食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

イスラム教のはじまり-イスラムのはじまり(3)

2020-10-03 15:40:16 | 第三章 中世の食の革命
イスラム教のはじまり-イスラムのはじまり(3)
今回はムハンマド(モハメッド)がイスラム教を創始したお話だ。このため、食に関する話題は少なくなります。

前回、ユダヤ人もアラブ人も同じセム族だという話をした。このセム族と言う言葉はノアの息子のセムに由来する。つまりセム族はセムの子孫という意味だ。セムの子孫にアブラハムがいて、アブラハムがサライとの間にもうけた子供の子孫がモーゼやイエス・キリストとされる。一方、アブラハムがハガルとの間にもうけた子供の子孫がムハンマドである。このように、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じセム族の宗教から始まった。

ムハンマド(570年頃~632年)はクライシュ族という遊牧と交易をなりわいとする部族の一員としてメッカに生まれた。メッカにはイスラム教興隆以前から360もの神々の偶像をまつるカアバ神殿があって、4月になるとアラビア半島の方々から人々が巡礼に訪れる聖地だった。クライシュ族は5世紀半ばにメッカに定住し、やがてカアバ神殿の管理者・支配者となる。

クライシュ族の一支族のハーシム家の子として産まれたムハンマドは幼い時に両親と死別し、祖父と叔父に育てられた。成長したのちは商人となり、25歳の時に夫に先立たれた40歳の女性豪商と結婚する。二人は子宝にも恵まれて幸せな生活を送っていたという。

ムハンマドが40歳になった610年頃に山の洞窟で瞑想にふけっていると、何者かが現れ、いきなり「読め!」と命令した。文字が読めなかったムハンマドは「読めません」と言ったが許してもらえず、体を強く締め付けられたという。そしてその者の言葉を復唱すると許された。この言葉を伝えたのは大天使ガブリエルで、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のそれぞれで神の言葉を預言者に伝えるという重要な役割を果たしている。

ガブリエルはその後もたびたびムハンマドのもとに現れ、神の言葉を伝えた。これがクルアーン(コーラン)である。自分が預言者であることを自覚したムハンマドはメッカの人々に布教を始めた。しかし、「唯一神アッラー」への信仰を説くムハンマドの布教活動は、多神教を信じていた当時の人々の強い反発を招く。特にカアバ神殿を支配しているクライシュ族の指導者にとっては許しがたいものだった。

身の危険を感じたムハンマドは622年にメッカを脱出し、住民からの招きがあったメディナに逃れた。これを「聖遷(せいせん、ヒジュラ)」と呼び、イスラムの暦であるヒジュラ暦では622年を紀元元年としている。

メディナでモスクを建て、信者を増やしたムハンマドはイスラム共同体(ウンマと呼ぶ)を組織し、メッカ軍と戦うようになる。一進一退の攻防を繰り返すうちにウンマは次第に拡大し、630年には1万人もの戦闘員によってメッカを無血開城することに成功した。そして、カアバ神殿の360の神々の偶像をすべて破壊し、唯一神のアッラーに祈りをささげる場とした。それ以降、カアバ神殿はイスラム教の最高の聖地とみなされるようになる。


カアバ神殿(KoneviによるPixabayからの画像)

メッカを征服するとアラビア半島の諸部族がイスラム共同体に参加するようになり、これによってアラビア半島の統一が成る。翌年にムハンマドはメディナからメッカへの大巡礼を行った。この巡礼には10万人のムスリム(イスラム教徒)が参加したと言われている。そして、すべてを成し遂げたムハンマドはメディナのモスクに隣接した自宅で没した。632年6月8日のことである。
ここで、ムハンマドが創始したイスラム教について簡単に見て行こう。

メディナに移ったムハンマドは、ムスリムが行わなければならない行為を神からの啓示(クルアーン)によって定めた。最初の一つが神をたたえる言葉を発する「信仰告白」だ。これをムスリムになる時に行う。サウジアラビアの国旗にはこの言葉が書かれている。

もう一つが「礼拝」であり、一日に5回の礼拝を行う。また、金曜日にモスクで礼拝を行う。礼拝をする方向は決まっており、もとはエルサレムの方角だったが、メディナに移住後少ししてからメッカのカアバ神殿にむけて礼拝することになった。

礼拝とともに重要なのが「喜捨」である。富を持てる者は貧しい人のために富の量に応じて分け与える。例えば、農作物であれば収穫量の1割と決められていた。

メディナに移って2年目には「断食」をする月が決められた。ヒジュラ暦の9番目の月が断食の月で「ラマダーン」と呼ばれる。この月には夜明けから日没まで一切の食事と飲み物を摂ってはいけない。また、性行為や争いごともしてはならないとされた。

断食をすることで神に許しをこうとともに、貧しい人の苦しみを知る意味があるという。ラマダーンの終わりには断食明けの喜捨が義務づけられており、コムギやナツメヤシなどの食べ物を家族の人数分だけ貧しい者のために差し出す。

また、ヒジュラ暦の12月にはメッカへの「大巡礼」を行った。巡礼の季節には犠牲祭が執り行われ、ヒツジなどをいけにえにして、その肉は皆に分配された。普段肉を食べられない貧しい者も犠牲祭には肉にありつけた。

さらに、偶像崇拝、無実の人を殺すこと、賭け事、占い、飲酒、豚肉を食べることなどが禁止されている。また、拷問にかけることや死体を痛めつけることも禁止されている。イスラムと言うとテロを思い浮かべる人も少なくないが、本来のイスラム教はそのような行為を禁止しているようである。