古社を訪ねて


大阪・奈良の『古き神々との出会い』

8 辛国神社

2006-11-21 | 河内国

藤井寺市藤井寺に鎮座する「辛国神社
葛井寺の西に対をなすように鎮座している。
旧郡村字名 丹南郡岡村字春日山
神社専用駐車場 無し
延喜式内社
東向き

辛国神社

由緒

『当社は今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創建された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社である。
日本書紀には「雄略13年春3月、餌香長野邑を物部目大連に賜う」とあるが、餌香長野邑は旧藤井寺町のあたりと思われる。この地方を治めることになった物部氏はこの祖神を祀って神社をつくり、その後、辛国氏が祭祀をつとめ辛国神社と称するようになった。
三代実録には、清和天皇「貞観9年2月26日河内国志紀郡辛國神社を官社に預かる」とあります。元の神社は恵美坂の西南神殿にあったと思われる。室町時代(義満の頃)河内守護職畠山基国氏が社二百石を寄進して、現在地に神社を造営し、奈良春日大社に懇請してその祭神、天児屋根命を合祀したと伝えられている。明治41年、長野神社の祭神素盞鳴命を合祀して現在に至っている。』

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

御祭神 饒速日命 天児屋根命 素戔鳴命
辛国神社


もと葛井寺の境内に鎮座していた「長野神社」の鳥居
明治41年辛国神社に合祀された。
鳥居の柱には「長野神社
写真では解りにくいが鳥居の中心に鳥が停まっていて「鳥居」だった。
鳥居の由来も鳥が居るからかも?


茅の輪は、「蘇民将来」という疫病除けの護符に由来するとか。
古くは小さな茅の輪を腰につけたり、首にかけたりして疫病除けのまじないにしていたようだ。




葛井寺境内の長野神社の旧社地 (今は神社の面影は何も残っていない)
5年ほど前まで児童公園だったが今は、西国33観音お砂踏み道場となっていて観音様が並んでいる。

長野神社について
祈年祭に鍬が加えられた古社で格式があった。
「もと葛井寺の南西隅に在ったが明治41年、辛国神社へ合祀された。
祭神は、素戔鳴命。
葛井氏は5世紀頃百済から渡来した百済十六代辰斯王の王子辰孫王の後裔で、長野連も同じ系譜の氏族と考えられている。

この辺りは志紀郡長野郷と呼ばれたので、氏族名と地名から長野神社と称し、長野連の祖を祀ったものであろう。」

鎮座地の藤井寺は、葛井寺による。
地元では、井真成の”里”だとか。