京旬の彩り 

京都の神社、仏閣、歳時記、自然、等、目に写ったり感じたことを
写真で掲載したいと思います。

真如堂の菩提樹と沙羅双樹

2010-06-29 22:39:26 | 日記
真如堂山門



三重の塔



菩提樹
菩提樹は仏教3聖木の一つで、この木の下でお釈迦さんが悟りを開いたとされています。
6月中旬に葉腋から散房状の集散花を下向けに出し、淡黄色の香り良い花を咲かせます。
シューベルトの名曲「リンデンバウム」を「菩提樹」と訳したのは、音楽家の堀内敬三氏。
リンデンバウムは日本の菩提樹と同じシナノキ科。銀座・並木通の街路樹が有名です。





沙羅双樹(夏椿)
沙羅樹は仏教3聖木の一つ。この木のもとでお釈迦さんが入滅されたと。
インドの沙羅と日本の沙羅と呼んでいる木はまったく違う種類です。
朝咲いて夕方には落ちる夏椿を、はかない命の「沙羅」として仕立てたのでしょう。







向井去来の寺 (真如堂塔頭)
去来は松尾芭蕉の弟子。1691年に真如堂で行われた信濃・善光寺如来の出開帳法要に
参列し、その時の様子を詠じたもの。
「日本三如来」信濃・善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨・清涼寺の釈迦如来、真如堂・阿弥陀如来と呼ばれています。



涼しさの 野山に満つる 念仏かな  (去来)


藤森神社の紫陽花

2010-06-28 17:41:17 | 日記
藤森神社
社伝で、神功皇后が新羅出兵から凱旋してその旗と兵器を納めたのを起源とする。
境内2ヶ所に紫陽花園があり、紫陽花の寺として人気です。



割拝殿



本殿は1712年に中御門天皇から宮中内侍所を下賜されたものです。



紫陽花園へ













境内の手水鉢台、石の由来が書いてありました。
水鉢の台石は宇治浮島にある十三重の塔の上より五番目の石を石川五右衛門が持って来た
物と伝わっており、現在十三重の塔のその部分だけ石の色が違っているそうです。



下部の苔の生えてる部分


等持院のサツキと半夏生

2010-06-23 22:33:52 | 日記
等持院
1341年足利尊氏が夢窓国師を開山として創建し、菩提所にした。
臨済宗天龍寺派の寺院。

境内にマキノ省三氏の銅像があります。
日本映画の父と仰がれたマキノ省三監督が大正10年に最初の撮影所を創設した場所。



等持院山門



達磨大師



芙蓉池のサツキ(夢窓国師作庭)



心字池(夢窓国師作庭)の半夏生






両足院(建仁寺の塔頭)の半夏生

2010-06-21 21:40:17 | 日記
両足院は建仁寺の塔頭で1358年に建仁寺第35世龍山徳見を開山として創建。
池の北に織田有楽斎の国宝如庵の写しの茶室、暦の席「水月亭」と大村梅軒好みの
「臨池亭」と2つの茶室があります。
池の周りには半夏生が美しい。





庭園へ


半夏生






書院の中庭






半夏生、半化粧、とは
片白草(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧している様に見える


安倍晴明の続き

2010-06-19 14:24:46 | 日記
真如堂
安倍晴明の念持仏であった不動明王座像があります。
また、安倍晴明の蘇生図と結定往生之秘印が納められています。

真如堂本堂(真正極楽寺)
992年に一条天皇の母東三条院藤原詮子の離宮内に一堂を建てたのに始まる。
1693年に現在地に。


本尊 阿弥陀如来の脇仏の一体は、安倍晴明の念持仏であった不動明王座像ですが、
伝記によりますと、晴明が急死しかけた時、この不動明王が閻魔大王に「この者は
定業にて来る者に非ず。いまだ娑婆の報命尽きずと言えども、その難病に侵され
養生叶わずして遂に命終す。すなわち横死なり。今一度娑婆へ返したまえ」と直談判され
たそうです。閻魔大王はこれを聞き入れ、晴明に「是は我が秘印にして、現世には横死の
難を救い、未来にはこの印鑑を持来る亡者結定往生の秘印なり。是は汝一人のために非ず。
娑婆へ持ち帰り、この印鑑を施し、あまねく諸人を導くべし」と言って、秘印を渡したと。





「真如堂縁起」の一場面を模写した掛け軸の写真です。


大将軍八神社
794年桓武天皇の勅願により、方位守護の神として、内裏の北西角(陰陽道の天門)の
地に勧請された。


方徳殿には、80体の大将軍神像群が立体星曼荼羅様に安置されています。
また、天球儀(渋川春海製作)小説「天地明察」にも登場しています。
天文図(黄裳天文図)等の展示があります。



私のホームページ http://www5.ocn.ne.jp/~syutou/ の「安倍清明をめぐる」もご覧下さいませ。