戦国時代(8)
武山氏と高桑氏(1)
大永7年(1527年)8月、高桑城代・高桑才左衛門が、本城・川手城救援で、敵の斎藤道三・土岐頼芸を相手に戦っている時(覚書62・63)、高桑城留守居役の武山氏が、高桑氏を裏切り、道三に内通して、高桑城を占領してしまった。
この戦いに敗れた土岐頼純と従う高桑氏は、再起を目指し、朝倉氏を頼って越前一乗谷に落ちて行った。これによって武山氏は、以後40年近くも高桑城主となっていた。
この武山氏は、実は後述の通り、高桑氏の一流であり、本姓は高桑氏であった。
こうして道三と頼芸は、手を組んで高桑氏を高桑城から追放したが、その3年後の享禄3年(1530年)、道三は美濃守護・頼芸を美濃から追って、道三による美濃支配を完成させた。
美濃を追われた頼芸は、零落の身となって、各地を彷徨(さまよ)い歩く有様であった。頼芸は武将としては、「闇将」の謗(そし)りを受けたが、土岐氏歴代のDNAを受けて、文化人しては、書画を初めとする天賦の才能に恵まれていた。特に瞠目させられるのは、鷹の絵で、「土岐の鷹」として珍重されている。下の絵を見ても、武将と言うよりも、正にプロの画家である。
写真は、「土岐の鷹」
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