goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

鶴見五郎 死去

2022年08月27日 | プロレス
前から介護タクシー使ったり介護施設に入っていたりと
体の具合が宜しくない事は知っていましたが
敗血症で73歳で亡くなられたと‥。
鶴見五郎は思い入れがあるので、結構ショックです。
今でも鶴見がYouTubeチャンネルに出演した時の回の音を
スマホやUSBメモリに入れ聴いていますし。

かなり、ショックですが
今、突然ニュースに出て来たのでビックリし
ただ今時間が無いので、差し当たり訃報の記事を書きました。
鶴見五郎を偲んで、今度改めて記事を書こうと思います。


国際プロレス「追悼 鶴見 五郎 選手」'77.11.03 大熊元司、グレート小鹿VSアニマル浜口、鶴見五郎(アジアタッグ選手権戦)

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ジャパンビンテージの高騰に... | トップ | 音の硬いマーシャル »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本邦初の本格派日本人ヒール (凸椪)
2022-08-29 17:38:41
鶴見を最初に知ったのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)で国際プロレス中継が放映された頃だったと思います。それより1~2年以前に、TBS局で放送打切りとなってから、国際側としても他団体(当時は全日と新日だけでしたが…)を意識したのか、新機軸を考えてR木村やM井上に次ぐスター候補を打ち出していたらしく思えました。その一環として日本人の海外遠征組を“凱旋帰国”させて話題づくりを画策していた一人に鶴見五郎に“白羽の矢”が立ったのかと…。他にはデビル紫や剛竜馬あたりでしたが、鶴見と比較するとJヘビークラスの小型という印象を否めませんでした(鶴見自身もメキシコ遠征時にはUWAライトヘビー級のベルトを獲ったらしいですけれど…)。地味ながらレスリングの基礎もあり、それなりに実績を積んだ本格派という点で、後年、全日に上がってからも馬場から厚遇され、カード面では恵まれないながらもギャラは悪くなかったと聞いたことがあります。まぁ専門家(この場合は馬場さん)の目から見て、受けも上手く、試合運びもシッカリとしたバイブレーヤーと映ったためでしょうか?全日を離脱しなければ、かつて合流した日本プロレスの残党や、Jプロレスの栗栖や新倉のように冷や飯を宛がわれることもなく、引退するまで悪役レスラーとして順当に過ごせたと思いますが、その後、SWSやNOWなどへの変遷から、ジム経営の傍ら、国際プロモーションなる新団体を立ち上げ、地元横浜のイベント会場(「屋台村明洞」)で小規模興行を主催して終えたのは、鶴見にとっては自ら描いていたレスラー生活だったかどうか…??ご存知でしょうが、かつてNHKで放送されたドキュメンタリーでした。↓
https://www.youtube.com/watch?v=H5laLCflC6w
鶴見をナマで観たのは国際末期の、盟友の大位山勝三と組んだ「独立愚連隊」の頃で、マネージャーのミスター珍と仲間割れして新春興行。ルー・テーズ杯争奪シリーズでしたが、名の知れた外人レスラーは少なく、盛り上がりに欠けた興行でした。その後、地方巡業にも行きましたが、スター選手のいない悲しさで程なく倒産。最後の試合は最果ての北海道・羅臼の野外会場での昼興行に、金網デスマッチに出場したのが鶴見だったと専門誌で読みました。
アップされた映像を視るとリング上もレフリー、セコンドを含め、大多数の人が亡くなられて、特リンで観戦(??)の吉原功、大剛鉄之助も存命されていないことに隔世の感があります。【合掌】
返信する
凸樫さん (太郎)
2022-08-30 19:23:19
今度、改めて記事にしたいと思うので、深い内容?は次回にしようと思いますが
理系大卒のレスリング道場出身、元々テクニックを見せた欧州のレスリングに魅せられた様で。
国際で中〜大型選手となると草津と木村、まあ小林しか思い浮かばないですが
鶴見はメキシコでドクトルワグナーからUWAタイトルを奪ったのは否定していた、
そんな文を見た事有りますが、自炊してメキシコで激ヤセもせず、裁縫も得意
帰国したら色んなスタイルが出来る。アポロ菅原が自身のYouTubeで話してましたが
道場で突然メキシカンスタイルのスパーをしたりと。凄い人だな、と思ったそうで。
このママでは上には行けないという吉原社長の提案で斬新過ぎる独立愚連隊を始めるも
草津も冷遇マッチメイクで第二試合と、、浮かばれませんね。
最後の羅臼でメインの金網マッチ終えたのに会場に選手が残っていなかったとか。
そういえばミスター雁之助が話していましたが国際の先輩後輩関係で、FMWの若手には
腰低く接していても鶴見には「ドブ!!!」と当時の関係をそのまま維持されていた逸話が。
はい、貼って頂いた動画は観た事有ります。鶴見が後楽園でのユニオン?興行で
鶴見の強さ、上手さが絶賛されている大会の記事を読んだ事が有ります。
子供の頃にhs分からなかった鶴見の上手さが色んな所で再評価される様になりましたね。
国際は亡くなる人が多過ぎて淋しいですね。
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事