古社を訪ねて


大阪・奈良の『古き神々との出会い』

35 舟戸神社

2007-06-26 | 大和国


奈良県北葛城郡王寺町舟戸に鎮座する舟戸神社 西向き
駐車場なし(神社前に駐車場がありますが近隣の住民の駐車場)

舟戸神社



御祭神
久奈那戸大神 天児屋根命

「舟戸神社」





ひとこと
境内には年間行事予定が立てられていた。
境内も綺麗に掃かれていた。
近くの池は”岩才池”である。(西和署の横の池)


参拝後、鳥居越しに見える正面の山を探索することにした。

船戸渡について
大和川にあった渡し名。
江戸期より明治14年の信光橋架橋に至るまで北葛城郡王寺町船渡(舟戸)集落内に位置した。
「大和志」に「船戸ノ渡 在王寺村済竜田川於平群郡惣持寺村」とある。
古くは大和川の北岸を奈良街道、南岸を太子道や当麻道・三輪街道が通り、大和盆地南西地域への渡渉地であった。

「郷土探訪」





34 白山神社

2007-06-24 | 大和国

奈良県川上村の白山神社
駐車スペースあり

御祭神 白山姫神
白山大権現とも称する

由緒 延喜2年(902)6月加賀の白山神を勧請、東川東部に創祀されたが、永正3年(1506)11月、大南若宮五社明神へ奉移、文禄4年(1595)8月、当村(東川)の氏寺である運川寺鎮守とされ、宝暦年中(1751ー64)氏神十二社神社(烏川神社)の摂社として分祀されているが、旧祠と境内はそのまま残され「白山さま」として、今も中井上垣内組の人々に祭られている。



燈篭には、白山大権現と書かれている。


背後の磐

33 火幡神社

2007-06-08 | 大和国


奈良県北葛城郡王寺町畠田に鎮座する「火幡神社」 南向き
式内社

「延喜式神名帳」に火幡神社〔名神大・月次・新嘗〕とあるように大変由緒ある式内名神大社の古社である。

御祭神 天照皇大神 天児屋根命 玉依姫命 息長帯比売命 品陀和気命

火幡神社





ひとこと
神社の周りは住宅に囲まれてしまっているが一歩神域に入ると大変気持ちの落ち着く神社であった。
何度でも、参拝したい神社である。
鎮守の森には、幾つかのベンチが置いてあって近隣の人達の憩いの場なのだろう。

現地の由緒書にも書いてあるように当初の祭神は、布織りの人達が信仰していた祭神だったのだろう。
このあたりは、聖徳太子所縁の地で、機織りと言えば、秦氏。
もしかしたら鎮座地の畠田は秦氏かもしれない。


「郷土探訪」













31 尼寺 厨神社

2007-06-05 | 大和国


奈良県香芝市尼寺に鎮座する「尼寺 厨神社」

由緒として、明治初期の「神社明細帳」には、「大和志ニ尼寺邑厨祠乃火幡神社摂社他トアルハ当社ヲ指スナリ」となっているようなので、この神社は、火幡神社の境外摂社かもしれない。
もしそうだとしたら古社である。

厨神社

近くの史跡、尼寺廃寺跡から坂道を登る事3~4分の所に鎮座する。
駐車場なし



「本殿は、東向き」



摂社の絵馬堂の奥に鎮座する「天満宮」南向き











30 六県神社

2007-06-02 | 大和国


奈良県川西町保田に鎮座する「六県神社」

六県神社



御祭神 高市命 葛木命 十市命 志貴命 山辺命 曽布命 
穂雷命の説もある。

もと六社権現、六社明神、保田明神と呼ばれた。旧村社 東向き
六面の神鏡が掛けられたことから六懸神社と呼んでいたのを後になって六県神社に改められたようだ。

曽我川の右岸に鎮座し、境内には神宮寺であった富貴寺がある。
2月の御田植祭は、子出来おんだとして民俗的に貴重である。



鎮座地 保田について
保田の名は、六県神社の一説の祭神名なる「保沼の神」より転訛とも言われる。

保田は環濠集落としても知られる。