★
今働いている施設は、病院が経営しているわけですが、病院以外での施設運営は始めての法人ですのでその勝手というのがイマイチわかっていないようで、いろいろと諸問題が。社会福祉法人で高齢者の介護施設をやっているところだと、特養にデイ、ショート、グループホームなど多岐に経営していることも多く、そのノウハウもあると思われます。先日、うちの施設でも施設長が変更になり、全体ミーティングが行われました。
「今度、施設長になる○○です。現在、利用者が35名の中、事務スタッフを含めて25人の勤務者がいます。うちの施設で法定の対応人数は1:3となっているので、35名であれば12~3名のスタッフでもかまわないということになります。そして入居者からは月○○万円の支払いがありますが、その人数分を合計して諸費用を払って、みなさんの給料を払うと、ちょうどか赤字になっている現状です・・・」
という話が永遠と続いたわけです。まぁお金に関して言えば、反論しようがありませんが、現状を考えても12~3人でできる業務内容ではありません。もちろん対人なので、余裕のある時もあれば、にっちもさっちもいかない戦争のような時間帯もあったりします。現場と経営者の考え方なんて絶対に交わることがないわけです。そもそも病院で経理をずっとやってきたような人がぽんと介護施設の施設長になったところで、なにができるんだということです。ということが前々からも現場の職員からはあがっていたわけです。人手が足りないからスタッフを増やしてくれと進言しても「経費的に無理」とか「夜勤帯を減らして、日中の時間帯を増やしたらどうか」とかそんな感じで平行線のままです。今の施設に入社してもうすぐ1年経ちますが、年に何回か講習会がありました。「ノロ」「オムツの充て方」「AED」「認知症について」などです。今はどうかわかりませんが、以前勤めていた施設ではオムツの当て方とかノロについてとかそういう講習会が開かれたことはなく、またスタッフ会議もありませんでした。なので、みんなオムツの当て方なんかは自己流になって、あまりに逸脱している場合に限ってそれを修正するという程度でした。今の施設では月に2回のスタッフ会議があり、使うオムツや当て方、交換の時間など事細かに決められています。質の平均化という面ではいいとは思います。でも、毎日毎日介護をしている中で、これでいいのか?どうしてこうしているのか?と感じるところもあります。本当はこうしたほうがいいとか、こういうときはどうしたらいいだろうという疑問もありますが、日々の忙しさのなかで解決するわけでもなくいつのまにか消失していきます。普通の会社であれば、勤続年数に対応してできる仕事が増えたり、役職がついたりとそういうステップアップがありますが、介護に関してはせいぜい介護のリーダーになるくらいが関の山でその先、現場から施設長が。。。という話は聞きません。
というわけで、市役所に介護の質の向上のための方法を伺ってみました。
以下回答です。
「 介護事業所は,職員の勤務体制を確保するだけでなく,職員の資質の向上のた
めの研修の機会を確保することが義務付けられています。(運営規程にも記載さ
れているはずです。)
今回,施設における介護技術向上ということでのご相談ですが,本来施設側が
,職員のレベルや職種等にあわせ,研修計画を立て実施するものです。また,介
護施設においては,施設のマニュアル作成や報告会等を委員会を設けて実施する
ことになっています。
新しい施設とのことですが,新しい施設だからこそ,利用者にとって安心と安
定を保証できる施設であるために職員の質の向上が重要なのです。介護は資格で
仕事をしているわけではありません。介護を必要とする高齢者に質の高いケアを
提供するために,そこで働く様々な職種が互いに専門性を引き出し,研鑽しなが
ら職場のモチベーションを維持する仕組みが介護現場には必要です。そして,そ
の仕組みを作り上げることが,法人として,施設を管理する者として必要なので
す。
差し支えなければ,勤務先施設の正式な名称,サービスの種類を教えていただ
けますと集団指導や書面での指導あるいは実地指導等が可能となります。
また,もし,ご自身で学習するのであれば,基本的な法律(介護保険法や老人
福祉法等)や厚生労働省令を理解し,現在利用している方々の生活を見て,自分
たちの施設で足りないものは何か,施設の目指す介護(理想)とはどんなものか
,などから,わからないことやできそうなことに着目してみることをお勧めしま
す。」
以上。このような回答を頂きました。結局、施設として、法人としてやってくれないと行政ではなんともできないよ!という感じでした。まぁこれで施設名を送信して、いろいろ指導されてしまえがいいんですが、正直言えばそんなことしたらすぐに足がついて、運営に呼び出されかねないのでやりませんでしたが。いろいろ試してみたいことはあるけど、みんなを動かして、新しいことをするのはすごく労力がいることなんです。ただでさえ毎日の業務で手一杯のなかで、さらに重荷を受けるのも自分を含めてスタッフに圧し掛かるのは嫌なので。
本屋に行ったりすると、介護の本を読んだりします。それをみると正しい移乗の仕方とか優しい介護とかいろいろと書いてあるのですが、どれも「きれいごと」にしか見えないのは自分だけではないはずです。介護に夢をみて「高齢者の笑顔をつくります!」って脱サラしたサラリーマンはそんなものをよんで「ふむふむ」なんて夢を膨らましているのかもしれませんが、毎日現場で介護をしている人間から言わせてもらえば、いつもそううまくはいかないということです。利用者の体を腰を基点にして、頭が円を描くように・・・なんちゃら~って方法を教則本やDVDなどでは、健常者のモデルさんを相手にやっています。いや、もちろん自分だって学生のころは友達同士でそういう練習をなんどもしましたし、テストなんかもしました。ただ、実際にそういう論理が通じない場合はどうしたらいいのか。体がつっぱってそもそも肩の下に腕を入れるのがやっと、ちょっと動かすだけで「あーイタイイタイ」と叫ばれる・・・そんなことは日常茶飯事だと思います。そんなうまく協力して起きてくれる人ばかりじゃない。腰が痛い、足が痛い、肩が痛い、腕が痛い、手が痛い、眠い・・・そんな要望ばかり言われて、理想どおりの介護はできないです。理想は理想です。
10年前の介護と今の介護ではだいぶ変わってきた、という感じはありますが、結局のところなにも変わっていないんです。ハードとしての施設は大部屋から個室へ、という流れの中で個別ケアが徹底されています。昔の老人ホームというと100畳くらいの広いホールに50人の老人が集まって、一斉に食事をする。そして、時間になるとトイレの前に車椅子が何台も並べられ、順番におむつ交換される。時間になったら部屋に連れて行かれ、寝る。夜中も何度か決められた時間にオムツを替えられ、朝も決まった時間になると起こされ、食堂に連れて行かれてまた食事をする。その繰り返し。今はそういう大集団ではなく、ユニットという10人程度の集まりの中で生活をするようになってきています。ただそれもただ小分けにされただけで、やることは同じなんです。小分けにした分、スタッフの人手が多くかかる、手間が増えるという点で提供者としてのデメリットもあります。結局、正解なんてないんです。
毎日毎日、介護というものをしていると、ふとニュートラルな気分になることがあります。
広場ではトイレやお風呂以外の時間をずっとテレビを見て、椅子に座ってぼーっとしている高齢者がたくさんいます。何をするわけでもなく。ただ本人が「何もしたくない」「こうしていたい」と言えば、そのまま毎日時間ばかり過ぎていくだけなんです。昼だか夜だかわからなくなっても、ぐぅぐぅ寝ているんです。そして、ミーティングの中で新しい施設長はこういいました。
「私は、ああはなりたくないね(笑」
・・・
じゃあ改善してくれよ。
介護なんて小さな気づきがあるか、ないか。ただ毎日決められたことだけをやっていても仕事は終わるんです。逆にまじめすぎて、優しすぎる人には介護は向かないかもしれません。やってあげたくてもできないことが多すぎるからです。「本当なら~」ということが多いからです。「今日は晴れて、いい天気だね」と、窓から外を眺めて言う利用者がいて「散歩にでもいきたいね」と言われ「今日はスタッフがいないから、またあとでね」と言うやりとりがあります。施設にいるみんなのニーズを100%かなえることなんてできないんです。「おすしが食べたい」「寝る前にお風呂に入りたい」「旅行したい」「病院に行きたい」「酒が飲みたい」「タバコが吸いたい」小さいことから大きなことまで、それを満足させようと頑張っても100%にはならないんです。そして疲れてしまうんです。「何のために生きているんだろう」とか考え出して、心療内科に通いだしたりするんです。介護の仕事をする上ではある程度の妥協が必要です。できないものはできないと自分に言い聞かせないと、精神的に参ってしまいます。それで仕事ができなくなったら本末転倒。0%か100%を求めず、日によって50%だったり70%だったりすればいいんだと思います。
「こうだからこう!」
頭の固い連中にアグレッシブな行動はできないんです。人がせっかく案を考えて提出しても、議論すらされないんです。「前向きに」なんて都合のいい御託を並べて、シュレッダー。考える方も次第に何もしなくなって、黙って仕事をするようになるんです。一人がひとつずつでも改善する案を出して、それが50%でも叶えば、施設としても相当いい方向に向かうと思っている。それができないのが現状。現場のスタッフは使い捨て、くらいにしか思っていない経営者たちにそんな意見を吸い上げる気なんてさらさらないんです。介護をしているスタッフは朝早くから自転車で通勤して、重役は昼前にベンツでしゃーしゃーときて、暖かい事務所でコーヒーなんか飲みながら世間話をして、夕方前には帰っていくんです。その格差はなんなんだ。この格差はなんなんだ。どこの施設でも「理事」とか「施設長」とか偉い人はすごい羽振りがいいんです。介護は儲からないといいつつも、ベンツに乗って、イタリア製のオーダースーツを身にまとって、眩しい金の時計をしているんです。そんな下で250万程度の賃金で齷齪働いている現場の職員は疲れているんです。考えるだけ疲れるから、考えることをやめるんです。介護の職場は人の出入りがほんとうに激しいです。コンビニのアルバイトよりすごい勢いで人が変わっていく。辞めて補充やめて補充。その繰り返しでずっと進んでいくんです。キャリアはないのに、勤続年数ばかり増えていくんです。
暗い話になってしまいました。
でもこれは現実なんです。
「介護はリストラないから、いいよねぇ~」
と、大卒の営業マンの友達にしれっと言われたことがあります。
ぐっと奥歯を堪えて耐えました。
みんな自分が一番辛いと思っているんです。自分が一番大変だと思いたいんです。自分が一番頑張ってるって言いたいんです。
将来なんて考えるだけ怖いだけです。
給料が上がるわけでもなく、いつまでも同じ仕事をし続けなくてはいけないのかという不安ばかりです。
いっそ、廃墟ビルの屋上から飛び降りたら楽になれるかもしれません。
何も残らないんです。
答えはないんです。
♪生きるとは戦い。ここはリング。俺の名はスプリング。
ハルくんも歌っていましたww
生きる目的を作ることでなんとかしがみついて生きているんです。たくさんの人に支えられて生きているんです。
小さな小さな命の灯火を消してはいけないんです。
まとまらないので、終わります。
★
今働いている施設は、病院が経営しているわけですが、病院以外での施設運営は始めての法人ですのでその勝手というのがイマイチわかっていないようで、いろいろと諸問題が。社会福祉法人で高齢者の介護施設をやっているところだと、特養にデイ、ショート、グループホームなど多岐に経営していることも多く、そのノウハウもあると思われます。先日、うちの施設でも施設長が変更になり、全体ミーティングが行われました。
「今度、施設長になる○○です。現在、利用者が35名の中、事務スタッフを含めて25人の勤務者がいます。うちの施設で法定の対応人数は1:3となっているので、35名であれば12~3名のスタッフでもかまわないということになります。そして入居者からは月○○万円の支払いがありますが、その人数分を合計して諸費用を払って、みなさんの給料を払うと、ちょうどか赤字になっている現状です・・・」
という話が永遠と続いたわけです。まぁお金に関して言えば、反論しようがありませんが、現状を考えても12~3人でできる業務内容ではありません。もちろん対人なので、余裕のある時もあれば、にっちもさっちもいかない戦争のような時間帯もあったりします。現場と経営者の考え方なんて絶対に交わることがないわけです。そもそも病院で経理をずっとやってきたような人がぽんと介護施設の施設長になったところで、なにができるんだということです。ということが前々からも現場の職員からはあがっていたわけです。人手が足りないからスタッフを増やしてくれと進言しても「経費的に無理」とか「夜勤帯を減らして、日中の時間帯を増やしたらどうか」とかそんな感じで平行線のままです。今の施設に入社してもうすぐ1年経ちますが、年に何回か講習会がありました。「ノロ」「オムツの充て方」「AED」「認知症について」などです。今はどうかわかりませんが、以前勤めていた施設ではオムツの当て方とかノロについてとかそういう講習会が開かれたことはなく、またスタッフ会議もありませんでした。なので、みんなオムツの当て方なんかは自己流になって、あまりに逸脱している場合に限ってそれを修正するという程度でした。今の施設では月に2回のスタッフ会議があり、使うオムツや当て方、交換の時間など事細かに決められています。質の平均化という面ではいいとは思います。でも、毎日毎日介護をしている中で、これでいいのか?どうしてこうしているのか?と感じるところもあります。本当はこうしたほうがいいとか、こういうときはどうしたらいいだろうという疑問もありますが、日々の忙しさのなかで解決するわけでもなくいつのまにか消失していきます。普通の会社であれば、勤続年数に対応してできる仕事が増えたり、役職がついたりとそういうステップアップがありますが、介護に関してはせいぜい介護のリーダーになるくらいが関の山でその先、現場から施設長が。。。という話は聞きません。
というわけで、市役所に介護の質の向上のための方法を伺ってみました。
以下回答です。
「 介護事業所は,職員の勤務体制を確保するだけでなく,職員の資質の向上のた
めの研修の機会を確保することが義務付けられています。(運営規程にも記載さ
れているはずです。)
今回,施設における介護技術向上ということでのご相談ですが,本来施設側が
,職員のレベルや職種等にあわせ,研修計画を立て実施するものです。また,介
護施設においては,施設のマニュアル作成や報告会等を委員会を設けて実施する
ことになっています。
新しい施設とのことですが,新しい施設だからこそ,利用者にとって安心と安
定を保証できる施設であるために職員の質の向上が重要なのです。介護は資格で
仕事をしているわけではありません。介護を必要とする高齢者に質の高いケアを
提供するために,そこで働く様々な職種が互いに専門性を引き出し,研鑽しなが
ら職場のモチベーションを維持する仕組みが介護現場には必要です。そして,そ
の仕組みを作り上げることが,法人として,施設を管理する者として必要なので
す。
差し支えなければ,勤務先施設の正式な名称,サービスの種類を教えていただ
けますと集団指導や書面での指導あるいは実地指導等が可能となります。
また,もし,ご自身で学習するのであれば,基本的な法律(介護保険法や老人
福祉法等)や厚生労働省令を理解し,現在利用している方々の生活を見て,自分
たちの施設で足りないものは何か,施設の目指す介護(理想)とはどんなものか
,などから,わからないことやできそうなことに着目してみることをお勧めしま
す。」
以上。このような回答を頂きました。結局、施設として、法人としてやってくれないと行政ではなんともできないよ!という感じでした。まぁこれで施設名を送信して、いろいろ指導されてしまえがいいんですが、正直言えばそんなことしたらすぐに足がついて、運営に呼び出されかねないのでやりませんでしたが。いろいろ試してみたいことはあるけど、みんなを動かして、新しいことをするのはすごく労力がいることなんです。ただでさえ毎日の業務で手一杯のなかで、さらに重荷を受けるのも自分を含めてスタッフに圧し掛かるのは嫌なので。
本屋に行ったりすると、介護の本を読んだりします。それをみると正しい移乗の仕方とか優しい介護とかいろいろと書いてあるのですが、どれも「きれいごと」にしか見えないのは自分だけではないはずです。介護に夢をみて「高齢者の笑顔をつくります!」って脱サラしたサラリーマンはそんなものをよんで「ふむふむ」なんて夢を膨らましているのかもしれませんが、毎日現場で介護をしている人間から言わせてもらえば、いつもそううまくはいかないということです。利用者の体を腰を基点にして、頭が円を描くように・・・なんちゃら~って方法を教則本やDVDなどでは、健常者のモデルさんを相手にやっています。いや、もちろん自分だって学生のころは友達同士でそういう練習をなんどもしましたし、テストなんかもしました。ただ、実際にそういう論理が通じない場合はどうしたらいいのか。体がつっぱってそもそも肩の下に腕を入れるのがやっと、ちょっと動かすだけで「あーイタイイタイ」と叫ばれる・・・そんなことは日常茶飯事だと思います。そんなうまく協力して起きてくれる人ばかりじゃない。腰が痛い、足が痛い、肩が痛い、腕が痛い、手が痛い、眠い・・・そんな要望ばかり言われて、理想どおりの介護はできないです。理想は理想です。
10年前の介護と今の介護ではだいぶ変わってきた、という感じはありますが、結局のところなにも変わっていないんです。ハードとしての施設は大部屋から個室へ、という流れの中で個別ケアが徹底されています。昔の老人ホームというと100畳くらいの広いホールに50人の老人が集まって、一斉に食事をする。そして、時間になるとトイレの前に車椅子が何台も並べられ、順番におむつ交換される。時間になったら部屋に連れて行かれ、寝る。夜中も何度か決められた時間にオムツを替えられ、朝も決まった時間になると起こされ、食堂に連れて行かれてまた食事をする。その繰り返し。今はそういう大集団ではなく、ユニットという10人程度の集まりの中で生活をするようになってきています。ただそれもただ小分けにされただけで、やることは同じなんです。小分けにした分、スタッフの人手が多くかかる、手間が増えるという点で提供者としてのデメリットもあります。結局、正解なんてないんです。
毎日毎日、介護というものをしていると、ふとニュートラルな気分になることがあります。
広場ではトイレやお風呂以外の時間をずっとテレビを見て、椅子に座ってぼーっとしている高齢者がたくさんいます。何をするわけでもなく。ただ本人が「何もしたくない」「こうしていたい」と言えば、そのまま毎日時間ばかり過ぎていくだけなんです。昼だか夜だかわからなくなっても、ぐぅぐぅ寝ているんです。そして、ミーティングの中で新しい施設長はこういいました。
「私は、ああはなりたくないね(笑」
・・・
じゃあ改善してくれよ。
介護なんて小さな気づきがあるか、ないか。ただ毎日決められたことだけをやっていても仕事は終わるんです。逆にまじめすぎて、優しすぎる人には介護は向かないかもしれません。やってあげたくてもできないことが多すぎるからです。「本当なら~」ということが多いからです。「今日は晴れて、いい天気だね」と、窓から外を眺めて言う利用者がいて「散歩にでもいきたいね」と言われ「今日はスタッフがいないから、またあとでね」と言うやりとりがあります。施設にいるみんなのニーズを100%かなえることなんてできないんです。「おすしが食べたい」「寝る前にお風呂に入りたい」「旅行したい」「病院に行きたい」「酒が飲みたい」「タバコが吸いたい」小さいことから大きなことまで、それを満足させようと頑張っても100%にはならないんです。そして疲れてしまうんです。「何のために生きているんだろう」とか考え出して、心療内科に通いだしたりするんです。介護の仕事をする上ではある程度の妥協が必要です。できないものはできないと自分に言い聞かせないと、精神的に参ってしまいます。それで仕事ができなくなったら本末転倒。0%か100%を求めず、日によって50%だったり70%だったりすればいいんだと思います。
「こうだからこう!」
頭の固い連中にアグレッシブな行動はできないんです。人がせっかく案を考えて提出しても、議論すらされないんです。「前向きに」なんて都合のいい御託を並べて、シュレッダー。考える方も次第に何もしなくなって、黙って仕事をするようになるんです。一人がひとつずつでも改善する案を出して、それが50%でも叶えば、施設としても相当いい方向に向かうと思っている。それができないのが現状。現場のスタッフは使い捨て、くらいにしか思っていない経営者たちにそんな意見を吸い上げる気なんてさらさらないんです。介護をしているスタッフは朝早くから自転車で通勤して、重役は昼前にベンツでしゃーしゃーときて、暖かい事務所でコーヒーなんか飲みながら世間話をして、夕方前には帰っていくんです。その格差はなんなんだ。この格差はなんなんだ。どこの施設でも「理事」とか「施設長」とか偉い人はすごい羽振りがいいんです。介護は儲からないといいつつも、ベンツに乗って、イタリア製のオーダースーツを身にまとって、眩しい金の時計をしているんです。そんな下で250万程度の賃金で齷齪働いている現場の職員は疲れているんです。考えるだけ疲れるから、考えることをやめるんです。介護の職場は人の出入りがほんとうに激しいです。コンビニのアルバイトよりすごい勢いで人が変わっていく。辞めて補充やめて補充。その繰り返しでずっと進んでいくんです。キャリアはないのに、勤続年数ばかり増えていくんです。
暗い話になってしまいました。
でもこれは現実なんです。
「介護はリストラないから、いいよねぇ~」
と、大卒の営業マンの友達にしれっと言われたことがあります。
ぐっと奥歯を堪えて耐えました。
みんな自分が一番辛いと思っているんです。自分が一番大変だと思いたいんです。自分が一番頑張ってるって言いたいんです。
将来なんて考えるだけ怖いだけです。
給料が上がるわけでもなく、いつまでも同じ仕事をし続けなくてはいけないのかという不安ばかりです。
いっそ、廃墟ビルの屋上から飛び降りたら楽になれるかもしれません。
何も残らないんです。
答えはないんです。
♪生きるとは戦い。ここはリング。俺の名はスプリング。
ハルくんも歌っていましたww
生きる目的を作ることでなんとかしがみついて生きているんです。たくさんの人に支えられて生きているんです。
小さな小さな命の灯火を消してはいけないんです。
まとまらないので、終わります。
★