食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ドイツの伝統的な食文化-近世ドイツの食の革命(1)

2021-08-25 08:34:22 | 第四章 近世の食の革命
ドイツの伝統的な食文化-近世ドイツの食の革命(1)
今回から近世のドイツの食について見て行きます。

ドイツと言っても近世のドイツは現代のドイツのように一つの大国ではなく、諸国に分裂した状態でした。そして、国同士の争いが頻発しており、戦争によって土地が荒廃することが繰り返されていました。

第一回目の今回は、近世までのドイツの歴史を概観するとともに、この地域で伝統的に食べられてきた食について見て行こうと思います。

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ローマ帝国の後に西ヨーロッパを統一したのがゲルマン民族の国家フランク王国だった。8世紀後半にフランク王国のカール大帝が西ヨーロッパを統一すると、ローマ教皇から西ローマ皇帝に任じられた。

ゲルマン民族の伝統では、親が亡くなると財産は男子に等分されるため、カール大帝の死後フランク王国は西・中・東の3つに分割されて3人の息子に受け継がれた。このうちの東フランク王国の領土が現代のドイツに近い。

ところが、東フランク王国では10世紀初めにカール大帝の家系が断絶してしまう。最終的に王位を継承したのがザクセン家のハインリッヒ1世だ(在位:919~936年)。彼は分割相続を廃止し、それ以降は一人の皇子がすべてを相続するようになった。

次の王のオットー1世(東フランク王在位:936~973年)の時に、彼の王位に反対する勢力が次々に現れて国内は混乱状態になるが、やがて彼は王国全土を掌握することに成功する。さらに、ローマ教皇を援助したことから帝位を授けられ、962年に神聖ローマ皇帝となった(在位:962~ 973年)。これ以降、東フランク王国は神聖ローマ帝国となる。

しかし、その後の神聖ローマ皇帝は教皇と司教の任命権(叙任権)などめぐって対立するようになり、有名な「カノッサの屈辱」などの事件が起きるなどした。その結果、皇帝の権威は次第に弱まって行った。

12世紀末になると、皇帝は選帝侯による選挙によって決められるようになった。こうして皇帝の権威はさらに弱まることになり、逆に地方領主の力が強まって行った。そして、15世紀以降はオーストリアのハプスブルク家が皇帝位を世襲するようになる。なお、その頃の神聖ローマ帝国には約300の諸侯の領土や自治都市が存在していたと言われている。

16世紀になると宗教改革が始まり、カトリックとプロテスタントの対立が激化して行った。そして、1618年に皇帝フェルディナント2世がカトリックを強制したことに対して、ベーメン(ボヘミア、現在のチェコ)のプロテスタントが反乱を起こした。これを発端にカトリックの諸侯とプロテスタントの諸侯の戦いとなり、30年戦争(1618~1648年)が始まる。

戦争開始後すぐにカトリック側にはスペインが支援し、プロテスタント側にはオランダが支援したため30年戦争は国際戦争へと発展した。さらに、デンマークやスウェーデン、そしてフランスも介入したため戦争は泥沼化し、神聖ローマ帝国では多数の死者が発生し、土地が荒廃した。また、神聖ローマ皇帝の権威は消失し、各諸侯には国家主権が認められるようになった。

このような各地の諸侯の中で、ドイツの北東部を領土とするプロイセン王国が勢力を伸ばし、ハプスブルク家のオーストリア帝国と対立するようになる。そして18世紀にはオーストリアとの戦争に勝利して、ヨーロッパの強国の一つとなったのである。

さて、ここでドイツの伝統的な食について見て行こう。

ドイツを含むヨーロッパ北部は冷涼な気候で土地もやせていることから、農作物の生産性が低い。特に冬になると生の食材が不足することから、保存食が発達することとなった。中でも、主に豚肉を使ったソーセージがドイツを代表する食べ物となった。なお、ソーセージ(英:sausage)の語源はラテン語で「塩をする」と言う意味の「Salsisium」で、肉にたっぷり塩をすることで保存性を高めたことから、この名がついたと言われている。



昔のドイツでは、秋にドングリをたくさん食べて太ったブタを冬になる前に肉にしていた。冬になるとブタが食べるエサが無くなったからである(ジャガイモが出回るようになると、これがブタのエサになった)。

ブタを殺すと血が出るが、これがまず血のソーセージ「ブルートヴルスト」の材料となる。肝臓や腎臓、胃などの内臓はそのまま煮たり焼いたりして食べるが、肝臓はペースト状の肝臓ソーセージ「レバーヴルスト」の材料になる。これはパンなどに塗って食べる。なお、ドイツは冷涼な環境でコムギが育ちにくいので、ライムギのパンが主に食べられる。

内臓の次はいよいよ肉の部分だ。内蔵の周りのバラ肉は「ベーコン」の材料になる。塩漬けにしたものを燻製してベーコンが作られる。

バラ肉の上の背の部分にあるのがロースだが、やわらかい肉なのでそのまま料理して食べることが多い。ロースは英語の「ロースト(roast)」から作られた言葉で、焼いてそのまま食べるのに適した肉と言う意味だ。

ソーセージに最も適した部分が肩肉だ。主に仔豚の肉を使って作られる伝統的なソーセージが「ブラートヴルスト」だ。ブラートは「細かく刻んだ肉」を意味する。ドイツで最も古いブラートヴルストは1313年のニュルンベルクの記録に残されている。現代では、地域ごとに特有のブラートヴルストが作られている。

脚にはモモ肉があるが、ここは「ハム」の材料となる。塩漬けしたモモ肉を燻製するかゆでるかしてハムが作られる。

その先にはすね肉があり、ここは有名なドイツ料理「アイスバイン」の材料となる。これは、塩で漬けこんだすね肉を、タマネギ、セロリなどの香味野菜やクローブなどの香辛料とともに数時間煮込んで作る。アイスとは氷のことだが、コラーゲンが溶け出して表面が氷のようにテカテカするためだとか、すね肉についている骨がスケート靴のブレードとして使われたからだとか言われている。なお、17世紀にオランダの移民がドイツにスケートを伝えたとされている。

アイスバインにはザワークラウトが添えられることが多い。ザワークラウトはキャベツの漬物のことで、千切りにしたキャベツを塩・香辛料とともに壺に入れると乳酸発酵が起こり、酸っぱいザワークラウトが出来上がる。

なお、ヨーロッパ人が野菜を普通に食べるようになったのは比較的新しく、16世紀か17世紀になってからだ。それまでは食品としてではなく、薬として食べられることが多かった。例えば、キャベツは古代エジプトや古代ギリシアの時代に既に知られていたが、神へのお供え物(古代エジプト)や胃薬・二日酔いの薬・便通剤(古代ギリシア)などとして利用されていた。なお、古代のキャベツは現在のように球のようになっておらず、結球したのは12世紀頃と考えられている。


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