食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

江戸時代の果物-近世日本の食の革命(14)

2022-02-17 22:02:35 | 第四章 近世の食の革命
江戸時代の果物-近世日本の食の革命(14)
今回は江戸時代の果物の話です。

17世紀の終わり頃まで、食事以外に食べる軽い食べ物はひとまとめにして、「菓子(くだもの)」と呼んでいました。例えば、中国から伝来した「唐菓子」は「とうくだもの」と読みます。そして、果物も菓子に含まれていました。

しかし、江戸時代になって和菓子作りが発展すると、両者は区別されるようになります。その結果、人の手で作った和菓子は「菓子(かし)」と呼ばれるようになりました。一方の果物は、江戸では「水菓子」、上方では「くだもの」と呼ばれました。

それでは、江戸時代にはどのような果物が食べられていたのでしょうか。



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江戸時代の人々も、現代人と同じように甘い果物が好きだったようだ。しかし、現代とは異なり、甘い果物は限られたものだった。その中で、甘い果物として人気があったのが、「ミカン」と「カキ」、そして「ナシ」だ。

ミカンは柑橘類の一つだが、最近の研究によると、柑橘類の原産地はヒマラヤ山脈の南東部と考えられるらしい。最初は単一種だったものから、約800万年前に10種類の新種が進化し、これらが交雑することで、ミカンやグレープフルーツ、レモン、ライムなどそれぞれの先祖が誕生するとともに、アジアやヨーロッパに広がって行ったと考えられている。

人類は早くから柑橘類の有用性に気が付いて、栽培を行うとともに、品種改良を進めてきた。4000年以上前の中国の記録からは、その当時、複数の柑橘類が栽培されていることがわかるという。

さて、日本に目を向けると、「タチバナ(橘)」という日本固有の柑橘類がある。

「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」

と古今和歌集にあるように、古くから日本人に親しまれてきたものだ。しかし、タチバナは果実を食べて楽しむのではなく、花や葉を鑑賞するのが主だった。

一方、中国からはユズやダイダイ、キンカン、ミカンなどが食用や薬として伝わった。中でも、ミカンの一品種の「コミカン(小ミカン)」は15~16世紀に肥後(熊本県)や紀州(和歌山県)、駿河(静岡県)で栽培が盛んになり、江戸時代には代表的な果物になった。

特に紀州のコミカンは甘くて美味しいと評判だったという。これを背景に、紀伊国屋文左衛門が紀州から江戸にミカン(コミカン)を運んで莫大な富を築いたという伝説が生まれた。

なお、現在私たちがよく食べる「ウンシュウミカン(温州ミカン)」は、1600年頃の薩摩(鹿児島)で、コミカンとクネンポという柑橘類との交配から生まれた株の突然変異種で、種がないのを特徴とする。しかし、江戸時代には種無しは縁起が悪いということであまり食べられず、広く食べられるようになったのは明治になってからだ。それ以降は、種のあるコミカンに代わって、日本を代表するミカンになった。

次はカキの話だ。

カキは中国の揚子江沿岸が原産地と考えられている。日本には弥生時代に栽培種のカキが中国から伝わったと考えられている。しかし、その頃のカキはすべて渋柿で、食べるためには干し柿などにするしかなかった。干すことで渋みの元のタンニンが水に溶けなくなり、食べても渋みを感じなくなるのだ。

鎌倉時代の1214年になると、神奈川県川崎市で突然変異によって甘柿が誕生したとされている。なお、この甘柿は不完全甘柿と呼ばれるもので、十分に熟れるまではある程度の渋みが残る。

江戸初期になると、渋みがほとんどなく甘みが強い「御所柿」が奈良で誕生する。これは「完全甘柿」と呼ばれるもので、現在の甘柿のはじまりだ。江戸末期には、この御所柿から接ぎ木によって現代でも有名な「富有柿」が生まれた。

このような甘柿は18世紀の終わりにヨーロッパに伝わり、西欧の人々にもメジャーな果物になって行った。その結果、カキの学名には「Diospyros kaki」とkakiが採用されることとなる。

最後はナシだ。

ナシは中国が原産地で、古くに日本に持ち込まれたと考えられている。弥生時代後期の登呂遺跡からナシの種子が見つかっていることから、日本人は遅くともその頃にはナシを食べ始めていたようだ。

平安時代以降も庭にナシの木を植えるなどして、ナシの味を楽しんできた。室町時代の記録からは、その頃の日本の主要な果物だったことが分かるという。しかし、昔のナシは今ほど甘くなかった。甘くなったのは江戸時代の中頃だ。

18世紀になると各地に農園や果樹園が作られて作物の品種改良が進められたが、ナシも1000種もの新しい品種が生み出され、その中に甘い品種が見つかったのだ。さらに、甘い品種同士を交雑させて、さらに甘いナシを生み出す努力が続けられた。こうして少しずつナシは甘くなっていった。

ミカン・カキ・ナシ以外には、イチジクが17世紀に中国もしくは南蛮人から伝わったと言われている。イチジクも甘かったため、18世紀初頭には全国の各地に広がり、庭先などに植えられるようになった。


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