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食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

トウモロコシとジャガイモの栽培化ー1・2人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(8)

2019-11-28 12:05:56 | 第一章 先史時代の食の革命
トウモロコシとジャガイモの栽培化
朝採りのトウモロコシの実には糖分がしっかりたまっていて、焼いてもゆがいても甘くてとても美味しい。醤油とバターの焼きトウモロコシにすると、トウモロコシの甘さに醤油の香ばしさとバターの風味がマッチして、格別の美味しさだ。

この愛すべきトウモロコシは約9000年前にメキシコのバルサス川流域で、雑草だったテオシントというイネ科の雑草から栽培化によって進化したと推測されている(図表6)。テオシントの穀粒は硬い皮によっておおわれているが、トウモロコシではその皮が無くなって食べやすくなった。また、十粒程度の穀粒しか実らないテオシントに比べて、栽培化された当初のトウモロコシは数十粒もの穀粒を持つようになった。今では品種改良が進み、穀粒は数百粒に増えている。


トウモロコシは、メキシコ高地から北米やカリブの島々、アンデス山脈に広がって行き、約7000年前までには南北アメリカ大陸の主要農産物となった。

トウモロコシの穀粒を石灰水で煮てからつぶすと粘りが出る。それを薄く広げて焼いたものをトルティーヤと呼び、トルティーヤで具を包んだものがタコスである。現代ではタコスはメキシコを代表する料理になっている。

一方、ジャガイモは、南米ペルーのティティカカ湖畔を中心とする中央アンデス高地(図表6)が発祥の地と考えられているが、栽培化の過程については詳しく分かっていない。最も近縁の野生種であるアウカレが人の生活環境に好んで生息する雑草であることから、ジャガイモの祖先も同じように、人の住居の近くに生えていた雑草であったと考えられている。

ジャガイモはトマトやナスなどと同じナス科の植物であるが、他のナス科の作物と異なり、地下茎に大量のデンプンを蓄える。近縁種のアウカレの地下茎には毒であるアルカロイドのソラニンが大量に含まれている。ジャガイモも当初は相当量のソラニンを含んでいたと思われるが、栽培化や品種改良によってソラニンの少ないものが選択されて行ったと考えられている。しかし、現代のジャガイモでも、芽や日に当たって緑化した部分にはソラニンが作られるので注意が必要だ。

大航海時代に入って、トウモロコシやジャガイモは他のアメリカ大陸原産の植物と一緒にヨーロッパに渡り、人類史に大きな影響を及ぼす存在になって行く。

ダイズの栽培化ー1・2人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(7)

2019-11-28 08:12:00 | 第一章 先史時代の食の革命
ダイズの栽培化
ダイズから作られる豆乳や豆腐などは健康的な食品として海外でも人気だ。また、ダイズに含まれるイソフラボンは女性ホルモンに似た作用を示すため、閉経後の女性がダイズ製品を多く摂取すると、更年期障害や骨粗鬆症を軽減する効果があると言われている。

ダイズはツルマメと呼ばれる東アジア原産の植物から、約5000年前に栽培化された。ツルマメは現代でも日本各地の野原で見かける雑草で、日本もダイズの起源地の一つと考えられている。

古来、日本ではダイズは五穀の一つとして重要な作物とされてきた。特に、味噌や醤油の原料として和食では無くてはならないものだ。一方、古代の中国ではダイズの地位は低く、貧乏人が食べる下等な作物だった。

ところで、マメ科植物は根粒菌と呼ばれる細菌を根の中に囲い込むことで、空気中の窒素を栄養素として利用することができる。このため、マメ科植物はやせた土壌でも生育することが可能だ。草原では、イネ科植物はマメ科植物から窒素化合物をもらって生育している。そこで、牧草地を作るときにはイネ科とマメ科の植物の種を混合してまいている。

コメの栽培化ー1・2人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(6)

2019-11-27 22:10:30 | 第一章 先史時代の食の革命
コメの栽培化
日本人の主食としてなじみの深いコメ(イネ)は、世界中で栽培されている重要な作物だ。イネを栽培するには一年間に1000㎜メートル以上の降水量が必要であり、コムギの栽培に必要な500㎜の降水量に比べて、より多くの水を必要とする。この条件を満たすのが「モンスーンアジア」と呼ばれる、日本列島を含む東アジア、東南アジア、南アジアの地域だ。(図表5)。この地域には、モンスーン(季節風)によって海上の湿った空気が運ばれる。イネは、このモンスーンアジアに適した穀物として栽培化された。


イネは形態や生態の違いから、インディカ種とジャポニカ種に大別される。これらが、いつ頃、どこで栽培化されたかについては諸説あるが、おおよそ次の通りだと考えられている。

最初に栽培化されたのはジャポニカ種であり、約1万年前に珠江の中流域、あるいは長江の中流域で野生のイネ科の植物から栽培化により誕生した(図表5)。一方、インディカ種は、ジャポニカ種が他の野生種と交雑することで、同じ地域に生まれた。

栽培化後、ジャポニカ種とインディカ種は各地に広がって行くが、日本には、中国大陸の長江下流域から、約3000年前の縄文時代の終わりに伝来したとする説が有力だ。

他の穀物に見られないイネに特有の栽培方法が、「水田稲作」だ。イネは、水田にはられた水から窒素やリンなどの栄養素の供給を受けることから、水田稲作では連作障害が出にくく、毎年同じ場所でコメを作り続けることができる。

水田稲作は非常に生産性が高く、単位面積当たりの収穫量はコムギの約1.5倍であり、まいた種当たりの収穫量もコムギの4倍以上になる。さらに、モンスーンアジアで栽培される農作物のうちで、コメが単位面積当たりの収穫量がもっとも高い。世界の総人口の約60%がこの地域に集中しているのも、水田稲作のおかげと言える。

中国では長江流域では少なくとも6000年前に水田稲作が行われていた。日本には、イネが伝来した縄文時代晩期か、その少し後に水田稲作が中国から伝わったと考えられている。紀元2、3世紀頃の弥生時代後期の登呂遺跡からは51面の水田遺構が見つかっており、その総面積は約7万㎡にもなる。

ムギの栽培化ー1・2人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(5)

2019-11-27 18:18:27 | 第一章 先史時代の食の革命
ムギ類の栽培化
ここで、主要な作物の栽培化について見て行こう。まずはムギだ。

古代メソポタミアにおける主要な穀物はオオムギだった。そして、古代ギリシャにいたるまで、オオムギは西アジアとヨーロッパの庶民の主要なエネルギー源になっていた。また、オオムギは古代よりビールの原料として利用されてきた。

オオムギは約8000年前に、レバント(東部地中海沿岸地方)・南東アナトリア・メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる地域(図表4)の高原を中心に栽培化されたと考えられている。この地域は夏に雨が少なく冬に雨が多い地中海性気候だ。ムギ類は秋に発芽して晩春から初夏に新しい種子が実る「冬作物」で、地中海気候に適した植物だ。


一方、現在主要な穀物になっているコムギには複数の種類があるので、少し注意が必要だ。

現在主に食べられているコムギは「パンコムギ」だ。また、別の食用のコムギに「マカロニコムギ(デュラムコムギ)」がある。名前の通り、パンコムギはパンを作るのに適したコムギで、マカロニコムギはパスタを作るのに適したコムギだ。つまり、マカロニコムギからはふっくらとしたパンを作ることはできない。

この違いは、コムギに含まれるタンパク質の「グルテン」の性質の違いによるものだ。小麦粉に水を加えてこねると、パンコムギのグルテンは、弾力と粘りのある巨大な網目構造を形成する。パンを作る時にこの網目構造に気泡がたまることによって、独特のふっくら感が生まれる。マカロニコムギのグルテンは、この弾力と粘りに欠けている。

コムギの栽培化においては、まずマカロニコムギが約1万年前に現在のトルコ周辺で、野生のコムギからの突然変異によって生まれたと考えられている。一方、パンコムギは、マカロニコムギを野生種のタルホコムギと異種交配(交雑)させることで、約8000年前にカスピ海南岸地域で誕生したと考えられている。パンコムギの良質のグルテンは、タルホコムギから持ち込まれたものだ。

黒パンの原料となるライムギは、元々はコムギ畑の雑草であったものが、人に刈り取られないように進化を遂げた結果、栽培されるようになったものだ。つまり、ライムギは、人の目を逃れるために姿かたちを小麦に似せるとともに、非脱粒性への変化という驚くべき進化を遂げたのだ。ライムギはコムギよりも冷涼な環境に強いため、約5000年前に北欧において栽培化された。

エンバクは、現在健康食品として人気の高いオートミールの原料だ。エンバクも、コムギ畑の雑草だったものが人の目を逃れるためにコムギのように進化した結果、栽培種となったものだ。約5000年前に中央ヨーロッパで栽培化されたと考えられている。

雑草の栽培化ー1・2 人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(4)

2019-11-27 13:11:34 | 第一章 先史時代の食の革命
雑草の栽培化
生物の進化を大きく推し進めるのが、遺伝子が変化する「突然変異」だ。生物の進化では、環境に適したものが選択される「自然選択」が起こるが、栽培化では人に都合の良いものが選択される「人為選択」が起こる。つまり人類は、突然変異で新しく生まれた雑草の子孫の中で、より好ましい品種を人為選択することで、栽培化を進めたのだ。

穀物の栽培を行う際に、まいた種子がすぐに発芽してくれなければ困るし、出芽のタイミングがずれるという性質もいろいろな農作業を同時に進める上で不都合になる。そこで人為選択によって、ムギ・イネ・トウモロコシなどの種子は、決まった季節まで休眠する仕組みや、光発芽の仕組みも失った。また、種子ごとに発芽のタイミングがずれるという性質も無くなってしまった。

さらに、人為選択によって、自然選択では絶対に起こらない、とんでもない進化が雑草に生じた。それが、種子が熟しても地上に落ちない「非脱粒性」への変化だ。

植物が子孫を残すためには種子を土壌にばらまく必要がある。一方、種子が地上に落ちてしまうと、人が食べ物として収穫するためには一粒ずつ集めないといけなくなり、大変な労力になる。そこで、種子が落ちずに穂にとどまったままの品種が人為選択されたと考えられる。

しかし、植物にとって非脱粒性とは、自力で生きるのをやめて人類にみずからの繁殖をゆだねるという異常な状態だ。すなわち、非脱粒性への変化によって、ムギ・イネ・トウモロコシなどは、独力で生きる道を捨てたと言える。

一方で、自家受精するという性質は残された。栽培を行う上で、毎年同じ性質を持った種子(穀物)を収穫できるということはとても重要なことだ。自家受精は、同じ性質を維持する上で必須の仕組みと言える。

さらに人類は、一つの穂に、より多くの種子やより大きい種子をつけるものを選択して行ったと考えられる。

以上のような栽培化は短期間では達成できなかったと考えられる。人類は、数百年、あるいは数千年の長い年月をかけて、栽培化を進めて行ったのだろう。このように、穀物はあるときから急速に主要な食料になったのではなく、徐々にその重要性を増して行ったと考えられる。