ブックオカとわたくし。6

星野さんと別れたあとで藤村氏が「せっかくやから箱崎宮に面白いものあるし、5時半くらいにきてくれたら僕案内します」と言う。「馬」に夢中になるあまり蒙古軍に興味がふくれあがっているらしい星野さんに見せたいものがあるという。じゃあ、そのように提案してみましょう、とばかりに別れるまえに交換した携帯番号にショートメッセージを送る。「タカクラです。藤村さんが箱崎神宮にぜひご案内したいとのことなので5時にお迎えにあがります。かまいせんでしょうか?」
星野さんに了承いただいて、KBCシネマに向かうという田村先生について行き、『裸のムラ』(五百旗頭幸男監督)を見ようと思うが、田村先生に「え? それ見たいやつです」と言いながら横目に入ったのが福岡アジア美術館。金カム(ゴールデンカムイ)展やってる!! 映画の方はもう上映が始まっている時間とのことなので、金カムに行くことにし、田村先生と別れを告げる。金カムは原画の迫力と、資料にされたアイヌの衣装や道具の展示がよかった。ウエブで全話公開の時に読んだのを、現在紙のコミックを買って読み直し中なのだ。


展覧会を見終えて小一時間の時間があったので、「本のあるところajiro」でお茶を飲むことにする。ブックオカ「激オシ文庫フェア」が開催中のはずだ。藤村興晴氏の激オシ、中井久夫『「伝える」ことと「伝わる」こと』(ちくま文庫)が目に付く。12月のNHK100分de名著のテキストは中井久夫だ。美味しいアイスコーヒーをいただいて、星野さんのホテルへ向かう。どんなに目をこらしても読めないマップの文字を薄目で眺めながらホテルを通り過ぎ、戻ってちゃんと5時数分前にホテルのロビーに到着した。57年も生きたので、「なにかはやらかす」のだから早めに着いとく、という知恵だけはなんとか身につけた。

中井先生の本に、「はじめに」の冒頭から随分と刺される。
<私は、治療者は患者の代弁者であってよいと考えている。一般社会の側からの要請と患者への治療的誠実との間に引き裂かれると、治療者は実りのない苦悩に追い込まれる。>
患者の家族からは、患者の肩ばっかり持って、的なことを言われることも少なくないそうである。そのときは、じゃあ誰がほかに患者の肩を持ってる人がいますかときくと家族はようやっと納得してくれるのだそうだ。
同居人がまだ入院していたころ、脳の機能がどこまで阻害されているのか、後遺症はどんなふうに残っているのかさっぱりわからなかった時期のことだけど、妄想のようなことを言ったり、理不尽なことを言ったり(言うといっても、文字盤の文字を目で示すのだけど)して、どう反応していいのかわからないことがあった。寒いから(感覚異常という後遺症があった)
「病院のエアコンの温度設定をあげるように言って、あげてくれないと金を払わない」
と、病院に言えというのだ。病室のエアコンは切るわけにはいかないけど吹き出し口に段ボールを貼り付けて同居人の方向に風が来ないようにはしてくださっていたし、毛布や布団をかけてはいたが、寒すぎるというのだ。(本当にそれでエアコンを温度を上げたりしたら、今度は熱中症のお年寄りが出てきちゃう)
「寒いというのは、病気の後遺症で寒く感じてるだけど本当は室温は高いし、あんたは汗だくやで」と言っても、病院に言ってこいときかない。この人は、こんな理屈もわからなくなってしまったんだろうか、これも後遺症なのだろうか。と考えていて、ハタと思ったのだ「後遺症で正しい判断ができなくなっているんですよ」と仮に医者から言われたとしたら、じゃあ、この人の言うことを全部無視してもいいということになるのだろうか。
ならんだろう。
じゃあ、わたしは、いったい何を悩んでいるんだろう。後遺症だったらなんだというんだろう。寒いと言うからには、寒いのだ。もちろん、じゃあ、病院の偉い人のところに乗り込んで言って「金ははらわんぞ!」と恫喝するわけにはいかないが。
ブックオカとわたくし。7
「本のあるところajiro」さんを後にして、ホテルに向かう。ひっそりとしたロビーの椅子に腰掛けて、降りて来られるのを待つが、なにかガタイのいい男性の集団が到着し一気にロビーが密密になる。朝食券などを配られている30代〜40代のガタイのいい男性の20人くらいの集団。何の集団か、と妄想を始めたところで星野さんが登場。妄想は始まることなくホテルから出る。地下鉄の天神駅の方まで戻ればいいのだから、こっちの方向だと地図などは見ずに(見ても見えないから)、星野さんのご案内するべく先にずんずん行くが天神の北(街の中心地より少し外れた場所)から天神の中心地に向かっているはずなのに、どんどん寂しい感じになっていく。ど、ど、どうしたことか、何かが間違っている。「あれ、なんか‥‥」ということを口に出したかもしれない。
星野さんが
「駅のほうに戻ればいいんですか? それならこっちです」
星野さんの案内にて無事に地下鉄天神駅に降りる口を見つけ、「地下に降りたらもう完全にわかります」(地図を見なくても)と胸をはる。迷っている間にも、なぜゆえに橋口譲二さんのお弟子さんになったのかなどの意外なきっかけなどを伺い、最初に読んだのは『ベルリン物語』なのだときいて、わたしが大好きな本だったので嬉しがっていた。星野さんは1966年生まれなので、一つ年下なのだが早生まれで学年は同じだった。丙午なんですよ。あ、人数が少ない‥‥。そう! なんて会話を交わしながら、その日はまだ「馬の帝国」http://gakugei.shueisha.co.jp/yomimono/uma/01.html
の第一回を読んでいなかったので、その会話に重大な秘密が隠されていようとは思ってもみなかった。(ぜひみなさん読んでみてください。目が白目になります)
午後5時半に地下鉄箱崎宮前(はこざきみやまえ)駅にて待つ藤村氏と合流。藤村さんが見せたかったのは、筥崎宮楼門に掲げられている扁額である。夕闇にライトアップされて浮かび上がる楼門はそれだけで美しかった。ひとっこ1人いない状態(いた、参拝者が1人)で、夜にここを見上げたのは初めてのことだった。

ブックオカとわたくし。8
筥崎宮の扁額の言葉「敵國降伏」の意味を考えつつ、トーク会場のカフェキューブリックへ向かう。キューブリック箱崎店さんに行くのも8年ぶりだ、と言いたいところだが、九大病院に入院&通院している関係上、結構ちょこちょこ来ているので、それは嘘である。ただ2階のカフェに入るのは8年ぶりだった。店主大井さん(ブックオカ実行委員長)に会うのもほぼ8年ぶり。同居人が倒れたときに病院まで見舞ってくださって以来である。ネット上や新聞記事などで活躍を目にしているので、久しぶり感はこっちにはぜんぜんなかったが。
星野さんはキューブリックさんが初めてなので、興味津々でお店を見て回られている。わたしもやっぱり本屋さんに来たら買う予定がなくても棚を見てしまう。そしてずっしり重いトートバッグをさらに重くしてしまうのだった。伊集院光『名著の話』(KADOKAWA)ともっちもちのパン(キューブリック箱崎店にはパン工房BKベーカリーがあり、そこで焼いたパンが一階の書店の中で売られているのだ)を自動的に買う。
トークが始まるまえに2階のカフェ部分にあがり、椅子やテーブルの配置などを手伝おうとするが、8年ぶりの幽霊ブックオカ実行委員(委員長の次に年寄りなのに)なので、まったく役に立たない。受け付けを藤村さんに頼まれるが、受付表の氏名の一覧が見えるかどうか一瞬不安になり覗き込む。読めた。大丈夫。しかし、その不安を鋭く見てとった(のかどうか)カフェのスタッフのかたがさっと引き取ってくださった。自分のロートル具合が身に沁みる。迷惑を(なんとか)かけてないだけでもヨシとし、トークについているドリンク券でクラフトビールをオーダーし観客に徹することにした。
ビールがうめえ。染み込む。いろんなものと共に。
ブックオカとわたくし。9
眼述記の締め切りの週なので、誰からも頼まれない文章を書いてる場合ではないのだが、忘れないうちに。
星野博美さんのトークがいよいよ始まる。の前に、登壇まで数分客席に座っている私の横に来てくださり、少し話す。すっごい面白い話を伺い手帳にメモ「銀行強盗のたとえ」。すっごい面白かったはずなのに1ミリも思い出さない。誰か!!助けて。メモを書いたので安心したせいかビールのせいか。老化か。
2時間半のトークがあっという間だった。
星野さんが当日福岡に向かう飛行機に乗り遅れた顛末から。寝坊だったらしいのだが、どうしたらいいのかと「ANA 遅刻 どうしよう」で検索したら、アドバイスがネット上で見つかったのと、これまでの旅の経験から「とにかく人と話そう」と思い、羽田で人がいるカウンターに並び人に話したら、次のチケットに無料で振替えてもらえたのだそうだ。通常の手続きを踏むならキャンセル料などを払わないといけないやつである。
中国の旅などでもそうなのだが、理不尽な目にもたくさんあうけど、今回のように「神のような人」が現れて助けてくれるのだそう。
トークはA面パートで、『世界は五反田から始まった』(ゲンロン)についての話があり、 B面パートでは集英社のサイトで連載している「馬の帝国」
http://gakugei.shueisha.co.jp/yomimono/uma/list.html
についての話。
A面では、自分は五反田の話を書いたけれども、誰の故郷にも通じる話であると思うので、「自分を題材にしてみなさんじぶんのことを考えたら面白いんじゃないですかという提案のような話」とのことであった。しきりに福岡は面白い、と言っておられた。印象に強く残ったのは「戦争を語りたくはなかった。準備ができてないと思っていた」という言葉。星野家は幸運なことに戦争で亡くなった人がいないのだそうだ。そんな立場で書けることがあるのだろうかと。工場で作る部品は戦時中は戦争に使われていたことも、星野さんのなかで「罪悪感」のようなものとなっていたらしい。
星野さんの本には常にこの「罪悪感」が拭いきれずある。香港にいるときは「戦争の加害者側だった」という意識。
『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)を書いたときにはスルーしていた戦争のことは心残りだったそうだ。
「声を大にして言いたいのは、NHKの番組「ファミリーヒストリー」よりも、『コンニャク屋漂流記』の連載の方が早かったということです!」と笑っていた。
家族の歴史を調べるのはお寺と墓石をまず調べること。あとお仏壇の中の過去帳は案外あてにならない。なぜなら、星野家の過去帳には星野さんのおばあちゃまが「友達」の名前やら「動物」の名前を書き込んでいたから(それは星野家特有の問題では?とちらっと思ったが、最近同居人(という名の夫)の実家ではお位牌行方不明事件などが起きているらしいので、まあそんなもんか)。

ブックオカとわたくし。10(最終回)
星野博美さんトークはB面に移り、なぜ「馬」なのか、馬との出会いは五島の自動車学校にいた5頭の馬。五島で免許取得合宿することになったいきさつや、もともと丙午の生まれであること。馬という動物が好きなことなど。五島での話は『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)に詳しい。五島に興味なくても馬に興味なくても免許に興味なくても面白いから読んで(逆に、なんでそんなになにもかもに興味がないのかキミは。キミって誰やねん)。
車にも乗って馬にも乗ってるな、なんて考えたら「馬って乗り物」ということに気づく。馬に乗っているのは誰だろうと考えると、昔は圧倒的に兵士だった。というところから馬がいる地域の歴史が気になり、旅行もモンゴル、トルコ、スペイン、南相馬、と馬がいるところばかりになっていったそうだ。
聞き手を務めた忘羊社の代表、藤村興晴氏の合いの手や質問も面白かった。
星野さんが飛行機に乗り遅れて慌てていたのは、前日のブックオカ&西南学院大学のトークイベントで福岡入りされていた角田光代さんとの再会を果たすという目的があったためである。朝、乗り遅れたという一報が入ったおりに、藤村さんは角田さんのほうに「のっぴきならぬことが起こり、遅れるやもしれませぬ」的なことをお伝えしていたらしいのだが、昼食会場にだいぶ遅れて到着した星野さんが、到着するなり「寝坊しました」にひっ、とすぐに真実を告げたため、「僕ののっぴきならぬという言い訳がだいなしに‥‥」と言いつつも、その星野さんのケロっと感がとてもよかったし、「星野家は<生き延びろ>というまえむきさがある?」と藤村氏が質問し、星野さんが遊牧民系(漁師)だからと答えて、今日は飛行機遅刻、昨日はsuicaをなくすという失敗をしたが、座右の銘「5分落ち込め、あとは立ち上がれ」を思い出していたそうだ。
盛況のうちにトークは終わり、ライブ配信を聞いていた人からの質問なども入り、終了後はサイン会が行われた。会場に来ていた実行委員で読婦の友の徳永圭子さんが後ろからにゅーっと現れて、すごい忙しくて八面六臂の彼女に会うことは貴重な機会なので星野さんのトークにきて一粒で二度も三度も美味しいのだった。噂だけ聞いていた流しの編集者O河氏に初めてお会いし、共通の知人が多いので打ち上げ会場では昔話でちょっと盛り上がった。その知人が、星野さんの本に関係があったりもしたので、夜分なのにメッセンジャーを飛ばして「のんでまーす」とかやって、もうアホの酔っ払いである。すみません。
書評を連載している雑誌『のぼろ』(西日本新聞)の編集者でもあるW気さんとも初めてゆっくりお話しし(たぶん、というのはすごい昔に酔っ払って会ってるかもしれないから)たり、キューブリック店主の大井実行委員長のパンク話(ライブで盛り上がって、ブルーノートに殴り込みをかけた話。その殴り込みは「このレコードをかけろ!」とパンクのレコードを持ち込むなど)でまた盛り上がる。(どうかしてるな)
ほどよく終電がなくなった頃に帰路につき。家でもう一杯やってからばったりと眠りましたとさ。
翌日、星野さんと志賀島や西新の防塁など蒙古軍に関連のある場所をめぐっている藤村氏に『世界は五反田から始まった』の最後のところの、空襲を受けた工場を再興するぞと決意したおじいさまの手記のところの顛末が本当に大好きですと伝えて欲しいとメッセージする。ニマっ、と笑ってくださったそうだ。