風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

62 駒形堂吾嬬橋

2007年02月01日 | 今昔 江戸名所百景 
62 駒形堂吾嬬橋

この絵の左下に見えるのが駒形堂である。
右側の材木は、駒形堂の近くには材木屋が多く有った。
堂の筋向かいに紅屋百助という、白粉や紅などの化粧品を売る小間物屋があり
長い竿の先に赤い布をつけて宣伝していたのが見える。
駒形堂の屋根越しに見える橋は、安永03年(1774)に架けれた吾妻橋。





現在の駒形堂は、浅草通りの真中から移動された。
駒形堂は地下鉄銀座線『浅草』の駅を出てすぐにある。
右に見える青いアーチ型の橋は吾妻橋ではなく、駒形橋。
駒形堂と吾妻橋を一度に見ようとするなら、少し高い所からではないと
難しそうだ。




東は隅田川、西は奥州街道に面して建っていて、
堂内には馬頭観音が祀ってあった。
江戸時代には、馬の保護神として、また、旅の安全を守る神として広く崇敬を受けていた。

また昔は、浅草寺の総門があり、浅草観音を舟で参詣しに来た人は、駒形堂近くの河岸で船を降り、総門を潜り並木道を歩いて浅草寺に向かった。


吾妻橋(大川橋)
安永03年(1774)浅草花川戸町の伊右衛門と、下谷竜泉寺町の源八が架けた橋
長さは84間
民間で架けた橋のため通行料を取った。通行料は、人・馬は2文、武士は無料だった。




駒形堂 台東区雷門2-2-2
『浅草寺縁起』によると、創建年代は朱雀天皇時代の天慶5年(942)で建立者は
安房守平公雅(あわのかみたいらのきみまさ)

名称の由来には
1-隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が駆けているようなので「駒駆け」の転訛(『江戸名所図絵』)
2-観音様へ寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼んだのが訛る(『燕石雑誌』)
3-駒形神を相州箱根山から勧進したのにちなむ。(『大日本地名辞典』)
これらの説がある。
本尊は馬頭観世音菩薩。
当時の堂の位置は、現駒形橋西詰道路中央付近。
堂は関東大震災で焼けた。 
台東区教育委員会 
看板より引用



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