泉佐野市日根野に鎮座する「日野神社」式内社
駐車場 観光組合の駐車場あり 御手洗あり
長い参道が続くこのあたりで中間付近
日根神社は和泉国五社の一社で、社地が当地域の灌漑の取水点であったので、中世には九条家領日根荘の惣社として崇敬を集めた。
やっと拝殿が見えてきた。
【創建のいわれ】(神社より頂いた栞より)
日根神社は大井関大明神と称して、延喜式や国内神名帳にも名がでている古い神社です。神社の創建にはいくつかの伝承があります。
(1)神日本磐余彦(神武天皇)が紀伊熊野から大和に入る途中、日根野の地に神を祭り戦勝を祈願したのがこの神社のはじまりとします。
(2)神功皇后が朝鮮との戦いの帰途、岡本の船岡山に上陸し、皇后に助力し共に帰ってきた神を祭ったのが溝口大明神(比売神社のこと。現在は日根神社摂社)で、この神社が日根神社のはじまりといわれます。
(3)樫井川流域を開発した日根造は、新羅からの渡米人の子孫で「神祇志料」にはこの日根造が日根神社の主神として先祖の億斯富使主を祭ったとされています。慶長7年の日根神社縁起由来には「当社大明神ハ古三韓新羅国修明正覚王一天四海之御太子ニテ」とあり、この説をとっています。
(4)天武天皇の時代に大鳥神社より分霊を勧請し神殿を造ったのがはじまりといわれます。
御祭神
鵜葺草葺不合尊 玉依比売命 このニ神は神武天皇の祖にあたり、合わせて五瀬命、若御毛沼命(神武天皇)など四王子を祀ります。
他に億斯富使主(日根造の祖で新羅より渡来)などを祀ります。
末社として五社と十五の社を合祀した十五社があります。
その社は天神、稲荷、賀茂、八幡、金比羅、愛宕、多賀、吉野、春日、熊野、祇園、熱田、恵比須、安産、住吉です。(安産?)
「日根神社本殿」
本殿の左側に少し見えるのが、明治に合祀された新道宮(祭神 菅原道真)
本殿の数百メートル東南に千石岩があったらしく樫井川を堰き止めていたが洪水を恐れて破砕したそうだ。
【神社の歴史】
伝えられる由緒から推測すると、最初に樫井川から水を引き、上之郷と日根野の一部を開発した人たちが溝口大明神(比売神社)を祭り、後に新しい井堰・水路をつくり大規模に樫井川流域の開発をすすめた豪族(日根造)が樫井川の水を押さえる重要な場所に大井関大明神(日根神社)を祭り、やがて溝口大明神を吸収したのでしょう。そして大鳥神社などと共に和泉国を代表する神社になっていきます。
(1)奈良時代716年(霊亀2年)、河内国より和泉国が分かれた時、大鳥、穴師、聖、積川、日根神社を和泉五社とし、井上大明神を五社合祭の総社とし、720年(養老4年)に五社の神輿を総社に集め盛大な祭りをおこないました。
732年(天平4年)に大旱魃がおこり和泉五社に降雨祈願が命じられ、その効果があって、神領6800石が与えられ、その内500石が日根神社に分けられたとされています。
905年(延喜5年)に延喜式が施行され、その神名帳に記載された神社を式内社といいますが、泉佐野では比売、日根神社とともに加支多、火走、意賀美神社が式内社となります。
(2)鎌倉時代に日根野は九条家の荘園となり、溜め池や水路がつくられ開発が進み、日根神社は大井関大明神の名で呼ばれるようになります。1316年の日根野村絵図には溜め池、耕地、集落のほかに大井関大明神、溝口大明神、丹生大明神、蟻通大明神が描かれています。
(3)南北朝の動乱の時代になると、この地方の武士である日根氏も守護方に加わり戦いに参加し、すぐ近くの土丸城は南朝、北朝の争奪の城となり、何回も合戦がおこなわれます。1353年(正平8年)には兵火により社殿がことごとく焼かれました。しかし2年後に再興されます。
(4)戦国時代の1500年ごろ、大井関大明神で盛大な祭礼がおこなわれていることが、日根荘の領主九条政基の日記「旅引付」に書かれています。戦国時代末になり、日根神社は朱印地(500石)を受けますが、織田信長、豊臣秀吉は統一のために根来寺や一向宗徒を攻撃します。日根氏は秀吉に従います、そのため1576年(天正4年)に兵火により炎上します。1585年(天正13年)には秀吉により神領地が没収されました。この年より和泉五社の神輿会合は中止されます。しかし、その遺風は各神社で受け継がれ、日根神社では岡本村の船岡山への神輿渡御が始まったとされています。
(5)1600年(慶長5年)豊臣秀頼は吉田半左衛門を奉行として社殿を再興します。これが現在の本殿です。1687年(貞享4年)岸和田藩主岡部美濃守は水田一町余を寄進します。春の祭礼で幟の行列が船岡山まで華やかに渡御します。
(6)現在は日根野、上之郷、長滝地区の総社となっています。これらの地区の人たちは、それぞれの地区の神社(野々宮、意賀美、蟻通神社など)の氏子でありながら、日根神社の氏子であるという二重氏子となっています。
明治に合祀された丹生神社と式内比売神社
合祀社
明治41年に明治政府の一村一社の命令によって、日根野村の集落毎にあった神社はすべて日根神社に集められました。しかしこれらの神社は日根神社とは別に、現在も宮座を持ち神社の行事を行っています。
丹生神社 (野々宮) 旧日根野村の神社で”ゆ川”沿いに鎮座していた。
御祭神 丹生都比売
野口恵比須神社 日根野野口に鎮座していた。
御祭神 事代主命
岡前神社 旧俵屋村に鎮座していた。
御祭神 素盞鳴命
赤之宮 日根野辻花に鎮座していた。
御祭神 丹生都比売
鎮座地日根野について
日根野氏は別称を根使主ともいい、堺市の日部神社鎮座地の大鳥郡草部郷にも居たらしい。
日部神社は”日神”を祀っていたと思うので日根神社も”日神”の太陽信仰をされていたかもしれないし祭神の玉依姫命は水と縁があるので水神の地だったかもしれない。
参拝は時より小雨模様の天気だったので、ゆっくり参拝できなかった。
参道は長く「日根の松原」で有名だったらしいが今は参道沿いには、工場が建ち並び残念だった。
次回は、神社付近の地形も踏まえて参拝したい。
「郷土探訪」