明け方の土砂降りも止み、墓参りの後、長女夫婦と羽黒山随神門前に立つ頃には適度なウォーキング日和となった。
久々の石段は、思いの外キツかった。この一年での体力の衰えを痛感せずにはいられなかった。う〜むぅ。
山頂三山神社をお参りし、遅い昼食となってしまったが斎館へと向かった。

斎館で精進料理をいただくのは、2014年5月に故井山氏と写真家の斉藤亢氏と訪れたとき以来だから8年ぶりとなる。心が洗われるような10品の料理に、ここでも舌鼓を打つ。満足。

精進料理
仏道の修行に励むものの行為を精進と呼ぶように、精進料理はもともと仏教に端を発することばであった。
山岳信仰と結びついた修験道(山伏)の行法の中にも早くからこの言葉が使われていたものと思う。また中世以来、伊勢神宮や京都加茂別雷[わけいかづち]神社に於いては「精進潔斎」とよんで、未明に髪を洗い身を清め、只管[ただひたすら]、言語動作に謹慎の心をこめて行事を行っていた。
そうした厳しい中での食べ物にも自ずと日常とは全く違った制限された食生活があってよいわけで、一般に生臭ものを避けて一汁一菜の斎食をもって通すことが精進料理の基本となる。
然し山伏の回峰行[かいほおぎょう]などを見る限り一汁一菜の形式にとらわれず自給自足が原型であったろうし、古代の山岳信仰に発する羽黒山の場合には、あえてその生臭ものを拒む理由もなかったと思う。今日ここ羽黒山麓の手向の日常の家庭生活で朝から「魚」は口にしたがらない習慣は長い神仏習合の時代の名残といえよう。
ここに紹介する大笈酒[おおおいざけ]も目出度い御祝儀の披露の膳だけに、落雁[らくが]菓子によって生物の代わりとして昔乍らの形式を重んじて、尚精進料理とよぶところに羽黒山だけの特殊な精進料理と言ってよいと思う。
精進料理の膳や椀の色は、天台宗は黒漆、真言宗は根来[ねごろ]塗りといって素地に朱、その上に黒漆を施し、向詰膳は特殊な形式であった。
本膳をはじめ吸物膳に至るまで膳の上の盛り付けの料理の品々を風流な名で呼んでいる。これは山伏特有の行中隠語からでたのが始まりであろうが、それ以外に羽黒山が信仰はもとより全国にその名をなした高僧をはじめ文人墨客の憧憬の的であったことを物語ると言えよう。

羽黒三所大権現の扁額
出羽三山神社斎館は、もとは「華蔵院」といい元禄10年(1697)の再建です。正穏院、智憲院とともに三先達寺院の一つで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住した寺でしたが、明治の神仏分離の際、神社の参集殿として遺りました。江戸時代には山内に30余坊ありましたが全て取り壊されて、往時の山伏の住した遺構として今に残る唯一の建物です。以下略。(出羽三山の精進料理パンフレットより)

二の坂茶屋のかき氷
うま〜い! 実に美味い。