
古文書サークルの例会で解読を一度聞いただけでは、私の稚拙な理解力では「?????」が一杯!! ってことになる。
なので、1月15日の例会での島田さんの資料を再読している。
今般 国内大小神社之規則 御定ニ相成
候間 於府藩縣 左之箇条委詳取調
當(当)十二月限 可指出事
庚午十二月
太政官
某国 某郡 某村鎮座
某社 但、式内 式外 或ハ府藩縣 別段崇家之社
等之別
一、宮社間数并大小之建物
一、… … …

これが酒田で布告されたのは庚午[かのえ-うま]十二月と書かれているから明治3年(1870)12月のこと。実際に太政官布告として政府から発せられたのは同年閏10月28日だから、酒田[山形縣]は約2ヶ月遅れている。しかも詳細に調べて、提出期限は同じ12月だから大変だねぇ。因みにこの年の9月に『天狗騒動の不手際から大原知事免官となり酒田県が廃止され、山形県(坊城知事)の管理下に置かれる』などと維新直後の時代、行政サービスもゴタゴタしているようです。
こんな感じで、清書しながら意味や繋がりを調べつつ読み進んで、やっと何のことなのかを理解する…。時間は掛かるが「急いでるわけじゃないし」と楽しみながらやってるんだけど、月に一度の次の例会がアッという間にやってくる。あぁぁ…。
この神仏分離令(神仏判然令)に関する古文書を読みながら廃仏毀釈を思った。

以前家族で奈良を訪れ、興福寺(明治5年廃寺、現在国宝)で阿修羅像を拝顔した時、同時に廃仏毀釈という悲惨な行為があったことも知った。
人は偏った酷い行動を平気でするものだと、政治・マスコミから洗脳され煽動する怖さを改めて考えてしまった。
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