古社を訪ねて


大阪・奈良の『古き神々との出会い』

43 往馬大社

2007-07-18 | 大和国

奈良県生駒市壱分に鎮座する往馬大社
駐車場あり
式内社

往馬神社
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〔往馬大社由緒〕

神社名
『古い書物や古文書によると神社名は、往馬坐伊古麻都比古神社、胆駒社(いこましゃ)、往馬大社、生馬大明神、生馬八幡宮、行馬社、生馬神社、生駒大宮、等多様でありますが現在は往馬坐伊古麻都比古神社と往馬大社の二通りに称しています。

御祭神
伊古麻都比古神(産土大神)、伊古麻都比賣神(産土大神)、気長足比賣尊(神功皇后)足仲津都比古神(仲哀天皇)、譽田別尊(応神天皇)、葛城高額姫尊(神功皇后の母君)気長宿称王尊(神功皇后の父君)、この他にも境内に摂社十四社、境外に摂社六社が合せ祀られています。

神社の歴史
当社の正確な創立年代は明らかではありませんが、大神神社や石上神宮と同じように生駒山を神体山(御神体)として祀られた日本で最も古い形態の神社でありますので、おそらくこの生駒谷に人々が住み始めた太古の頃から生駒地方の守り神としてこの地に存在いたしました。歴史書物の中で往馬大社に関する最も古いものは、『総国風土記』の中の「伊古麻都比古神社、雄略三年(四五八年)」とあるものです。また、正倉院文書の、『大倭國正税帳』(七三〇年)や『新抄格勅符抄』(八〇六年)にもその記載が見られ、奈良時代より崇敬厚き神社でありました。更に『延喜式』(九二七年)には「往馬坐伊古麻都比古神社二座 并大月次新嘗」とあって、当時の日本全国の官社(二、八六一社)の中でも最高位の官幣大社(案上幣、一九八社)に列せられていました。当社の御祭神は本来、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神の二柱でございましたが、その後鎌倉時代の八幡信仰の隆盛に伴い五柱の神を合祀して、本殿御祭神は現在の七柱となりました。

火燧木(ヒキリギ)の神
平安朝の書物である『北山抄』や『元要記』、『亀相記』等には「火燧木神」の記載が見られ、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神は古くから火の神としても尊ばれていました。我国最大の祭祀であり、歴代天皇の御即位の大祀である踐祚大嘗祭に用いられる火燧木は、代々往馬大社より献上したもので、今上陛下の大嘗祭にも、橿原神宮で行われた紀元二、六〇〇年祭にも当社の火燧木が御使用されました。このような歴史の元に、毎年十月十日十一日の両日に執り行なわれる往馬大社の御例祭(火神祭)は壮大な火祭として、市内近郊はもとより遠方からも多数の参拝者があり、また古くから龍田大社の風神祭、廣瀬神社の水神祭と共に朝廷の深い信仰を受けてまいりました。』

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁




往馬大社 御由緒書

「往馬坐伊古麻都比古神社」


往馬大社の御神体の生駒山と般若窟(右の尖がり)

ひとこと
お気に入りの神社。。。

「郷土探訪」






42 神岳神社

2007-07-18 | 大和国

奈良県斑鳩町神南に鎮座する「神岳神社」
駐車場なし
式内社

神岳神社

「神岳神社が鎮座する三室山」

御祭神
須佐之男命
大己貴神



「神岳神社の縁起」



ひとこと
拝殿で柏手をすると、気持ち良い風が吹く~
本殿を写そうとすると、またまた風がビューと吹く~
大変気持ちよく参拝できた。

鎮座地の神南は、神奈備のことだろう。

「郷土探訪」




41 楢本神社 

2007-07-18 | 大和国


奈良県生駒郡平群町梨本の「楢本神社」 

南向き 駐車場なし
式内社

楢本神社
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御祭神
菊理姫命
『延喜式』に雲甘寺坐楢本神社とあり、旧社地には雲甘寺と神社があった。

現地案内板
「楢本神社」



いつも綺麗に掃かれている境内

ひとこと
境内綺麗に掃かれていて、申し訳ない気分になり忍び足にて参拝した。
東側にも鳥居があるのだが、旧社地は住居で見えない。

「郷土探訪」




40 平群神社

2007-07-16 | 大和国

奈良県生駒郡平群町西宮に鎮座する平群神社
南向き 駐車場なし
式内名神大社

平群神社
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由緒記

本社御祭神  大山祇神
境内社御祭神 天照大神

由緒
御祭神大山祇神は山野を司どる神で、平群氏の祖武内宿根が神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰を集め今日に至る。
延喜式神名帳に「平群神社五座(並大。月並、新嘗)」とあり神宮寺としても龍華山西宮密寺があった古い社格の神社である。
秋季大祭10月15日

社頭掲示板より

鎮座地西宮について
平群神社は俗に西宮とも呼ばれている

ひとこと

神社は集落内に鎮座しており、車は近くの道の駅に駐車してこのあたりは古墳も多いので、神社参拝&古墳巡りもいいかも?

「郷土探訪」



39 生駒山口神社

2007-07-14 | 山口神社

奈良県生駒郡平群町櫟原に鎮座する生駒山口神社
西向き 駐車場あり
画像の橋は、神前橋
式内社

生駒山口神社
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御祭神
素戔鳴命 櫛稲田姫命

この生駒山口神社は別名「滝の宮」と呼ばれた。
旧社地は、西南の”モリサン”と呼ぶところに鎮座してあったらしく参拝した日は、時間がなかったので行けなかったが、是非、旧社地にも行ってみたいと思う。
またこの山口神社は、神武天皇が長髄彦征伐の折に、雨を祈られた伝承がある。
水神と山口の神とは、深い繋がりがあると思う。
奈良県の神社の特徴として、○○山口神社が多いことである。
「延喜式神名帳」には、大和国には十四社となっていていずれも大社である。
山口の神は、大和国にとって重要な意味を持っていたのでしょう。

「由緒記」


禊場の櫟川渓流 
昔は、ここで禊をしてから参拝したのだろう。
(神前橋の北側より)

「御幣が彫られた岩も・・・」

ひとこと
鳥居前で、いつものように地元の人と話をする。
こちらに来て30年と言っていたが、かなり郷土について詳しくて40分ほど話し、神社参拝していて、地元の人の話しを聞くのも「神社探訪」の楽しみである。

鎮座地櫟原について
櫟の木が自生していたところかな?

「郷土探訪」





38 紀氏神社

2007-07-12 | 大和国

奈良県生駒郡平群町上庄に鎮座する紀氏神社 西向き
駐車場あり
式内社

紀氏神社
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御祭神
都久宿禰
天児屋根命
天照大神
八幡大菩薩
御祭神は上記となっているが、現地の由緒書きにもあるように本来は紀氏の祖神を祀っていたのでしょう。

「紀氏神社」



平群坐紀氏神社由来

『祭神 天照大神、天児屋根命、都久宿祢、八幡大菩薩。
例祭 十月 第一日曜
紀氏は紀伊国を本拠とし、大伴とも関係の深かった古代豪族で、紀角宿祢は平群木菟宿祢(都久)の弟である(古事記)また平群町三里の三里古墳は和歌山県紀の川沿岸に分布する石棚を有した古墳と同形式であり紀伊との関係がうかがわれる。当社は俗に辻の宮、椿の宮と称し、江戸時代初期の石灯籠には春日大明神と刻んである。』

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁





座小屋は、いつまでも保存していただきたいものだ


中世は、春日社と称していたらしい

ひとこと
何故この平群の地に紀氏なのか興味深いが、神社名に”氏”を使った式内社も珍しいと思う。
(因みに藤井寺市林には、伴林氏神社が鎮座)
また名神大社とのことなので、この地での紀氏の勢力が他氏より抜きん出ていたのかもしれません。

「郷土探訪」





37 棚機神社

2007-07-07 | 大和国


今日は、七夕の日 奥田蓮取り行事のあと葛城市の棚機神社に行って来ました。
棚機神社の前の道は、よく利用するのですが、去年、七夕時期に通りかかって飾り付けが綺麗だったので、来年こそは、七夕の日に行こうと決めていました。



棚機神社



たなばたじんじゃ
■鎮座地:葛城市太田1371番地
■祭神:(言い伝えによると)天棚機姫神
■葛城市太田小字七夕の中央北よりに鎮座し、糸の神様として古くから一部の近在の人に、細々と崇拝されてきた。「タナバタサン」と呼ばれる古い祠が祀られる。

■葛城市太田から山手の伏越(ふしごえ)方面へ上がって行くと、「棚機の森」と呼ばれるところがあります。言い伝えによると、昔、この場所に葛木倭文坐天羽雷命神社があったと言われており、現在は木立の中に棚機神社と呼ばれる石の祠が置かれ、織物の神様である天棚機姫神が祀られているそうです。

■7月7日、この棚機神社において「七夕祭り」がささやかに営まれました。普段は訪れる人もなく、岩橋山を背に、大和平野を見下ろす傾斜地に静かに鎮座する神社ですが、この日は笹飾りで華やかに彩られました。

ひとこと
一年間、この日を待っていた。
また、一年後だな。。。
子供の願い事は、大人のように欲深くない。

今日の七夕は、大和高田市奥田で「蓮取り行事」が行われた。

「郷土探訪」



36 片岡神社

2007-07-05 | 大和国

奈良県北葛城郡王寺町に鎮座する片岡神社 東向き
式内名神大社に比定されている
駐車場なし
式内社

片岡神社

「片岡神社」

御祭神
天照大神
表筒男命 中筒男命 底筒男命 品陀別命 清滝大神


由緒書きにも書いている摂社


神社の裏手にある放光寺

ひとこと
鎮座地の片岡には、聖徳太子の片岡山の飢人の伝説が残る。
鳥居前は、小学校のグランドとなっている。
参拝した時は、お婆さんがお孫さんと参拝に来られていた。
3歳ぐらいだろうか、真っ先に拝殿に走って来て一生懸命参拝していた。
道路の向かいは聖徳太子所縁の達磨寺(駐車場あり)があります。