食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古墳時代とコメの炊き方-古代日本(3)

2020-08-26 22:49:06 | 第二章 古代文明の食の革命
古墳時代とコメの炊き方-古代日本(3)
弥生時代の日本の様子については『漢書』に記されており、この頃の日本は倭と呼ばれ、100以上の国に分かれていたということである。2~3世紀の弥生時代後期になると、青銅器から日本は東西に大きく2つの勢力に分かれた様子がうかがえるようになる。紀元前2世紀頃に日本に伝わったとされる青銅器は主に祭祀の道具として使用されていたと考えられているが、青銅器の種類に東西の違いが見られるのだ。つまり、北九州から中国・四国の西側にかけては銅剣などの武器型の青銅器が主に使用され、中国・四国の東側と近畿、そして東海では銅鐸が主に使われていた。2つの勢力の間に争いがあったかどうかは定かではないが、国内がいくつかのグループにまとまりつつあったことは確かだろう。

『三国志』の魏志倭人伝など中国の文献によると、倭国は男子を王として70~80年を経たが、2世紀後半になると長期間にわたる大乱が起こったことが記されている。そこで、3世紀に卑弥呼を王として立たせたところ戦乱がおさまったそうだ。そして卑弥呼は239年に魏に使者を送り「親魏倭王」の印綬と銅鏡100枚を賜った。このことから、この頃には中国に使者を出すほどの力を持った連合国家が成立したと推測される。なお、2世紀後半からの大乱はこの頃に世界を襲った寒冷化によって食料不足が起こったことが原因と考えることができる。

3世紀後半になると、日本では近畿地方や瀬戸内海沿岸、九州北部に古墳が作られるようになる。以前は人が亡くなると共同の墓地に埋葬していたが、この頃になると特定の有力者だけを埋葬することになるわけである。このように古墳が盛んに作られた3世紀後半から7世紀を古墳時代と呼ぶ。この頃の政治の中心は大和地方(奈良盆地周辺)であり、「大王(おおきみ)」と呼ばれた倭国の王を中心として連合国家である「ヤマト王権」が成立した。



古墳時代には新しい水田がたくさん作られことが分かっている。水田を新たに作るには水路などの灌漑設備を作らねばならず、これには大きな労働力が必要だったが、古墳時代となり国家の体制が整ったことから、必要な労働力を集めることができるようになったのである。また、中国や朝鮮半島から進んだ灌漑技術を持った渡来人が移住してきたことも、水田の増加につながったと考えられる。

さて、古墳時代の食の世界では不思議な変化が起きたと考えられている。それがご飯の炊き方の変化だ。弥生時代には現代と同じように、コメに水を加えて炊いていたと考えられている。これを「炊き干し法」と呼ぶ。それが古墳時代になると、コメを蒸して食べるようになるのだ。そして、その後にはまた炊き干し法を使うようになる。

「炊き干し法」では、コメに対して決まった量の水を加えてそのまま最後まで炊き上げる。弥生時代の遺跡からは、炊き出し法で炊いた時にできる吹きこぼれの跡が見つかっていることから、この時代の一般的な炊飯法だったと考えられている。それが古墳時代には「蒸し」に変化したことが遺跡の調査から見えてくるのだ。

「蒸し」は現代でも赤飯などを炊く時に使う調理法だ。コメを水につけて十分に水を吸わせた後に少し乾かしてからせいろに入れて蒸すと、表面は少し硬いが中はもちもちとした独特の食感が味わえる。3世紀から4世紀にかけて、せいろのようにコメを蒸すための大型の「甑(こしき)」と呼ばれる土器が朝鮮半島から伝えられた。甑は底に複数の蒸気孔が開けられた円筒形ないし鉢形の土器のことで、沸騰したお湯の上に乗せて蒸しの作業を行う。小型の甑は弥生時代から使われていたが、大型のものが古墳時代中頃に伝わり、5世紀には広く普及して多くの家庭で使われるようになる。そして8世紀あたりまでよく使われた。8世紀に活躍した山上億良が万葉集で「甑には蜘蛛の巣かきて飯炊く(かしく)ことも忘れて」と歌っており、甑が当時のありふれた台所用品だったことがうかがえる。

それが古墳時代を過ぎると、だんだんと炊き干し法に回帰してゆくのだが、なぜ古墳時代だけ蒸してご飯を炊いていたのかについてはよく分かっていないとのことである。

なお、モチゴメについてはずっと蒸して炊いていた。これは、モチゴメのデンプンのすべてがアミロペクチンと呼ばれる成分でできているからだ。アミロペクチンを加熱するとねばねばした糊になる。このため、炊き出し法でモチゴメを炊くと、ご飯全体が糊状になってくっついてしまい、うまく炊けないのだ。

ちなみに、ご飯に使うウルチ米のデンプンは約80%がアミロペクチンで、インディカ米にはアミロペクチンがほとんど含まれていない。インディカ米の炊き方は「湯取り法」と呼ばれるもので、これはコメを大量の湯で煮た後でザルに上げて湯を切り、それを再び鍋に移して蒸らす方法だ。こうするとあっさりとした風味になり、いろいろなおかずに合うそうだ。それぞれのコメに適した炊飯法が存在しているのである。