本屋タカクラの日記

野良(放浪)書店員の日常 25年あちこちの書店で働いた元書店員で現在ライターのタカクラミエです。

8年ぶりのブックオカ 星野博美さんトーク

2022-11-25 09:33:24 | ブックオカ


ブックオカとわたくし。
(写真は、カフェ&ギャラリー キューブリックでの星野博美さんのトークイベント)
 同居人が発症したのは2014年の11月10日の午前2時ぐらいのこと。ブックオカ9年目の会期中だった。前々日の8日には末井昭さんのトークイベントがあり、忘羊社藤村氏と二人で聞き手を務めたのだった。
 ブックオカの期間中は何かと外出することが多く、子らだけを置いて夜間家を開けることはできないので、京都から同居人の母上を毎年召喚していたのだが、子らが大きくなったことと、同居人’母上の負担が大きすぎる(息子に呼ばれて福岡までやってくるが、なんのおもてなしもされず、嫁は二人の子を置いてしょっちゅう家を留守にし、だいたい大酒飲んで午前さまなので翌日もあんまり使い物になんねえ)ので、ここ数年は召喚せずにいた(正直に言えば、お誘いするが断られた)。昼間のイベントなどには子連れで行き手伝ってもらったりもしていたが、夜間のイベント時は同居人が早めに帰ってきて、独身時代からお世話になっている中華料理店で夕食というパターンが多かった。子らも高1と中1になっていたので、夕食だけ用意すれば子らだけでの留守も大丈夫だったが、そのへんは同居人が心配性なので、大人がいない家で夜を過ごさせることはなかったと思う。
 実行委員をつとめてはいたが、打ち合わせなどの事前の夜の会合には出るのを見合わせていた。夜間に外出したあとに子ら(おもに下の子)の調子がちょっとくずれたり、なにか異様に甘えっ子になったりと、気になることが重なり夜間に外に出るのがよくないのかなあと(気のせいかもしれんが)思ったのだ。しかしその子も中1となれば、親なんかたまにはいないほうがせいせいする(はず)である。テレビも好きに見れちゃうしね。
 と思い始めた矢先に同居人が脳梗塞の治療中に脳出血を起こし、それは随分と重篤なことで、外科手術により命は助かったが脳の両側にダメージを負い両上下肢マヒという後遺症が残った。そして自宅に戻り今にいたるのだが、24時間介護者が必要な状態なので、わたしは簡単に外出できなくなり、ブックオカのことはなにひとつ手伝いすら難しくなったのだった。
 そして8年。今年のブックオカには星野博美さんがいらっしゃるというではありませんか! 5年まえにもいらしたのだが、そのときは夜の外出なんて夢のまた夢だったが、今年は大学を卒業した長男が自宅に戻ってきている。もしかしていけんじゃねえか!? と画策しだしたのが2ヶ月ほど前のことだった。



ブックオカとわたくし。2
 画策と言っても、長男ミエゾウに、「すいません、11月19日の土曜日に夜出かけたいんですけど、いいですかね?」と聞くだけなんだが、その間の同居人のあれこれを全部任せるということだ。同居人を誰かに託して家を夜空けたことはこれまで一度だけで、夕食介助のヘルパーさんが帰ったあとの夕食後から入眠までの2時間〜2時間半の間の介護をミエゾウに頼んで古巣の職場のOB宴会に出かけたのだった。それが去年で、7年ぶりのことだった。イベントに出るとなると夕方から出ないとだし、夕食の準備も必要だ。もちろんミエゾウはこころよくオッケーしてくれて、わたしは遠足を待ち望む子供のようにウキウキして過ごしていた。でもせっかくお会いするのだから、星野博美さんの新刊だけでなく既刊もちょっとおさらいしとこうと『コンニャク屋漂流記』(現・文春文庫)を読み始めたら面白くて面白くて、星野さんの大叔母(にあたるのかな)のかんちゃんの話には、ちょっと声が出た「ロドリゴ以前以後て」(腰が砕ける)。
 そしたら、なんと前日トークをしてくださった角田光代さんと星野博美さんがその日のお昼を福岡でご一緒なさるとのことで、そこに混ぜてもらえることになったのだ! ミエゾウに「すいません、19日お昼前から出てもいいですかね?」とオズオズと申し出て快諾をもらったのだ。一昨年わたしが入院していたときは、大阪から帰ってきて父親の介護をしていたので一通りのことはできる。ただ、それから細かいことが加わったり省かれたりと変化しているので、それらをマニュアルとしてレポート用紙2枚にまとめて申し送りをして、まだ読んでなかった角田光代さんの新刊『タラント』(中央公論新社)を、いろんなものを薙ぎ倒して読んだ。星野さんの『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)は、星野さんの祖父の手記をもとに五反田を読み解といていく物語であり、そこには避けようもなく戦争が浮かび上がる。『タラント』も、主人公みのりの祖父とみのりの甥の3世代の人生を交差させながら「戦争」を描いていて、決して偶然ではないだろうそのテーマの共時性に1人でふるふると震えたのであった。



ブックオカとわたくし。3 (写真は、お櫛田さんから天神方面に向かう途中にいた宇宙猫)
 星野博美さんのトークイベント当日の朝。前夜は夜間体位交換のヘルパーさんが入らなかったので、0時半と2時半と5時にわたしが体交し、6時40分に目覚ましが鳴る。そこから家を出る11時まではいつものルーティンをこなしながら、息子の夕飯も作ってしまって家を出る。出る前に指差し確認、『タラント』は持った。サイン(書いていただくようの)ペン2種類は持った。マスクの替え、アルコール消毒用スプレー、差し上げる用の『平成ロードショー』2冊(に、出版のいきさつを書いた「眼述記」のコピー)、忘れちゃいけない前夜に新しく作った名刺(いまどき名刺は家で作れるからいいですな)。よーっし、と出かける。家をでること5分。あれ? せっかくお会いするのだからと父親の家に預けていたのを急遽送ってもらっておいた星野さんの『転がる香港に苔ははえない』とか、お師匠さんの橋口譲二さんの『ベルリン物語』とか共著の『対話の教室』とかは!? まるっと忘れとるやん。きびすを返しつつ息子に電話「すみません。本を忘れました」とタイトルを言って、駐車場まで持って降りてきてと頼んだ。指差し確認までしたのに。いつも何かを忘れるのである。
 気を取り直して、急に重たくなったトートバックを背負い直し、いざ!
 昼食の会場はお櫛田さん近くのお蕎麦やさん信州そばむらたである。本当に便利になったものである。ぼんやりと場所を頭にいれて出かけて必ず迷う、という人生を45歳くらいまで送ってきたのだが、そのあたりでスマホという恐ろしい機械を手に入れた。もう道に迷うことはないのだ! だってスマホに地図が入ってるもん。
 何を隠そう、わたしは超がつくほどの方向音痴なのだ。ブックオカの記念すべき第一回2006年のトークゲストは都築響一氏で、ホテルまでの道案内をわたしが仰せつかった。『TOKYO STYLE』(現・ちくま文庫)時代からのファンだからだが、ホテルの位置を家のパソコンのマップで確認してきたはずなのに、自分が思っていた角を曲がっても目的のホテルは無くて同じところをぐるぐる回ったのだった。都築さんと2人で。憧れなのに。
それでたいへんに反省をしたはずなのに2008年のブックオカの書店員ナイトで「本屋大賞」の実行委員さんをゲストにお迎えしたときに、またもや会場の博多百年蔵を探し求めて見当違いの方向に連れて行こうとして同行のブックオカ実行委員に空手チョップを見舞われた(嘘)のだった。
 8年ぶりのブックオカのイベント参加なので記録にちょっと残しておこうと思ったのに、なかなかイベントの会場に辿り着かないのは、迷い癖が抜けないせいなのかもしれない。スマホ持ってるのに。

ブックオカとわたくし。4
 信州そばむらた は有名なお蕎麦屋さんだ(たぶん)、有名でなくとも店名を入れればたいていの場所は示してくれるGoogleマップさまの偉大なことよ。もちろん家のパソコンで場所を調べてだいたいのことは頭に入れてでかけてますよ。最寄は祇園駅だ。地下鉄駅で注意しないといけないのは、自分が何番出口から出るつもりで、その出口は地図上のどこなのかということだ。地上に出た瞬間に、頭に入れた地図上のどこに出てきたのか皆目見当がつかない場合が多々あっていきなり迷うのである。でもそれで迷うのは過去のわたしである。お櫛田さん近くのキャナルシティ博多の本屋さんで4年も勤めていたので土地勘もある(はず)。万が一のことがあっても秘密兵器スマホがある。なんなら声にだして案内してくれる機能もある。
 とか前置きしてるのはもちろん地上に出た途端、どこに出てきたかわからなかったからなのだが。慌てず騒がずスマホを開く。「吹けよ風、呼べよ嵐」が頭の中を鳴り響く。勝利へのファイティングポーズ。笑い出しそうになるのを堪えてマップを開く。あら、ちょっと字が見にくいわね。スマホって便利ね、二本指でぱっと拡大できるのよ奥様。
奥様知ってます? スマホのマップって拡大しても字はちっとも大きくならないんですのよ。頭の中の音楽がたちまちしょぼーんと停止する。忘れてた! 久しぶりすぎて忘れてた老眼にGoogleマップは役にたたねえ。コンタクト入れてるから究極技、<裸眼で見る>がつかえねえ!! 
慌てるな、声のナビがある!

「南西方向に100m」

南西方向がわからねえ!!!

書いてて、ちょっと疲れました。



ブックオカとわたくし。5
 老眼にスマホのマップの文字は辛いという話だが、近くが見えないなら遠くを見よ、である。で、遠くを見たら博多駅が見えた。それでだいたいの位置関係がわかったので、櫛田神社方面に歩き出す、そしたらどっこい、マップの、それだけはよく見える現在地マークがナビの道筋と逆方向にいくではありませんか(驚愕)。近くも遠くも信じられない。しかし、小さい文字は見えないが、いま自分はナビの指し示す道と反対方向に向かったことだけはわかった。きびすをかえす。
 まあ、そんなすったもんだがあって予定通りの時刻にお蕎麦屋さんに到着。角田さんと、忘羊社藤村氏と西南学院大学の田村先生と学生Mさんの四人で、飛行機に乗り遅れた(!)という星野博美さんの到着を待ちつつ昼食。信州そばむらたの二八蕎麦がびっくりするほど美味しくてびっくりする。つるっつるに喉越しがよくて、そしてもちもちの大好きな硬さ。今まで食べたお蕎麦の中で一番美味しかった。
 編集者の仕事とは何ぞやとか、南方熊楠がお金持ちのおうちの出だとか、縦横無尽に貴重なお話を伺いつつ一同食べ終わった頃に星野さん到着で、何年ぶりかにお会いになる2人が会えて良かったということでお櫛田さんへそぞろ歩きつつ記念撮影などし、おりしも行われていた結婚式の集合写真に混ざりそうになりつつ、通り過ぎた。通り過ぎてほどよく離れたところで、振り向いて星野さんがその結婚式の集合写真の皆様をスマホのカメラでパチリと撮っているところを目撃して真似してわたしもパチリ。
 角田さんには、『タラント』を読んで、アフガニスタンで井戸を掘っていた中村哲先生のおっしゃっていたことと同じことを言われた気がしたとお伝えしたけれど、うまく伝えられなかったかもしれない。中村先生は、何十年も、アフガニスタンで、医者なのに井戸を掘っているのは何故かと問われると「出会っちゃったから」と言われていたという話と芯のところで同じことが書いてあると思ったのだ。
 東京に帰る角田さんとお別れして、夜のトークまで時間があるので一同もそれぞれに散っていく。天神北の方のホテルに一旦荷物を置きに行くという星野さんとも別れるが、わたしは特に予定も入れてなかったので(天神に来るのも久しぶりだから行きたいところはあったが)、星野さんのホテルまでお迎えにあがりましょうかと提案する。どの口でそんな提案ができるのかわたしは。と思ったが、もう口が言っていた。
 せっかくお会いしたのに、迎えに行けば2人でお話しすることができるじゃないかと、わたしの下心が口からでたのだった。


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