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「高桑氏族」 覚書(54)

2013-01-23 09:45:36 | 歴史

土岐氏と高桑氏(3)

室町時代(1)

室町時代と言えば、室町幕府初代将軍・足利尊氏が先ず挙げられるのは当然であるが、第3代・足利義満は、50年余も続いた南北朝内乱を終息させ、所謂「南北朝合一」(明徳3年・1392年)を成就し、早くも室町幕府の最盛期を現出させたのは衆知の事実である。

義満は、壮麗な「花の御所(室町殿)」営む一方で、京都北山の地に豪壮な山荘を造営した。その山荘の一部が、一般に「金閣寺」と呼ばれる「鹿苑寺」であるのも、良く知られている。

義満は、その勢威を万全に保つ為、南北朝時代に力をつけた有力守護大名の制圧に乗り出した。その対象にされたのは、土岐氏・大内氏・山名氏であった。義満が挑発した「土岐氏の乱」(後述)では、高桑氏も巻き込また。そして土岐氏は、3ヶ国守護職が1ヶ国に削がれてしまった。

山名氏は、実に11ヶ国という大大名であったから、義満の標的にされない筈はなかった。土岐氏と同じ伝で制圧されてしまった(「明徳の乱」・明徳2年・1391年)。実は山名氏の本姓は、新田氏である。南朝の新田義貞と同祖であったが、山名氏は北朝に属して、11ヶ国も獲得していた。

新田氏の始祖・義重の長男・義兼は、上野国新田郡の嫡流家を継ぎ、義重の3男・義範は、上野国山名郷(群馬県高崎市の西に接す)に「山名城」を築き、山名氏を名乗って始祖となった。その子孫・山名時氏は大躍進を遂げ、守護職全国一と言われる大勢力となって、義満に狙われてしまった。

画像は、「花の御所(室町殿)」
京都北小路室町

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