先週日曜日の『温故の会』例会は、藤井氏の別荘拝見と重なり入会以来初めて欠席をした。なので何処か身体が「地域史」を所望しているのか、どうも落ち着かない。
本日開催された鶴岡市郷土資料館主催の「戊辰150年」記念歴史講演会をワクワクと待ち望んでいた次第なのです。
演題は「戊辰戦争期の官版日誌にみる庄内藩」、講師は東京大学史料編纂所准教授 箱石 大[はこいし ひろし]氏。
昨年、郷土資料館が発刊した『通史の中の庄内』の中で、箱石氏の「庄内藩の戊辰戦争」は読んでいたが、実際に講演を聴くのは初めて。想像した以上に若く、ちょっと早口だがノリが良い講演でした。良かったと思います。なるほど1965年生まれなんですね。
◯本講演のテーマ:新政府軍に所属した諸藩から維新新政府側に提出され、その後、官版日誌に掲載することによって公表された戦争届書という文書を素材に、戊辰戦争期における庄内藩についてみていきたい。
『太政官日誌』明治元年・第156「久保田藩(=秋田藩)届書写 戦争顛末概畧」の読み下しと地図上での解説は、テンポよく解りやすくて良かった。
新政府による官報での情報・宣伝作戦や、秋田藩サイドから見た(提出した)「秋田口の戦い」などは、「… …、十五・十六両日ノ合戦甚厳ク、賊(=庄内藩)前後ヨリ攻メ立ラレ、死者数百人手負ノ者ハ其数知レ申サス、垓下ノ一敗賊再ヒ不振瓦解土崩、遂ニ本国へ逃帰、諸賊尽ク降伏致シ、… … 」と、庄内藩をヤッツケた感が大いに出ていて自己PR情報戦的で面白かった。でも箱石氏は「庄内藩は強かった‼」などと二三回程強調し、庄内人への配慮も忘れなかった…?
講演の中で、「新庄藩は(地理的に)気の毒であった… …、庄内藩は新庄を焼き… … 」と話されたように、新庄地区を焼き払ったのは庄内藩だと解釈していいようだし、戦争終結後に賊軍の戦争責任者を出せとの命令に、「庄内藩だけ戦死者であった石原倉右衛門を首謀者として仕立てた。他藩では実際の責任者を差し出し処罰されたのに…(ズルいよね)。」的なニュアンスに、史家としての講師に安堵した。