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芯にあるもの

こんにちは。

ここに書いていることは個人的なことで生活する上で感じたことのメモですので、そのような前提で読んでくださると嬉しいです。

私は時に神社やお寺でご祈祷や供養などをお願いしておりますが、思うことは神仏は真面目だな、ということです。

私たちの過りを気づかせる縁を下さったり、今ある能力をより生かすための視点を得ることはあるように思いますが、ただ単に超常的な現象を起こして甘やかすようなことはないように思います。

それは結局のところただ単に甘やかすことが私たちに良いことになるとは限らないから、ということのように思われます。

自分がかなえたいと思っていることに対して必要な知識や能力などのご縁を下さるということです。でも私たちがそのことに気づかなければ、それはないことになり全く役にたたないので、私たちも気がつくように修養が必要です。神仏に接するように人々やお仕事に接していけば、自ずと仕事や生活がうまくいく回数も増えるのではないでしょうか?

私たちは、無意識に欲望にとらわれたり、不安になったり、必要以上に感情的になったりしてやることが疎かになってしまいます。そのようなことのないようにすることが、結局は幸せになるので、そのための道すじをたてて下さるように思います。

お祈りは私たちの意識を願い事や清らかなものに向けるための道標のような役割があるように思います。既に与えられているものを大事にする、という一見当たり前、簡単に思えることが意外と難しいと思う今日この頃です。

風雨の中に光をみる、笑顔を向けることを要職にある方は実践されています。私も毎日、一仕事、一掃きごとに光を放ちたいものです。ありがたい現世ですね。

今日もありがとうございます😊
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