で巨富を築き、ヨーロッパ一の商人として君臨していました。
1810年、ネイサンはロンドン証券取引所の大商いでベアリング家に勝ちます。
こうして、ベアリング家総帥とゴールドシュミット兄弟の死後、ネイサンが無敵の王者となりました。
初代ロスチャイルド・マイアーは、1812年に古傷が悪化して68歳で亡くなります。
その2日前に遺言を残しています。
1.長男がロスチャイルド家の当主となること。本家も分家も長男が継ぐこと。
2.財産の分散を防ぐために、結婚は一族内で行うこと。
3.一族の財産を秘匿すること。いかなる形でも絶対に公表しないこと。
4.一族は間断なく連携し、一族の財産を統一的に管理すること。
そもそも伝統的にユダヤ人は身内のことについて外部に話しません。
常に迫害を受けてきた歴史からの防衛策です。
一つ目の遺言ですが、必ずしも長男があとを継いでいるわけではなく、マイアーのあとは、ビジネスの能力が際立って高かった3男のネイサンが身内内の承認を得てあとを継いでいます。
このころマイアーが自宅に掲げていた盾章は、赤い盾に描かれた一羽のワシの爪から五人の息子を意味する五本の金の矢が広がり出るようにあしらわれていました。
マイアーが亡くなるとき、彼は世界一のお金持ちでした。
彼は、ユダヤ人は選ばれた民であり、世界を支配することが約束されていると信じていました。
そして、息子や孫たちが世界を実際に支配していきます。
フランクフルト・ゲットーのユダヤ人が、ユダヤ王として、世界の運命の決定権を持ちます。
マイアーの息子たちは、フランクフルト、ウィーン、パリ、ナポリ、ロンドンに5つの商会を作りますが、それらは全体に一つとしてまとまっていて、毎年フランクフルトで家全体の貸借対照表が作成されていました。
伸びている事業にロスチャイルド家全体のお金を重点的に注入してさらに事業を拡大することができました。
マイアーは早馬を駆使し情報伝達網を作り上げ、時には手紙の中身を盗み読みし、投資に生かしました。
ネイサンも、昼夜問わず早馬を駆けさせ、ドーバー海峡の船を全部買い取りました。
5人の息子たちは、マイアーの死後、いっそう情報を密にやりとりし、手紙の機密保持のためにヘブライ語を織り交ぜました。
ロスチャイルド家の情報は迅速かつ正確だったので、ヨーロッパ中の有力者がロスチャイルドの情報網を利用するようになります。
そして、ロスチャイルド家は、有力者の手紙もこっそり開封して、ロスチャイルド家の機密情報はどんどん増えていくのでした。
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