私がブログを始めてから、今日(5月1日)でようやく2ヶ月目に入った。日数ではまだ25日にしかならないが、さまざまな経験を積むことができたと思っている。これまでにブログにエントリーする上で気付いたことが幾つかある。それらを思い出すまま、前後脈絡なくここに書き留めておくことにしよう。
まず、私自身にとっては、何のためにブログをやるのかということがもっとも重要であるように思える。けれども、ブログを初めて25日経っても、このことはまだはっきりとは掴めないでいる。
ブログは確かに極めて便利な仕組みではある。自分の頭脳の中もすっきりとしてくる。未知の人々との有益なコミュニケーションも増えてきたように思われる。けれども、まだブログ本来の機能を使いこなしていないと自分自身感じられ、何のためにブログをやるのか、ということについてすっきりと表現できる心境にはなれないでいる。
ブログを始めた当日(2005年4月6日)、私は「ブログを始めた」というエントリーを書いた。その中にも書いた通り、私はブログを「自分のペースメーカーとして役立てることにしたい」と考えていた。決してコミュニケーションを活性化するためだけにブログを始めたわけではなかった。
その後、私は4月15日に「ブログを始めて10日経った」というエントリーを書いた。そこに「日記」というものがIT技術によってどのように進化してきたかについて私なりの考え方を書いた。その箇所をここに再び掲載しておこう。
ブログを始めて10日経った からの抜粋
パソコンの出現以降、日記はワープロソフトで書くものと考えられていた時期が長かった。その頃の日記は、一ヵ月分を一つの文書ファイルに纏めて保存していたものだった。その頃はまだハイパーリンク機能などなかったし、たとえあったとしても、自分のパソコンの中のディレクトリー構造が整備されていなかったから、ハイパーリンク機能などを使いこなせるものではなかった。だから、文書ファイル形態のその頃の日記は、機能的に見て「紙の日記帳」とほとんど変わりなかったといえよう。
その後、電子メールが普及してくると、日記は電子メールの形態にしておくのがもっとも便利だということがわかってきた。その日の日記を一つのメールに書き上げ、自分自身に宛てて送信しておく。受信した自分自身のメール(日記)は、一つのフォルダに集めて保存しておくのだ。日付は本文の中に書き込むが、それとは別に送受信時刻を表わすタイムスタンプが自動的に打たれる。
日記をHTMLメール形式で書くと、写真やイラストを入れることも自由自在だ。写真やイラストばかりか、音声ファイルなどのさまざまな種類のファイルをメールに添付させることもできる。しかも、HTML形式のメールではこれらのデジタルデータはメール本体の中に取り込まれ、これらさまざまな種類のデジタルデータの保存庫の代用にもなる。また、検索についても、多様な検索項目についてきめ細かく検索することができ、しかも至って容易なのである。
しかしながら、メールの形態にした日記にも弱点がないわけではない。電子メールにはメールから他のメールへというメール相互間ハイパーリンクがやれないという大きな欠陥がある。昨日の日記の記述のリンクを今日の日記中に貼っておきたいと思っても、そういうことはできない。個々のメールを指定する位置情報が存在しない。これがメール形態の日記の最大の欠点ということになるだろう。
ブログの機能はウェブの機能そのものである。だから、あるエントリーから別のエントリーへという相互間ハイパーリンクが自由自在にやれる。従って、昨日のエントリーの記載のリンクを今日のエントリー中に貼っておくことができる。その反対に、今日のエントリーの記載のリンクを、遡及して過去のエントリーの中に貼り込むことさえできる。こうして、人間の思考経路に従い時間軸上を自由自在に行き来して、思考や行動におけるフィードバックやフィードフォワードが自在にできるわけである。
つまり、ブログという形態の日記に到達して初めて、これを「ハイパーダイアリー」と呼ぶことができるようになったのではあるまいか。ブログには確かに他者とのコミュニケーションを惹起してくれる機能も備わっている。けれども、自分自身の思考と行動を時間軸上で動的に結びつけてくれる「ハイパーダイアリー」の機能のほうに私はより大きな魅力を感じる。だから、コミュニケーションを活発化させるためだけに自分のブログスタイルを変えるわけにはいかないと思っているわけである。
ここでは、紙に書かれた日記 → ワープロ(ワープロソフト)で書かれた日記 → 電子メールに書かれた日記 → ブログ(ハイパーダイアリー) という私自身の日記における歴史的変遷遷があることを紹介している。これはIT技術の進歩により、古来からの日記というものの上に突然もたらされた変化であった。
私はハイパーリンク(Hyper Link)という機能を、これまでの日記に新たにもたらされた諸技術の中でもっとも重要なものと位置付けている。将来ハイパーリンクを超えるもっと重要な技術が生まれてこないとは限らない。けれども、いまのところはハイパーリンクがブログにおけるもっとも重要な技術であろう。ブログではすべてのエントリーに自動的にトラックバックURLが付けられるので、相互関係を縦横に組み立てていくことが可能となる。
トラックバックという仕組みは他者のブログとの関連を付けるためのものらしいが、私は自分自身の過去のエントリーとの関連を付ける上で役立てている。そもそも日記とは過去の自分と現在の自分との間のコミュニケーションなのだから、トラックバックという機能についてもそういう役立て方が自然なのだろうと思う。他人とのトラックバック・コミュニケーションは過去の自分を超えたところにあるのだ。
しかしながら、今回改めて「ブログの歴史」を読んでみると、ブログは電子掲示板(BBS)から発展してきたものらしい。ブログが日記から発展してきたものではないことは、私も当然そうだろうなと思っていた。だが、電子掲示板(BBS)からどうして個人が運営するブログに向うことになったのか。ブログを個人の日記とする考え方にはどこか無理があるのか、そのあたりのことについては私もこれからもっと深く究明していきたい。
それにしても、人はなぜ日記など書くようになったのだろう。そして、せっかく書くのに、その日記を他人に読ませたがらないのはなぜだろう。書いているときは他人には読ませたがらないが、いずれは他人にも読ませたいから書いているのではないか。
そこでブログのことになるが、ブログだとなぜ他人に読ませたがるのだろうか? ブログ発祥の経緯が電子掲示板(BBS)に由来しているからだろうか?
まず、私自身にとっては、何のためにブログをやるのかということがもっとも重要であるように思える。けれども、ブログを初めて25日経っても、このことはまだはっきりとは掴めないでいる。
ブログは確かに極めて便利な仕組みではある。自分の頭脳の中もすっきりとしてくる。未知の人々との有益なコミュニケーションも増えてきたように思われる。けれども、まだブログ本来の機能を使いこなしていないと自分自身感じられ、何のためにブログをやるのか、ということについてすっきりと表現できる心境にはなれないでいる。
ブログを始めた当日(2005年4月6日)、私は「ブログを始めた」というエントリーを書いた。その中にも書いた通り、私はブログを「自分のペースメーカーとして役立てることにしたい」と考えていた。決してコミュニケーションを活性化するためだけにブログを始めたわけではなかった。
その後、私は4月15日に「ブログを始めて10日経った」というエントリーを書いた。そこに「日記」というものがIT技術によってどのように進化してきたかについて私なりの考え方を書いた。その箇所をここに再び掲載しておこう。
ブログを始めて10日経った からの抜粋
パソコンの出現以降、日記はワープロソフトで書くものと考えられていた時期が長かった。その頃の日記は、一ヵ月分を一つの文書ファイルに纏めて保存していたものだった。その頃はまだハイパーリンク機能などなかったし、たとえあったとしても、自分のパソコンの中のディレクトリー構造が整備されていなかったから、ハイパーリンク機能などを使いこなせるものではなかった。だから、文書ファイル形態のその頃の日記は、機能的に見て「紙の日記帳」とほとんど変わりなかったといえよう。
その後、電子メールが普及してくると、日記は電子メールの形態にしておくのがもっとも便利だということがわかってきた。その日の日記を一つのメールに書き上げ、自分自身に宛てて送信しておく。受信した自分自身のメール(日記)は、一つのフォルダに集めて保存しておくのだ。日付は本文の中に書き込むが、それとは別に送受信時刻を表わすタイムスタンプが自動的に打たれる。
日記をHTMLメール形式で書くと、写真やイラストを入れることも自由自在だ。写真やイラストばかりか、音声ファイルなどのさまざまな種類のファイルをメールに添付させることもできる。しかも、HTML形式のメールではこれらのデジタルデータはメール本体の中に取り込まれ、これらさまざまな種類のデジタルデータの保存庫の代用にもなる。また、検索についても、多様な検索項目についてきめ細かく検索することができ、しかも至って容易なのである。
しかしながら、メールの形態にした日記にも弱点がないわけではない。電子メールにはメールから他のメールへというメール相互間ハイパーリンクがやれないという大きな欠陥がある。昨日の日記の記述のリンクを今日の日記中に貼っておきたいと思っても、そういうことはできない。個々のメールを指定する位置情報が存在しない。これがメール形態の日記の最大の欠点ということになるだろう。
ブログの機能はウェブの機能そのものである。だから、あるエントリーから別のエントリーへという相互間ハイパーリンクが自由自在にやれる。従って、昨日のエントリーの記載のリンクを今日のエントリー中に貼っておくことができる。その反対に、今日のエントリーの記載のリンクを、遡及して過去のエントリーの中に貼り込むことさえできる。こうして、人間の思考経路に従い時間軸上を自由自在に行き来して、思考や行動におけるフィードバックやフィードフォワードが自在にできるわけである。
つまり、ブログという形態の日記に到達して初めて、これを「ハイパーダイアリー」と呼ぶことができるようになったのではあるまいか。ブログには確かに他者とのコミュニケーションを惹起してくれる機能も備わっている。けれども、自分自身の思考と行動を時間軸上で動的に結びつけてくれる「ハイパーダイアリー」の機能のほうに私はより大きな魅力を感じる。だから、コミュニケーションを活発化させるためだけに自分のブログスタイルを変えるわけにはいかないと思っているわけである。
ここでは、紙に書かれた日記 → ワープロ(ワープロソフト)で書かれた日記 → 電子メールに書かれた日記 → ブログ(ハイパーダイアリー) という私自身の日記における歴史的変遷遷があることを紹介している。これはIT技術の進歩により、古来からの日記というものの上に突然もたらされた変化であった。
私はハイパーリンク(Hyper Link)という機能を、これまでの日記に新たにもたらされた諸技術の中でもっとも重要なものと位置付けている。将来ハイパーリンクを超えるもっと重要な技術が生まれてこないとは限らない。けれども、いまのところはハイパーリンクがブログにおけるもっとも重要な技術であろう。ブログではすべてのエントリーに自動的にトラックバックURLが付けられるので、相互関係を縦横に組み立てていくことが可能となる。
トラックバックという仕組みは他者のブログとの関連を付けるためのものらしいが、私は自分自身の過去のエントリーとの関連を付ける上で役立てている。そもそも日記とは過去の自分と現在の自分との間のコミュニケーションなのだから、トラックバックという機能についてもそういう役立て方が自然なのだろうと思う。他人とのトラックバック・コミュニケーションは過去の自分を超えたところにあるのだ。
しかしながら、今回改めて「ブログの歴史」を読んでみると、ブログは電子掲示板(BBS)から発展してきたものらしい。ブログが日記から発展してきたものではないことは、私も当然そうだろうなと思っていた。だが、電子掲示板(BBS)からどうして個人が運営するブログに向うことになったのか。ブログを個人の日記とする考え方にはどこか無理があるのか、そのあたりのことについては私もこれからもっと深く究明していきたい。
それにしても、人はなぜ日記など書くようになったのだろう。そして、せっかく書くのに、その日記を他人に読ませたがらないのはなぜだろう。書いているときは他人には読ませたがらないが、いずれは他人にも読ませたいから書いているのではないか。
そこでブログのことになるが、ブログだとなぜ他人に読ませたがるのだろうか? ブログ発祥の経緯が電子掲示板(BBS)に由来しているからだろうか?