★
はじめて「雷鼓」を知ったのはアニメ「NARUTO」のエンディングテーマ。ちょっとセンチメンタルなメロディに心惹かれた。あれは2004年。今から7年も前の出来事。
7年前・・・ 自分は19歳・・・ 介護の専門学校に通っていました。
そう、中学校ではじめて老人ホームというものにいき、現実を目の当たりにした。クリスマス会のお手伝いでいった先で会の途中に「あー○○さん、ちょっとおトイレいこう」とスタッフにつれられたおばあちゃん。そしてそのおばあちゃんが座っていた椅子は水浸し。正確には水ではなかったのだけれど、普段、そういうことに慣れていなかったから完全に引いてしまって、そのことばかり頭にあって他のことなんかぜんぜん覚えていない。それから何年かして、そんなことも忘れた頃、高校でもまた別の老人ホームにいくことになった。今度は風船で遊んだり、一緒に体操したり・・・ 何度か定期的に行くようになって、次第に楽しいと思うようになった。そして高校3年の進路決定のとき、介護の専門学校があるということを知って、もうわき目も振らず、そこを受験した。
そして入学する。18の春。
毎日つまらない勉強ばっかり。数学・社会・理科とか本当に役に立つのかわからない教科よりかは、どこかで役に立つかも?という内容だったけれど、毎日毎日苦痛でしかなかった。高校のときの同級生が大学に進学して、いろいろと楽しいという話を聞いて、なぜか急に空しくなった。どうしてこの学校に来たんだろうか。どうして介護をやろうと思ったのか。考えても答えなんかでなかった。誰も教えてくれなかったし、そんなことを真剣に人に話せるほど社交的ではなかった。一人で思いつめて、毎日生きていた。そんなとき、高校のときに好きだったバンド「RIZE」の曲の歌詞を思い出す。
人がほしがるものとは言葉にできることのないもの
心残りになることならば、人の噂無視して 彼方
大切なもののために 自信もっていくしかない
「あぁ なんで」「あぁ なんで」「あぁ なんで」後悔ばかりの毎日。将来に希望なんてなかった。
正直言おう。高校時代は優等生で評定平均は4.8とかだった。国立の大学の推薦がもらえる基準が4.2~とかだったから、決して低くはなかった。担任にも「どうして大学いかないんだ」と何度も聞かれた。でも若かったし、周りが見えていなかったから「ただ介護がしたいだけ」と言っていた。今になって思い返せば、介護をするにしたっていろいろなアプローチがあって、大学で社会福祉士になってもよかったし、看護系の大学で看護士になってそれで介護をやってもよかったはずだ。でも知識も情報もなかった。ただそれしか見れなかった。だから後悔した。
「大学に行ってれば」
何度も何度も。
でも、雷鼓は歌う。
誰だって失敗はするんだ。恥ずかしいことじゃない。
ぼぉっとテレビを見ていた僕に一片のメッセージが届いた。
一回失敗したら終わりじゃないんだ?
生きている中で、失敗してもまたチャンスがあるんだ。って。
ハルくんの声を初めて聞いた時だった。
それでちょっと心は穏やかになった。CD買うお金がなかったから、レンタルしてきてMDに入れて、毎日毎日聞いてた。
それから雷鼓の次のシングル「Blush チャリンコぶっとばす」が発売され、テレビでもちらっとやっていたけど、ALIVEほど取りざたされることなく、通り過ぎていった。そしてテレビで雷鼓をみることもなくなって、いつしか僕の中から雷鼓の存在が消えていった。そして去年くらいに、久々に実家に帰ってきて「昔の曲とか懐かしい」と古いMDを聞いていたら「ALIVE」が流れた。「あれ?雷鼓ってどうなったんだろう」ということで、ネットで調べたら解散したという情報が・・・「そっか。残念やな」と思いつつ、YOU TUBEで「ALIVE」のPVを見たりしていたら、他の曲もいろいろと出てきて、暇なときに聞いてみた。
あれ?
あれ?
これも、これも・・・・全部いい。
そう。遅すぎた発見だった。
「雷鼓っていいな」
って思い始めたころ、「雷鼓動画」なるTV番組が放送されていたことが判明。北海道テレビが雷鼓を追いかけるドキュメント番組でぜんぶで50回くらいあったんだけど、それをYOU TUBEでひとつひとつ見ていった。雷鼓の始まりの場所。曲作り合宿。刑務所慰問。老人ホーム・保育園コンサート。東京レコーディング。深夜のミーティング。どうせ雷鼓動画でしょ。全国ツアー。マグマドライバー。学園祭。ボラ釣り。最高最高雷校祭。DJ NAKANO脱退。給料7万円。。。。全部見た。そしていろいろな雷鼓を知った。雷鼓をもっと好きになった。その原因は・・・
ハルくんの裏側。
ハルくんが歌詞を書けずに悩んでいる姿をずっと雷鼓動画は追っていた。そして新曲「マグマドライバー」の歌詞をすべてヒデミックスが書くことになったこと。そして、ライブにハルくんがこなかったこと。雷鼓を辞めようと思ったこと。給料が7万円だということ。そんな裏側を知ることができて、辛いのは自分だけじゃないんだって本当に心から思えることができた。そんなハルくんを見たからこそ「さんぽ道」「ありのままの唄」「ALIVE」の良さが痛いほど感じられた。正直言って、テレビに出ているようなバンドとか歌手の人たちってやっぱり別世界の人間で、ぱーっと曲を作って、詞を書いて、CD作って、それでたんまり金を儲けているというイメージが少なからずあった中で、こういうアーティストの「素」の部分を見れたことが、素直にうれしく感じた。同じ人間なんだって、感じられた。
もう雷鼓は活動休止。
雷鼓としての音楽はもう聞けないかもしれない。
でも、雷鼓があったからこそハルくんを知ることができ、そして雷鼓が終わったからこそ、ころなというバンドが生まれて、そしてころながライブをしたことで僕はハルくんと出会うことができました。
短い時間だったけれど、感じるものはたくさんありました。
勝手に雷鼓のときのイメージをバックグラウンドに重ねて、ステージのハルくんを見ていました。正直言えば、雷鼓のときの曲、とくに「さんぽ道」とか「ありのままの唄」とかをまたころなでも唄ってほしいと思ってしまう部分もあるけれど、また違うステージを歩き出したハルくんは、もっと違う何かを僕に届けてくれると信じています。雷鼓のライブは一度もいったことがありません。理由は上に書いた通りですが、映像で見る限り、北海道や東京でやったライブは満員でお客さんもみんなとても盛り上がっていました。ころなのライブはまだ閑散としています。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、この前のライブでも4バンド出演でバンドが変わるたびに、ファンの人たちも立ち位置を変えて、好きなバンドのときはみんな前のほうにいって・・・という感じでしたが、ころなの時の最前列は5人でした。横は空いているのに。そして2列目がいなくて、3列目から後ろにさっきまで盛り上がっていた人たちがいました。ライブの途中にハルくんが
「あと一歩前に来てください。お願いします」
って、言っていた。なんだか切なくなった。こんなこと言わせたくないのに・・・そんなこと言わなくても、幕が開いたらみんな前につめて窮屈なくらいになればいいのに・・・と、心から思ってしまった。みんなが棒立ちのまま曲を聴いていて、僕もそうせざるを得なかった。最期にハルくんがギターを弾きながら、腕を振り上げて、無言で「みんなもやって~」って感じで先導してくれたら、そこからはちょっとずつ腕を振ったりしていましたが、それも最期の2曲だけ。なんだか淋しいライブでした。なんだか悔しい思いでした。ハルくんはこんなにも頑張っているのに、どうしてみんなわかってあげないんだ!って思いました。勝手なおせっかいです。でも周りが棒立ちの中で、一人で飛び跳ねたり、腕を振ったり、声をかけたりするのはできない小心者です。でも、次回はやります。一人やりはじめれば、周りも誘われてやるかもしれないから。そして会場が一体になって、盛り上がればきっところなのメンバーもうれしいはず。もっといい曲、パフォーマンスしようって思ってくれるはず。
そんなことしかできないからね。
雷鼓としてのハルくんにはたくさんのパワーをもらいました。
実際に会ったら、テレビでみるより小さくて。でもステージに立ったらすごく大きく見えました。ライブ前にハルくんと撮った写真を友達にみせたら「普通の人っぽい。オーラないんじゃ・・」という謎のメールが届きましたが、ステージ上ではとても手の届かないようなオーラを放っていました。ライブみてから言えや!と思いました。
そう、ライブ前にちょっと話をする時間もありましたが、聞きたいことは聞けませんでした。聞いてどうなることでもない、ただ1ファンのミーハーな質問なんか。「雷鼓のメンバーとは連絡取ってるんですか?」とか「給料いくらなんですか?」とか「雷鼓の時と今とどっちが楽しいですか?」とか「詞はちゃんと書けてますか?」とか「どんな部屋に住んでいるんですか?」とか「何時に寝てるんですか?」「寝るときはパジャマですか?」「好きな食べ物は?」「次、生まれ変わったらなにしたいですか?」・・・・wwww
結局さ、聞けたのは「最近帽子被ってないんですか?」とかそんなことだけ。最近は帽子被ってないんだってさw 雷鼓のときのイメージしかなかったから、BBキャップにスタジャン、中はBAPEのTシャツというハルくんがいたはずなんだけど、やっぱりアラサーになったハルくんはちょっと大人になったようですw そう。顔つきもALIVEの時とはずいぶん変わってきているとふと感じました。大人になったというか、おっさんぽくなったというか。でも、でも、それでもずっと変わらないものはハルくんの笑顔だと思います。ライブでも楽しそうに歌って、踊っているハル君が僕は好きです。だからこれからもずっところなでもそうあってほしいと願っています。
という、ハルくんへのラブレターですw
これを書こうと思ったのも、ライブで同じ雷鼓から好きだという方と話す機会があって「いつから好きなんですか?」という会話になって「いやーALIVEのとき聞いてて、それからしばらくきいてなくて・・・」という話をして、そういえば、雷鼓と自分の関わり・思い出でそうだったんだ!という再確認をしたことから始まりました。ライブ終わりに、これは一筆認めておかなくちゃと思ったんですが、長くなりそうだったので携帯ではちょっと無理・・・ということで、時間のあるときに・・・と温めていました。やっと今、書きました。単純に雷鼓といまのころなを比べてしまうことがいいことなのか悪いことなのかわかりませんが、雷鼓があったからころながあるということは紛れもない事実だと思うので。ただ雷鼓と同じことをやるんだったら、ころなとしての存在価値はなくなってしまいますし、ハルくんも「あの頃より、技術も上がっている」と話してくれ、今後もいろいろやりたいことがあるようなので、期待しちゃいます。
そして最期に、ハルくんが人のブログをこっそり垣間見ているということを知りました。そう、Tシャツをバッグからゴソゴソだして「これ・・・」と見せたら「あーこれが~あの~Tシャツですか~」というあたかも知ってたリアクション・・・・うれしい反面、なんだか恥ずかしくなりました。こんなクソブログを見ているなんて・・・w
だいぶ、長くなりましたが、とりあえず書きたいことは全部書いたので満足です。
だから、これは自己満足の記事ですw
おわりっ
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はじめて「雷鼓」を知ったのはアニメ「NARUTO」のエンディングテーマ。ちょっとセンチメンタルなメロディに心惹かれた。あれは2004年。今から7年も前の出来事。
7年前・・・ 自分は19歳・・・ 介護の専門学校に通っていました。
そう、中学校ではじめて老人ホームというものにいき、現実を目の当たりにした。クリスマス会のお手伝いでいった先で会の途中に「あー○○さん、ちょっとおトイレいこう」とスタッフにつれられたおばあちゃん。そしてそのおばあちゃんが座っていた椅子は水浸し。正確には水ではなかったのだけれど、普段、そういうことに慣れていなかったから完全に引いてしまって、そのことばかり頭にあって他のことなんかぜんぜん覚えていない。それから何年かして、そんなことも忘れた頃、高校でもまた別の老人ホームにいくことになった。今度は風船で遊んだり、一緒に体操したり・・・ 何度か定期的に行くようになって、次第に楽しいと思うようになった。そして高校3年の進路決定のとき、介護の専門学校があるということを知って、もうわき目も振らず、そこを受験した。
そして入学する。18の春。
毎日つまらない勉強ばっかり。数学・社会・理科とか本当に役に立つのかわからない教科よりかは、どこかで役に立つかも?という内容だったけれど、毎日毎日苦痛でしかなかった。高校のときの同級生が大学に進学して、いろいろと楽しいという話を聞いて、なぜか急に空しくなった。どうしてこの学校に来たんだろうか。どうして介護をやろうと思ったのか。考えても答えなんかでなかった。誰も教えてくれなかったし、そんなことを真剣に人に話せるほど社交的ではなかった。一人で思いつめて、毎日生きていた。そんなとき、高校のときに好きだったバンド「RIZE」の曲の歌詞を思い出す。
人がほしがるものとは言葉にできることのないもの
心残りになることならば、人の噂無視して 彼方
大切なもののために 自信もっていくしかない
「あぁ なんで」「あぁ なんで」「あぁ なんで」後悔ばかりの毎日。将来に希望なんてなかった。
正直言おう。高校時代は優等生で評定平均は4.8とかだった。国立の大学の推薦がもらえる基準が4.2~とかだったから、決して低くはなかった。担任にも「どうして大学いかないんだ」と何度も聞かれた。でも若かったし、周りが見えていなかったから「ただ介護がしたいだけ」と言っていた。今になって思い返せば、介護をするにしたっていろいろなアプローチがあって、大学で社会福祉士になってもよかったし、看護系の大学で看護士になってそれで介護をやってもよかったはずだ。でも知識も情報もなかった。ただそれしか見れなかった。だから後悔した。
「大学に行ってれば」
何度も何度も。
でも、雷鼓は歌う。
誰だって失敗はするんだ。恥ずかしいことじゃない。
ぼぉっとテレビを見ていた僕に一片のメッセージが届いた。
一回失敗したら終わりじゃないんだ?
生きている中で、失敗してもまたチャンスがあるんだ。って。
ハルくんの声を初めて聞いた時だった。
それでちょっと心は穏やかになった。CD買うお金がなかったから、レンタルしてきてMDに入れて、毎日毎日聞いてた。
それから雷鼓の次のシングル「Blush チャリンコぶっとばす」が発売され、テレビでもちらっとやっていたけど、ALIVEほど取りざたされることなく、通り過ぎていった。そしてテレビで雷鼓をみることもなくなって、いつしか僕の中から雷鼓の存在が消えていった。そして去年くらいに、久々に実家に帰ってきて「昔の曲とか懐かしい」と古いMDを聞いていたら「ALIVE」が流れた。「あれ?雷鼓ってどうなったんだろう」ということで、ネットで調べたら解散したという情報が・・・「そっか。残念やな」と思いつつ、YOU TUBEで「ALIVE」のPVを見たりしていたら、他の曲もいろいろと出てきて、暇なときに聞いてみた。
あれ?
あれ?
これも、これも・・・・全部いい。
そう。遅すぎた発見だった。
「雷鼓っていいな」
って思い始めたころ、「雷鼓動画」なるTV番組が放送されていたことが判明。北海道テレビが雷鼓を追いかけるドキュメント番組でぜんぶで50回くらいあったんだけど、それをYOU TUBEでひとつひとつ見ていった。雷鼓の始まりの場所。曲作り合宿。刑務所慰問。老人ホーム・保育園コンサート。東京レコーディング。深夜のミーティング。どうせ雷鼓動画でしょ。全国ツアー。マグマドライバー。学園祭。ボラ釣り。最高最高雷校祭。DJ NAKANO脱退。給料7万円。。。。全部見た。そしていろいろな雷鼓を知った。雷鼓をもっと好きになった。その原因は・・・
ハルくんの裏側。
ハルくんが歌詞を書けずに悩んでいる姿をずっと雷鼓動画は追っていた。そして新曲「マグマドライバー」の歌詞をすべてヒデミックスが書くことになったこと。そして、ライブにハルくんがこなかったこと。雷鼓を辞めようと思ったこと。給料が7万円だということ。そんな裏側を知ることができて、辛いのは自分だけじゃないんだって本当に心から思えることができた。そんなハルくんを見たからこそ「さんぽ道」「ありのままの唄」「ALIVE」の良さが痛いほど感じられた。正直言って、テレビに出ているようなバンドとか歌手の人たちってやっぱり別世界の人間で、ぱーっと曲を作って、詞を書いて、CD作って、それでたんまり金を儲けているというイメージが少なからずあった中で、こういうアーティストの「素」の部分を見れたことが、素直にうれしく感じた。同じ人間なんだって、感じられた。
もう雷鼓は活動休止。
雷鼓としての音楽はもう聞けないかもしれない。
でも、雷鼓があったからこそハルくんを知ることができ、そして雷鼓が終わったからこそ、ころなというバンドが生まれて、そしてころながライブをしたことで僕はハルくんと出会うことができました。
短い時間だったけれど、感じるものはたくさんありました。
勝手に雷鼓のときのイメージをバックグラウンドに重ねて、ステージのハルくんを見ていました。正直言えば、雷鼓のときの曲、とくに「さんぽ道」とか「ありのままの唄」とかをまたころなでも唄ってほしいと思ってしまう部分もあるけれど、また違うステージを歩き出したハルくんは、もっと違う何かを僕に届けてくれると信じています。雷鼓のライブは一度もいったことがありません。理由は上に書いた通りですが、映像で見る限り、北海道や東京でやったライブは満員でお客さんもみんなとても盛り上がっていました。ころなのライブはまだ閑散としています。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、この前のライブでも4バンド出演でバンドが変わるたびに、ファンの人たちも立ち位置を変えて、好きなバンドのときはみんな前のほうにいって・・・という感じでしたが、ころなの時の最前列は5人でした。横は空いているのに。そして2列目がいなくて、3列目から後ろにさっきまで盛り上がっていた人たちがいました。ライブの途中にハルくんが
「あと一歩前に来てください。お願いします」
って、言っていた。なんだか切なくなった。こんなこと言わせたくないのに・・・そんなこと言わなくても、幕が開いたらみんな前につめて窮屈なくらいになればいいのに・・・と、心から思ってしまった。みんなが棒立ちのまま曲を聴いていて、僕もそうせざるを得なかった。最期にハルくんがギターを弾きながら、腕を振り上げて、無言で「みんなもやって~」って感じで先導してくれたら、そこからはちょっとずつ腕を振ったりしていましたが、それも最期の2曲だけ。なんだか淋しいライブでした。なんだか悔しい思いでした。ハルくんはこんなにも頑張っているのに、どうしてみんなわかってあげないんだ!って思いました。勝手なおせっかいです。でも周りが棒立ちの中で、一人で飛び跳ねたり、腕を振ったり、声をかけたりするのはできない小心者です。でも、次回はやります。一人やりはじめれば、周りも誘われてやるかもしれないから。そして会場が一体になって、盛り上がればきっところなのメンバーもうれしいはず。もっといい曲、パフォーマンスしようって思ってくれるはず。
そんなことしかできないからね。
雷鼓としてのハルくんにはたくさんのパワーをもらいました。
実際に会ったら、テレビでみるより小さくて。でもステージに立ったらすごく大きく見えました。ライブ前にハルくんと撮った写真を友達にみせたら「普通の人っぽい。オーラないんじゃ・・」という謎のメールが届きましたが、ステージ上ではとても手の届かないようなオーラを放っていました。ライブみてから言えや!と思いました。
そう、ライブ前にちょっと話をする時間もありましたが、聞きたいことは聞けませんでした。聞いてどうなることでもない、ただ1ファンのミーハーな質問なんか。「雷鼓のメンバーとは連絡取ってるんですか?」とか「給料いくらなんですか?」とか「雷鼓の時と今とどっちが楽しいですか?」とか「詞はちゃんと書けてますか?」とか「どんな部屋に住んでいるんですか?」とか「何時に寝てるんですか?」「寝るときはパジャマですか?」「好きな食べ物は?」「次、生まれ変わったらなにしたいですか?」・・・・wwww
結局さ、聞けたのは「最近帽子被ってないんですか?」とかそんなことだけ。最近は帽子被ってないんだってさw 雷鼓のときのイメージしかなかったから、BBキャップにスタジャン、中はBAPEのTシャツというハルくんがいたはずなんだけど、やっぱりアラサーになったハルくんはちょっと大人になったようですw そう。顔つきもALIVEの時とはずいぶん変わってきているとふと感じました。大人になったというか、おっさんぽくなったというか。でも、でも、それでもずっと変わらないものはハルくんの笑顔だと思います。ライブでも楽しそうに歌って、踊っているハル君が僕は好きです。だからこれからもずっところなでもそうあってほしいと願っています。
という、ハルくんへのラブレターですw
これを書こうと思ったのも、ライブで同じ雷鼓から好きだという方と話す機会があって「いつから好きなんですか?」という会話になって「いやーALIVEのとき聞いてて、それからしばらくきいてなくて・・・」という話をして、そういえば、雷鼓と自分の関わり・思い出でそうだったんだ!という再確認をしたことから始まりました。ライブ終わりに、これは一筆認めておかなくちゃと思ったんですが、長くなりそうだったので携帯ではちょっと無理・・・ということで、時間のあるときに・・・と温めていました。やっと今、書きました。単純に雷鼓といまのころなを比べてしまうことがいいことなのか悪いことなのかわかりませんが、雷鼓があったからころながあるということは紛れもない事実だと思うので。ただ雷鼓と同じことをやるんだったら、ころなとしての存在価値はなくなってしまいますし、ハルくんも「あの頃より、技術も上がっている」と話してくれ、今後もいろいろやりたいことがあるようなので、期待しちゃいます。
そして最期に、ハルくんが人のブログをこっそり垣間見ているということを知りました。そう、Tシャツをバッグからゴソゴソだして「これ・・・」と見せたら「あーこれが~あの~Tシャツですか~」というあたかも知ってたリアクション・・・・うれしい反面、なんだか恥ずかしくなりました。こんなクソブログを見ているなんて・・・w
だいぶ、長くなりましたが、とりあえず書きたいことは全部書いたので満足です。
だから、これは自己満足の記事ですw
おわりっ
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