食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

多様化する農業-中世後期のヨーロッパの食(2)

2020-12-22 23:13:14 | 第三章 中世の食の革命
多様化する農業-中世後期のヨーロッパの食(2)
前回は14世紀に起きた食料不足や百年戦争、ペストの大流行によって多くの人々が亡くなったというお話をしました。そして、このように人口が急激に減少した後は、食料不足も解消され、足りなくなっていた農地も残った人口を養うには十分なものになりました。

今回は、このような悲惨な時代が過ぎ去った後の農業のお話です。

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中世後期はそれぞれの地域に合った市場価値の高い農作物が作られるようになって、農業が多様化して行った時期だ。また、以前よりも牧畜が盛んになった。これは人口が減り食料が余ってきたために穀物価格が下がったことが原因だ。穀物より儲かる作物を作るようになったということである。

中世盛期では耕地を三つに分け、春耕地(春に蒔いて秋に収穫)・秋耕地(秋に蒔いて春に収穫)・休耕地を年ごとに替えていく三圃制で農業が行われており、主にムギが栽培されていた。それが中世後期になると、春耕地でムギ以外の作物を育てることが多くなったのだ。

実は、春にムギを蒔くと気温が高いため早く育ってしまって実が小さくなり、単位面積当たりの収穫量が少なくなってしまうのだ。このため、春蒔きの商品価値の高い作物が植えられるようになったのである。ちなみに、現代でも世界のコムギの大部分が冬に蒔く冬小麦として栽培されている。

こうして春蒔きのムギに代わって育てられるようになったのが、マメ類やキャベツなどの野菜類、そして布を作るための亜麻などだ。また、クローバーやカブなどの家畜の飼料となる作物の栽培も盛んになった。

さらに、三圃制での休耕地が三年に一度から数年に一度と頻度が下がったり、休耕地を完全になくしてコムギと他の作物を交互に栽培する輪作も行われたりするようになった。

一方、都市の周りでは、都市で高く売れるセロリやアスパラガス、ホウレンソウなどの野菜などの作物を重点的に作るようになった。

さらに中世後期の農業の大きな特徴として、ヨーロッパのそれぞれの地域が特定の作物を大規模に栽培するようになったことがあげられる。例えば、ブドウはフランスのブルゴーニュ地方とロワール地方、そしてドイツのライン川流域が一大産地に成長した。また、ドイツ東部はコムギやライムギを大量に生産し、西ヨーロッパ各地へと輸出するようになる。

このほかにも、オリーブやサフラン、オレンジなどが地中海沿岸でよく栽培された。そして、布を作る亜麻はオランダ・ベルギー・フランスにまたがるフランドル地方(フランダース地方)の主要な産物となった。

なお、亜麻から作られる繊維は英語で「リネン(linen)」と呼ばれ、中東やヨーロッパでは古代から使われているものだ。古代エジプトではミイラを巻く布として使用された。ヨーロッパではリネンはありふれた布であったため、日本のホテルで使用するシーツやタオルなどをいつしかリネンと呼ぶようになったと言われている。

話を戻して、次に牧畜について見てみよう。

14世紀頃になると人々の嗜好が変化して、現代人のように料理に使う油としてはバターが好まれるようになった。その結果、北欧やフランス北部ではウシの飼育が拡大する(それまではヒツジやブタの飼育が一般的だった)。

また、イングランドやスペインでは毛織物産業が急速に発展していたため、大量のヒツジが飼育されるようになった。イングランドでは四方を石垣で囲んだ広大な放牧地で牧羊を行った(これは「囲い込み(エンクロージャー)」と呼ばれる)。一方スペインでは、繊細な毛質の「メリノ種」が開発され、王室の所有物として大規模な飼育が行われるようになった。なお、メリノ種は紆余曲折を経て、現在は主にオーストラリアと南アフリカ共和国で飼育されている。



以上のように地域ごとに特色のある農業が中世後期に発達して行ったが、これは現代まで受け継がれていくことになる。


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