昨年の今日は、ほんとにこの世の終わりかと思った日でした。
すごい地震雲で気持ち悪い空。
急にがたんっという揺れの後、
かなりの大きな揺れで、どこかにつかまっていないと
立ってるのが怖いくらいでした。
かなり腰が抜けそうな感じで
とにかくテレビをつけて出口確保しました。
揺れ始めだったので、ぎりぎりメールがつながった旦那からは
「無事です」とのこと。
私からはぜんぜんメールが送れませんでした。
玄関のドアを押さえながら
ゆれる度に向かいの小学校からキャー!という悲鳴。
そりゃ大人の私ですら小さい声で、
どうしよう、こわい、こわい、と
ひとりで言ってたくらいだから
子ども達はほんとうにびっくりしたと思います。
玄関からは、6階建てくらいのマンションが
ぐおんぐおんとゆれているし、
玄関から戻って地震情報を見てたら
津波が大変なことになってて…
台所のテーブルも、ものすごいずれて
背の高い棚の固定してたねじがパンッと取れてました。
自分も揺れているし、どうなってるのか
パニック状態です。
あいりんは、保育園。
先生たちが毎月避難訓練をしてくださってるけれど
心配で、みんな、どうするんだろう、
お迎え、行くほうがいいのかな、どうなんだろう
携帯つながらないけど
一応両実家に無事のメール送らないと、と思い
保育園に向かいました。
踏み切りはすっかり下りたままで、立ち往生してると、
自転車に乗ってるおっちゃんに
「踏み切りあかないよ!あっちから回ったほうがいいよ!」
と言ってもらい、高架下までいって保育園へ。
行ったら、結構いろんなお母さん方が来られてて
きてよかった、と思いました。
先生方も、あの人数で子ども達をフォローするのは大変だったようで
迎えに行くとありがとうございますって言われたっけ。
帰ってまたテレビを見てたら、ほんとに恐ろしいことが起こってて。
自分の目が信じられなかったです。
原発もどうにかなってしまってるようで
でも、いったい何が起こってるのかわからなくて。
小さい子供もいるし実家に避難したほうがいいのか
でも、地元とか実家がこっちの人は逃げるところがないよな、
もうちょっと様子見ようか。旦那にも相談しようか。
東電社員からというデマメール。
ほんとうに、混乱しました。
こんな、非常事態に、何を考えてるんだろうと思いました。
そうして、避難については、「メルトダウンしたらやな」とメール。
なにそれ、メルトダウン??
聞いたことない。こわい。
まさか放射能の影響を受けるなんて
思ってもみなかったので、ほんとに怖かった。
食品とか買い物するのも、どうしたらいいのかと思った。
改めて、効率がよくて安全だったはずの原発の怖さを知りました。
安全な国と思っていたらいろいろ事実を包み隠されていたり。。。
いったいこの国はどうなってるんやと
いろいろと信じられないことが起こりました。
平和であること、普通に生きることが
どれだけすごいことなのか
考え直す日でした。
すごい地震雲で気持ち悪い空。
急にがたんっという揺れの後、
かなりの大きな揺れで、どこかにつかまっていないと
立ってるのが怖いくらいでした。
かなり腰が抜けそうな感じで
とにかくテレビをつけて出口確保しました。
揺れ始めだったので、ぎりぎりメールがつながった旦那からは
「無事です」とのこと。
私からはぜんぜんメールが送れませんでした。
玄関のドアを押さえながら
ゆれる度に向かいの小学校からキャー!という悲鳴。
そりゃ大人の私ですら小さい声で、
どうしよう、こわい、こわい、と
ひとりで言ってたくらいだから
子ども達はほんとうにびっくりしたと思います。
玄関からは、6階建てくらいのマンションが
ぐおんぐおんとゆれているし、
玄関から戻って地震情報を見てたら
津波が大変なことになってて…
台所のテーブルも、ものすごいずれて
背の高い棚の固定してたねじがパンッと取れてました。
自分も揺れているし、どうなってるのか
パニック状態です。
あいりんは、保育園。
先生たちが毎月避難訓練をしてくださってるけれど
心配で、みんな、どうするんだろう、
お迎え、行くほうがいいのかな、どうなんだろう
携帯つながらないけど
一応両実家に無事のメール送らないと、と思い
保育園に向かいました。
踏み切りはすっかり下りたままで、立ち往生してると、
自転車に乗ってるおっちゃんに
「踏み切りあかないよ!あっちから回ったほうがいいよ!」
と言ってもらい、高架下までいって保育園へ。
行ったら、結構いろんなお母さん方が来られてて
きてよかった、と思いました。
先生方も、あの人数で子ども達をフォローするのは大変だったようで
迎えに行くとありがとうございますって言われたっけ。
帰ってまたテレビを見てたら、ほんとに恐ろしいことが起こってて。
自分の目が信じられなかったです。
原発もどうにかなってしまってるようで
でも、いったい何が起こってるのかわからなくて。
小さい子供もいるし実家に避難したほうがいいのか
でも、地元とか実家がこっちの人は逃げるところがないよな、
もうちょっと様子見ようか。旦那にも相談しようか。
東電社員からというデマメール。
ほんとうに、混乱しました。
こんな、非常事態に、何を考えてるんだろうと思いました。
そうして、避難については、「メルトダウンしたらやな」とメール。
なにそれ、メルトダウン??
聞いたことない。こわい。
まさか放射能の影響を受けるなんて
思ってもみなかったので、ほんとに怖かった。
食品とか買い物するのも、どうしたらいいのかと思った。
改めて、効率がよくて安全だったはずの原発の怖さを知りました。
安全な国と思っていたらいろいろ事実を包み隠されていたり。。。
いったいこの国はどうなってるんやと
いろいろと信じられないことが起こりました。
平和であること、普通に生きることが
どれだけすごいことなのか
考え直す日でした。
私は池袋に買物中で、地元駅まで歩いて帰りました。ヒールで3時間半・・・。
中3の1月17日。阪神大震災で自宅マンションは半壊。ガス漏れなどの危険を回避するために、すぐに住民全員で避難しました。
その夜のご飯はかたくなった冷たいおにぎりとかんぱんのみ。
だから、1年前は池袋から歩く途中にコンビニでカレーパンを買って、さらに休憩にカツカレーを食べました。
とても寒い日だったな・・・。
それから阪神大震災のことが鮮明に思い出されて、東北と重なって、しばらくしんどい日々が続きました。
でも、阪神大震災から復興した今の関西があるから、必ず復興できると信じています。
そらさんはそういう状況だったんやね。
ヒールで3時間。大変やったね。
こわかったよね。びっくりしたよね。
忘れたらいけない記憶だけど、
つらい思いした人にとってはしんどいね。
原発の問題とか放射能の汚染物処理とか
問題はたくさんあるけれど、
きっと、復興できるよね。
人って、ひとりじゃなんもできないけど
集まったら何でもできる気がするよね。
大津波警報が発令されて、「高いところへ逃げてください」と声を枯らしているアナウンサー。
そのうちに、あっという間に信じられない強さでもって、押し寄せてきた津波。
目をそらしちゃいけないと思いました。
だけど、今、リアルタイムでこんなことが、日本で起きている。それが、どうしてもどうしても、にわかには信じられなくてね。
死者15000人以上という、とんでもない震災に直面して、親として子どもをどう守っていったらいのかなとか、いろんなことを考えさせられたよ。
首都直下型地震が近いうちに起きる…なんて話も聞くたびに、明日は我が身と思わざるをえません。
ちなみにね、わたしの誕生日、9月1日なんです(^^ゞ 関東大震災の日に産まれたの。そしてお義母さんの誕生日が、3月11日。これも何かの縁かしら…
あまりに信じられない画面に、硬直しました。
首都直下型に備えて、少しずつですが
非常食を買ったり、水を用意したり、
家具の固定を改めて見直したり、、、
明日はわが身、そう思います。
今当たり前のようにあったかい部屋で
あったかいご飯を食べられて寝られることが
どれだけ当たり前ではないことなのか…
お誕生日、震災の日なんですね。
何かの縁かもしれませんよね、
そういうこと、考えやすくなりますよね~