今日は、阪神淡路大震災から15年目の日です。
テレビでも新聞でも震災の特集をしていました。
当時、小学校5年生。
福井にいたので、震災と言っても、テレビの報道とかで見る現実のみでした。
でも、自分の進学した大学は神戸市東灘区。
まさに震災で被災した地域でした。
すでに校舎は新築ばかりで、綺麗なキャンパスで生活しました。(震災に耐えた美術部の部室もスゴイですが)
でも、まだまだ地震の爪痕は残っている時でした。
長田区の友達の家に行った時、長田の街は不自然な空き地だらけ。
まさに地震の復興真っ只中の時間を感じました。
あの印象は自分に深く突き刺さりました。
美術部つながりのサークルで、神戸のメリケンパークで、かき氷屋をやったイベントも、震災復興のイベントでした。
神戸で生活して、自分は被災していないけれど、震災、復興と言うフレーズがすごく身近になりました。
この震災で、多くの命が失われた現実は忘れてはなりません。
語り継ぐ、何かの形で残すのは自分たちの役目かもしれません。
テレビでも新聞でも震災の特集をしていました。
当時、小学校5年生。
福井にいたので、震災と言っても、テレビの報道とかで見る現実のみでした。
でも、自分の進学した大学は神戸市東灘区。
まさに震災で被災した地域でした。
すでに校舎は新築ばかりで、綺麗なキャンパスで生活しました。(震災に耐えた美術部の部室もスゴイですが)
でも、まだまだ地震の爪痕は残っている時でした。
長田区の友達の家に行った時、長田の街は不自然な空き地だらけ。
まさに地震の復興真っ只中の時間を感じました。
あの印象は自分に深く突き刺さりました。
美術部つながりのサークルで、神戸のメリケンパークで、かき氷屋をやったイベントも、震災復興のイベントでした。
神戸で生活して、自分は被災していないけれど、震災、復興と言うフレーズがすごく身近になりました。
この震災で、多くの命が失われた現実は忘れてはなりません。
語り継ぐ、何かの形で残すのは自分たちの役目かもしれません。
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