食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ギリシアの歴史ー灌漑農業の行き詰まりと新しい食の革命

2020-05-15 08:15:14 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ギリシアの歴史
少し繰り返しになるが、ここでヨーロッパの歴史で重要な役割を担ったギリシアの歴史と食料生産の変遷について見て行こう。

紀元前7000年前頃から始まるギリシアの新石器時代までは、人々は洞窟などに住んで狩猟採集生活を行っていたと考えられている。

新石器時代に入るとオリエントより農耕技術が伝えられ、主に北部に定住化して大麦・小麦やレンズ豆などを栽培するようになった。また、ヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタなどを家畜として飼い始めた。

紀元前3000年頃から始まる青銅器時代になると、新石器時代に中心だったギリシア北部からギリシア南部へと文化の中心が移動した。その理由は、地中海の三大作物(小麦・オリーブ・ブドウ)のうち、オリーブとブドウの栽培にギリシア南部の丘陵地帯が適していたからである。これらの作物からは交易品として高い価値があるオリーブオイルとワインを生産できた。

すなわち、このころには海上の輸送技術が発達し、自給自足的な生活から「貿易」によって必要な物資を交換する生活への変化が起こっていたと考えられる。地中海やエーゲ海、アドリア海、黒海に囲まれたギリシアは地理的に有利であった。

紀元前2000年頃にはクレタ島を中心にクレタ文明が栄えた。この文明の中心はアジア系の民族であり、海上貿易を中心とした海洋国家を構築した。

やがて、インドヨーロッパ語族のギリシア人が南下してギリシア本土に定住し、クレタ文明を征服しながらミケーネ文明(紀元前1600年頃~紀元前1200年頃)を作った。このクレタ文明については、シュリーマンによって1870~80年代に行われた発掘が有名である。彼は架空の存在と考えられていたトロイやミケーネの遺跡発掘を行い、ミケーネ文明の実在を証明した。尚、この文明では有名な「線文字B」が使用されていた。

紀元前1200年頃になると、様々な説があり現在のところ決定的な原因は不明だが、大きな社会的な変動が起こり、ミケーネ文明は滅亡する。その後の400年間は残された史実が少なく「暗黒時代」と呼ばれる。

この時期には北方から移動してきたドーリア人などが定住し、先住のイオニア人らと交わることによって最終的なギリシア民族を誕生させた。また、鉄器の普及やアルファベットの発明という重要な進歩が見られた。

紀元前8世紀になるとギリシア各地に「ポリス」が徐々に生まれて行く。ポリスはギリシア独自の国家形態であり、参政権を有する「市民」を中心にした民主主義によって運営された。

ポリスの中心部には「アクロポリス」と呼ばれる防壁に囲まれた丘があり、神殿が作られポリスの守護神を祀った。また、「アゴラ」と呼ばれる集会や商取引を行う広場もポリスに必須の施設だった。このころ、市民の多くは都市の郊外や周辺の農地に住んでいた。

ギリシアにはこのようなポリスが大小200ほど存在した。市民の数も数百から数千程度で、それ以外に奴隷なども生活していたとされる。

このようなポリスの活動には植民地の存在が必要不可欠だったと考えられている。


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