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クソ田舎の移動販売車の話

2020-06-08 09:58:04 | 昔の話
 俺の家というか俺の町ってのは県内でも有数のド田舎町で人口の7割が高齢者、人口密度1km平方当たり20人くらいで且つ町の7割が山林なのよ。まあ今でもそうだけど、大きな店ってのも殆ど無いし、集落によっては個人商店の一つも無く今でも自販機一台も無いってとこもそれなりにあるくらいには、ド田舎。

 小学生の頃の話だけど、こんなド田舎だから集落によってはハイエースとかで魚とか肉とか売りにくる移動販売車ってのがあってさ、ウチの集落にもよく来てて、その運転してる人の苗字が「一条」だったから皆「あ、一条さん来たよー、オロナミンC買うべしゃ」みたいな感じだったのよ。んでも、小学校に近い街中には一応なりとも個人商店が幾らかあるから街に近い所に住んでる子供達は移動販売車ってのを知らなかった。だから、街に近い子達は集落住みの俺らに対して「車で物を売りに来てくれる人がいる」ってのが羨ましくていいなーってよく言ってて、俺らは逆に「来てくれないなんてかわいそう」みたいな考えで、よく「ウチには一条さんが来るんだぞ」って自慢してたもんだったのよ。

 あの頃はなんつーことも考えずにそんな気持ちで喋ってたけど、よくよく今になって考えるのと不憫なのは俺らの方だったんだな、っても思うのよね。俺の家はまだ、4㎞歩けば街に行ける程度の「クソ田舎だけどまだマシな方」の場所で、最奥の集落の子なんかは街まで15㎞あるから親に車で乗せてってもらわないと行けないなんてのもあったしさ。それこそ、夏目漱石の「こころ」の序文にある「ところてんだの昆布茶だのといったハイカラなものは長い畷をいくつも越えぬと手に入らなかった」ってのと同じで、そういうトコの子達は小遣い貰っても使う場所が無くてさ、その最奥の集落にいた友達が「親さ500円貰ったから〇〇(個人の乾物屋)行って味付け海苔買うべ」って言ったのを見てさすがに可哀想と思うくらいだったからね。俺が子供の頃っていっても、平成の時代の話だぜ?

 ゲームソフトだのプラモデルだのってのは隣町の街中に一軒だけそういうのを扱う所謂おもちゃ屋(わんぱくこぞうっていう店)があってさ、どっかの親がそこに連れてってくれるってなるともう子供の連絡網みたいなもんで学校中に伝わって乗合みたいな状態で行ってさ、今考えりゃ、例えば仙台(俺自身が宮城県のもんなので)にあるゲーム屋みたいなとこから考えたらホント物置みたいなレベルの店だったんだけど子供の俺らにとってはもうそんな片田舎のおもちゃ屋が夢の国でさ、その頃の俺ら子供達にとってはとにかく小遣い貯めてここに行くのがステータスだったのよね。

 今はもう流通がしっかりしてるから移動販売車は来ない、なんてことはなくて廃れる町ってのは時代が進むともっと廃れるもんで今では街中でも移動販売車が来てる状態の我が町だけど、今の子達はどういうトコで何をして遊んでんのかな。きっと、スマートフォンとかあるから普通に一人で遊べんのかもしれないけど、何でも知れてしまうから、ちょっと寂しい部分もあんじゃないのかなっても思うな。


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