Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

私が描いたパソコン画(4)

2005-04-26 22:40:47 | 美術・音楽
飛騨高山を観桜旅行してきた友人 Y.S がメールで送ってきた写真は、ちょっと時代離れした山村の長閑な小川の情景をとらえていた。


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飛騨高山 宮川中橋畔の桜
(撮影; 友人Y.S.)


撮影者自身は「緑映紅」と書き添えていた。そのメールを受け取った別の友人 N.O. がやはりメールで、杜牧の七言絶句「江南春」を書き送ってきた。


江南春         杜牧
千 里 鶯 啼 緑 映 紅
水 村 山 郭 酒 旗 風
南 朝 四 百 八 十 寺
多 少 樓 臺 烟 雨 中



その写真を画像処理して油絵風にしてみると、ますます明治の油絵といった雰囲気になってしまった。タイトルは「千里鶯啼緑映紅」とすることにしよう。


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千里鶯啼緑映紅
飛騨高山 宮川中橋畔の桜


内藤嵐雪に

沙魚釣りや 水村山郭 酒籏の風  嵐雪

という句がある。

写真の撮影者には「千里鶯啼緑映紅」のほうが頭に閃いたらしいけれど、日頃酒を愛してやまない私は「水村山郭酒旗風」でもよいのではないかと思う。向岸の木陰の下に見える白壁の民家に、「酒旗」を描き加えるとするか。


平凡社「世界大百科事典」CR-ROM版から
杜牧 (803‐852か853)

中国、晩唐の代表的文学者。京兆万年(陝西省)の人。祖父杜佑は宰相を務め、政治制度史『通典』の著者としても有名。太和2年(828)の進士で各州の刺史を歴任し、中書舎人に終わった。

「十年ひとたび覚む揚州の夢,贏(か)ち得たり青楼薄倖の名」と歌う七言絶句『遣懐』によって風流才子の典型とみなされがちだが、剛直な政治姿勢を反映した、現実に対する鋭敏な認識が『阿房宮賦』など多くの作品を貫く。

更に、軍事学にも興味を示し、『孫子』の注釈を残した。

散文の方面では韓愈、柳宗元が復興させた古文に評価を与え、四六文が一般的だった晩唐期にあって異彩を放った。

詩では杜甫を最も尊敬した。「李杜浩浩たるに泛(うか)び,韓柳蒼蒼たるを摩す」という賞賛は、彼の批評家としての炯眼を物語る。殊に七言絶句に優れ、「江南春」、「山行」、「秦淮に泊す」など人口に膾炙した作品が多い。後人は杜甫を「老杜」、杜牧を「小杜」と呼ぶ。

『樊川文集』20巻が伝わる。

碇豊長の詩詞世界」によれば、杜牧のこの詩は平仄から見ると七言絶句と呼ぶには少々問題があるようだ。

また、「南朝四百八十寺」、「多少樓臺烟雨中」などというわけであるから、この詩にはもっと壮大な視野の広がりがあるのかとも思われる。

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