食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

原始日本と縄文時代の食の世界-古代日本(1)

2020-08-21 17:46:24 | 第二章 古代文明の食の革命
2・5 古代日本の食
原始日本と縄文時代の食の世界-古代日本(1)
ホモサピエンスがアフリカに誕生したのは今から10~20万年前とされている。そのうちの一つの集団が6万年前にアフリカを飛び出し、子孫を増やしながら世界各地に散らばって行った。その頃の地球は寒冷期で、海水面が今よりも下がっていた。このため、日本列島の四つの島(北海道・本州・四国・九州)は一続きで、北海道はシベリアとつながっており、また、九州も朝鮮半島とつながっていた。この大陸と地続きの日本には5万年前までには人類がたどり着き、生活を始めていたことが遺跡の発掘調査から分かっている。

この頃の遺跡からは、マンモス・ナウマンゾウ・ウシ・ウマ・シカ・イノシシ・トナカイなどの哺乳類の骨や魚の骨などが見つかっている。遺跡からは動物性の有機物が焦げたものが火で焼かれた石に付着しているのが発見されていることから、熱した石の上に動物の肉を乗せて焼いて食べていたと考えられる。このような石焼きの跡はヨーロッパの石器時代の遺跡からも見つかっている。このような調理の仕方は後の縄文時代にも行われていたことが分かっている。

約1万年前になると氷期が終わりを迎え、気候は次第に温暖で湿潤なものに変わっていった。それにともなって海水面が徐々に上昇し、現在のような日本列島の姿になったと考えられる。植生も変化し、針葉樹林は列島の北方や高山に追いやられ、代わって温帯性の植物が列島を覆うようになる。この結果、クリやドングリ、クルミなどの広葉樹の木の実や温帯性のイモ類がよく食べられるようになった。また、マンモス・ナウマンゾウ・ウシ・ウマ・トナカイなどの大型の動物は姿を消し、それ以外のシカやイノシシ、ウサギ、野鳥が増えて良い獲物となった。一方、日本列島に沿って寒流と暖流が流れるようになり、ハマグリ、アサリ、カキなどの貝類やイワシ、サバ、マグロなどの魚類、そして海藻もよく食べられるようになる。

この時代は「縄文時代」と呼ばれ、縄文土器(写真)と弓矢を使い、竪穴式住居に居住することを特徴としている。縄文時代の時期については諸説あるが、おおよそ紀元前10000年頃に始まり紀元前1000年頃に終わるとされている。



縄文土器は主に食べ物を煮るために使用されていたと考えられている。木の実やイモはそのまま食べるには固く、また、毒や苦み・渋みが含まれているものもある。しかし、煮るとやわらかくなり、毒や苦み・渋みも抜ける。また、殺菌効果もある。そして、デンプンも消化しやすい形に変化するのだ。こうして煮炊きができるようになって古代人の食のレパートリーが増え、栄養状態も向上したと考えられる。

このように土器の発達は植物性の食物と関係が深い。世界的には、土器がよく使われるようになるのは農耕の開始とだいたい一致する。穀物などはそのまま食べるのにはかたいため、煮る必要があったからだ。

日本で稲作が始まるのは縄文時代の終わり頃だが、農作物の栽培はそれ以前から行われていた。縄文時代前期(紀元前4000年頃)には、大陸から栽培化されたマメ類やエゴマが伝わって栽培が行われていたと考えられている。また、縄文人が森の木を切り倒して、クリやクルミの木を植えなおしていた痕跡も残っている。縄文土器はこのような食物を食べるために発達したと考えることができるのだ。

日々の食事に困らないようにするためには、食料を保存しておく必要がある。各地の遺跡からはクリやドングリなどの保存に使っていた直径50㎝から1mで、深さが1mほどの穴が見つかっている。こうして、食べ物が手に入らない時の準備をしていたのだ。穴の中には食料のほかに抗菌効果のある木の皮や葉が詰められており、古代人の知恵が感じられる。

食の革命は人口増加につながることが多い。いくつかの研究から、縄文時代に入ると人口が10倍程度の2万人から20万人まで増えたと推測されている。

(今回から古代日本シリーズが始まります)