古社を訪ねて


大阪・奈良の『古き神々との出会い』

9 志貴県主神社

2006-11-27 | 河内国

藤井寺市惣社に鎮座する「志貴県主神社
旧郡村字名 志紀郡国府村字藤ノ木
神社専用駐車場 なし  鳥居前に駐車スペース有
南向き

志貴県主神社

由緒

『延喜式内の古社であるが、創建の年月不詳、姓氏録河内国皇別に「志紀懸主多朝臣同祖神八井耳命之後也」とあり、同懸主等其の祖神を祀る。社は総社と称せられ、所在も総社といい「河内誌」に「国府属邑一」とあることから、国府を設置された時の創立であろうと考えられている。
社殿に依れば楠正成の祈願所で、当時は大いに隆昌を極めたが、楠氏衰亡と共に社壇も頽廃、中世以降も度々兵火に罹り、社地又変遷することもあった。
明治5年村社に列し、昭和21年宗教法人令により法人登記する。』

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年


御祭神 主神 神八井耳命
相殿     天照皇大神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比大神 住吉三神 息長帯姫命

延喜式内の古社である。

当社の社名は、この地域に志貴県という大王家の直轄地があり、それを治めていた首長(県主)が奉斎していた事に由来すると推定される。
雄略天皇が若日下部王を妻として迎えるために、日下の直越の道を通って河内に行幸した時、山の上から国見をすると堅魚木を上げた家があった。それは志幾の大県主の家で、天皇の家に似せて造った事を怒り、謝罪させる話が「古事記」に見える。


河内国府址の碑が建っている。


今年の秋(平成18年)に新しくなった。

以前は本殿の裏が児童公園になっていたのだが今は、柵がしてあって入れない。
少子化で公園が無くなるのかそれとも、整備して老人憩いの場になるのかな?

鎮座地惣社について
惣社というのは中世にできた、「惣社の制」に由来している。
この制度は、一国の神社の分霊を一ヶ所にあわせて祀り、国司の参拝の便をはかるというものだった。河内国の場合は、志貴県主神社がその惣社となった。
以後、ここは、「惣社の宮」、惣社明神などと呼ばれるようになった。