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甘味で感性が乏しくなっていく気がする話

2020-10-19 19:17:44 | 昔の話
 見出し画像にあるリンゴ、なんてことの無いリンゴに見えるけど実は結構探して手に入れた大昔からある品種の「紅玉(こうぎょく)」っていうリンゴなのよ。別にリンゴに詳しいって程じゃないけど以前に果樹園でバイトしてた事があって、その時に教えて貰ったのが「日本のリンゴは昔は国光(こっこう)と紅玉(こうぎょく)以外は殆ど無かった」って話を思い出して、ちょっと探して買ってみたのよね。

 実際に手に入れてそのまま食べてみたら、これが何とも、甘味がかなり少なくて酸味が強くて、とても美味しいのよ。メジャーな品種の”ふじ”とかみたいに「単純に甘味が強いから旨い」っていうんじゃなくて「甘くない変わりに”旨味の酸(アミノ酸的な?)”が強い」っていう感覚なのよね。正直な話、今まで食べたリンゴの中で生食で一番美味しいと思う。(紅玉は本来、デザートなんかに加工するのに優れたリンゴと言われてるらしいけど)

 で、それが何? って話なんだけど、俺はこう個人的にコーヒーが好きでコーヒーには結構詳しいって自負があんだけど、コーヒーにも重要な要素はそれぞれあって具体的には「酸味と苦味」が重要になると思うんだけど、誰しも、最初ハマり出す頃ってのは「コーヒーは苦い物」っていう考えで大抵「マンデリン」とかの苦味が強くて酸味が少ないタイプの豆を選ぶ事が多いってのを聞いた事があるし実際自分でもそうだったのよ。んで、段々苦味に慣れてくると今度は酸味のある豆にも挑戦してみようかなんて思って例えばキリマンジャロの方の豆だったりコナだったりを試してみると舌が苦味にもう慣れてるからズバっと酸味が感じられる様になって、この酸味が物凄く美味しいものに感じるようになるのよ。次第にもう酸味が適量ないコーヒーなんて飲めない、って思うくらいにね。(そんで最終的にはコナ辺りを自家焙煎で浅煎りにして物凄く酸っぱいコーヒーを作って懲りる、まで、ね)

 そんでね、こういう旨味というか酸味の旨味ってのが解るようになってくると、単純に「甘味」が邪魔になってくる様になるのよ。これは単純明快な話なんだけど味の要素で甘味って物凄く強い要素だから甘味が強いと簡単に酸味って隠れてしまうもんで、実際甘酸っぱいって味の領域の食べ物ってのは甘みを抜くともはや単体で食べられないくらい酸っぱいもんなのよ。これはまあ当然酸味だけに限らず苦味でもそうだけど、ちゃんとしたコーヒーをブラックで飲むなんてのは通っぽく見られがちだけど全然そんなことはなくて「鮮度が良くて入れ方もしっかりしてるコーヒーは大抵の人はブラックで飲んだ方が美味しいと解るくらい酸味、苦味がしっかりしている」ってだけで、逆に言えば砂糖を入れてそれがハッキリ解る人の方がもしかしたら通なんじゃないか、ってくらいの話なのよ。(まあ、砂糖山ほど入れる人はそうでない場合が多いだろうけどね)

 で、果物なりなんなりの話に戻るけど、昔の品種ってのは今になって色々探して食べてみると大抵のもんが「甘味が少ない分だけ野生味が強い」もんなのよね。例えば今の夏ミカンと昔の夏ミカンとかなら今のに慣れてればほぼ昔のは酸っぱすぎて食えないし、今のメロンに対してマクワウリなんかはマジで「ほんの僅かに甘いキュウリ」に近い味だし、でも、昔は甘味ってもんがそんなに溢れていない時代だったからそれでも食べたんだろうと思う。

 今の野菜にしても果物にしても、多くの人がそう望んだから甘味の強いモノが流通しそれがメインになってきたっていう時代の流れがあるんだろうけど、よくよく覚えて置いて欲しいのは「甘味ってのは実はそんなに複雑なモノじゃなくて、一様に皆似たようなもんだから、多くの野菜や果物が品種改良されて甘味を強くしていったら、最後はきっと全部似たような味になるだろうよ」ってこと。

 「甘いから美味しい」は誰にでもわかるだけに誰にでも受け入れられる。でもそれが全ての食べ物に共通して必要な要素と考えられるようになっていけば一つ一つの些細な個性は失われて、次第に人はその個性を感じる舌も持たなくなって、そして、感性の乏しい人になっていくんじゃないかなあ、ってちょっと思うんだ。最近ね。




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