砂糖の帝国-イスラムの隆盛と食(4)
私は甘党です。甘くないケーキは食べません。この甘さの元は言うまでものなく「砂糖」です。砂糖は様々な料理や飲料に加えられて人類を喜ばせてきました。
今回は、砂糖の存在を広くヨーロッパに広める要因を作ったムスリムのお話しです。
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サトウキビは現在のニューギニア島付近が原産地とされており、紀元前6000年前後にインドや東南アジアに広まったと考えられている。そしてインドで砂糖の精製法が発明されたと言われている。
サトウキビ(Albrecht FietzによるPixabayからの画像)
この製糖の技術は7世紀の初め頃にインドからササン朝ペルシアに伝わった。そして、その後中東を支配したイスラム勢力下で10世紀までには東地中海沿岸地域とヨルダン川渓谷、さらにはエジプトへと拡大した。その後、12世紀頃までには北アフリカやイベリア半島のアンダルシア、キプロス島やシチリア島などの地中海諸島、さらにはマデイラ島やカナリア諸島などの大西洋の温暖な島々でもサトウキビの栽培と製糖が行われた。中でもエジプトのナイル流域が当時の最大の砂糖生産地であったと考えられている。
エジプトでは2~3月に植え付けられたサトウキビは夏を過ぎると2~3メートル以上にも成長し、12月頃に刈り取られたという。刈り取られたサトウキビはすぐに処理をしないとダメになる。農場近くの製糖場に運び込まれたサトウキビは細かく刻んでから牛を用いた石臼で圧搾された。しぼり出された液汁は大釜に集められ煮詰められる。煮詰まったところで砂糖の細かい粉を入れると結晶ができて来る。これを底に穴があいた円錐形の壷に注ぎ込み、液体を除去することで褐色の粗糖の固まりが作られた。この粗糖を水に溶かして煮沸し、先の工程を繰り返すと、上質の白い砂糖が得られるのである。14世紀頃の記録によると、当時のエジプトの首都フスタートには65の製糖場があり、王侯貴族などの有力者だけでなく、ムスリムやユダヤ教徒の商人もその経営に熱心に携わっていたという。
ムスリム商人は砂糖の貿易も盛んに行っていた。カーリミー商人と呼ばれるムスリムの交易商人たちは、12世頃からアラビア半島南端のアデンでインドから運ばれてきた中国産の絹織物・陶磁器やインド・東南アジア産の香辛料などを買い付け、紅海を通ってエジプトまで運び、そこでエジプト産の砂糖や小麦、紙、ガラス製品などを加えてイタリア商人に渡していた。イタリア商人はその引き換えに、綿織物・木材・鉄・銅・武器・奴隷などをイスラム側にもたらしたという。13世紀には、ジェノヴァ・ヴェネツィア・ナポリなどの地中海貿易を担っていた諸都市は、この貿易のためにエジプトの各地に商館を建設したとされている。
(*イタリア商人の活躍については、この後の「中世ヨーロッパの食」で詳しく取り上げる予定です。)
一方、11~13世紀の十字軍の遠征も砂糖をヨーロッパの人々に広める要因となった。この十字軍の活動によって、ヨーロッパ人は製糖技術を始めとするイスラムの新しい知識や技術を学ぶことができたのである。エルサレムを占領したヨーロッパ人はムスリムから製糖技術を教わり、帰国時にサトウキビを持ち帰ったという。こうして、ヨーロッパ人も気候の暖かい地中海沿岸でサトウキビ栽培と製糖を始めた。
さて、砂糖の生産が盛んになったとは言え、まだまだ砂糖は貴重なものだった。このため、イスラム世界でもヨーロッパでも砂糖は食品としてよりも薬として使われることが多かった。
「イスラムの科学-イスラムの隆盛と食(2)」でお話ししたように、イスラム世界は古代ギリシア文明を進んで取り入れた。ギリシアでは食品の医学的効用について研究が進んでいて、この考え方がイスラムに引き継がれた。ちなみに、古代ギリシアの医学では、人間の体は血液質・粘液質・黄胆汁質・黒胆汁質の4つの要素からできていて、これらの調和が健康をもたらすと考えられていた。そして、それぞれの食品には、この4つの要素に及ぼす効果があるとされていた。
このようにイスラムに引き継がれたギリシア医学の中での砂糖の効用について見てみよう。13世紀にシリアで活躍した医者のイブン・アンナフィースは彼の主著である『医学百科全書』において、砂糖の効用について次のようにまとめている。
「砂糖は脳の調和を保って穏やかに作用する。また、まぶたの炎症を治すための薬が砂糖から作られる。砂糖は胃の粘液を取り除いてきれいにする。また肝臓の入り口を開き、きれいにする。しかし、古い砂糖は不純な血液を生じさせる。砂糖には利尿の効果があり、バターと一緒に飲めばさらに著しい効き目を発揮する。また、砂糖は喀血・呼吸困難・喘息・息苦しさに効果がある。さらに肋膜炎や肺炎に効き、胸から膿を排出させ、胸や肺の炎症を取り除く。」
現代では砂糖が生活習慣病の根源のように言われることが多いが、まだまだ栄養状態が悪く砂糖が貴重だった古代や中世においては「砂糖は薬」という考えが受け入れられていたのだろう。嗜好品としての砂糖が世界を席巻するのは、ヨーロッパがアメリカ大陸を再発見した後のことである。