老人の寝言

頭の体操

たべる事(2)

2014-08-24 09:19:13 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の続きです、食べると言う事は 生きる最低の条件です、 食べなくなったら人生は終わりです。

何が何でも 口から物が入らなければ、生命維持装置は止まってしまいます、 TVで時々拝見する場面ですが、 介護人に食べさせてもらっています、 自分では口に運べないのでしょうか、

私もこの年で ああなったら辛いなあ、 とつい思ったりしてしまいます、 生きながら 既に死んでいるような気がしてなりません。

若い方で 再起が可能でまたモリモリ働ければいいのですが、 我々老人にはこれは期待できません、 何か無駄に生かされているような気がしてなりません、 適当な言葉が見付かりませんが、 死を迎えてもいいのではないかと思われます。

常に老人の医療費の増大が叫ばれています、 無駄な治療でしたら 延命としか言えません、 これを打ち切る勇気も必要ではないか。  世界一長寿国となったいま、 本当の長寿国になって貰いたい。 

老人だけが医者に罹って居る訳ではありませんが、 あれだけ言われれば馬鹿でも分かります、 介護保険制度は止め、 それぞれの家で昔のように亡くなっていくのが、 ごく自然ではないか

医者の稼ぎの片棒を老人が 担ぐのは考え違いではないか、 老人介護という美名に隠れて、 無下に反対も出来ない事を、良い事にこの制度を続けることは、 国庫に金が余ってから遣ってください。 

又我々の方も 矢鱈国や地方に面倒を見て貰うことは、 暫くはやめましょう、 国の金庫にお金の余裕が出来るまでは 我慢すべきではないか。

制度そのものは良いのですが、 未だ形が出来ていません、何もかも国が面倒を見れるのは、 まだまだ遠い先になっています、  若い人達が将来に明るさが見えるまでは、 当分ばら撒きは禁止です。

過去に余り保険料を払っていない人達まで、 平等の保護をねだっています、 これは間違いです、 支払いが嫌で払はなかった人達が 大勢いる事をご存知でしょうか。 この世代がなくなるまでは 不自由でしょうが、先進国の真似は禁物です。

所得に応じた支払いができて この制度も成り立つのではないか、 碌な支払いもせず もらう事のみを追求するのでは、 この制度は崩落してしまいます。 暫くの辛抱です、若者が夢を持てるような世の中にしましょう。 

 


コメントを投稿