土岐氏と高桑氏(4)
戦国時代(7)
「美濃諸舊記」 (前回の続き)
道三、城下に着きて、自分真先(まさき)に進んで、鎧の袖を翳(かざ)し、必死となりて、少しも緩めず、短兵急に攻め動かし、難なく塀を乗越え乱入して、城方の兵を数多(あまた)突伏せ、十分に打勝ち、既に落城に及びぬ。
爰(ここ)に於(おい)て、頼純の臣下共、主君を諌(いさ)めて曰(いわ)く、天なるかな、命なるかな(これは天命である)、味方不意を討たれ、殊に勢(せい)微小にして、防禦の手術(手立て)薄く、空しく敗戦に及べり。
一戦にして、甲斐なく(たった一戦の敗戦だけで自害とは、その値打ちに乏しい)、逆臣の為に、御生害(ごしょうがい、自刃)杯(など)あらんも、歎(なげ)かわしく、無念と存じ奉る。
再戦を志して、一先(ひとま)づ城を落ち給うて、重ねて御誅伐(ごちゅうばつ)あらん事、然るべく候はん(最善である)といふに、頼純も詮方(せんかた)なく、是(これ)に髄(したが)ひ、主従僅(わずか)にて、城を立出(たちい)で、直に隣国越前に落行き、朝倉を頼み、一乗谷に蟄居(ちっきょ)せり。
写真は、「土岐氏館址石碑」
土岐氏中興の祖・第4代・土岐頼貞の「一日市場館跡碑」
岐阜県瑞浪市土岐町
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