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夢物語615

おはようございます。

毎日新しい日が来てありがたいですね。
今日も夢物語を書いてみたいと思います。

今はデジタルツールが発達して、多くの連絡を文章で行うことが多くなりました。

これは発声の量が非常に減っているということになろうかと思われます。

一方でyoutube でお話しをする方やweb会議などデジタルツールを使って話すことは増えております。これは各人が話すことが情報として物理的に記録されるので、いみじくも自分の振る舞いを客観的に理解する縁起が爆発的に増えております。

すると自身の発声や話すことが反射度合いが強まりますので、このような視点からも何を口にするかということの重要性は明らかになるのではないかと思われます。

これまでも優れた方はそのようなことを意識されているように存じますが、一般の方にも広がっているように思われます。

この世は鏡と古くから言われておりますが、その解像度が高まっているということでございます。

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質の良いものに普段から接しておりますと、そのものに身体が馴染んで参りまして、波動の違いというものがわかるようになってまいります。

日本のお水やお米は美味しいので、お水やお米の味にこだわる方が多いのは頷けます。

同様に自身の「みこころ」を日頃から敬い大切にしていれば、山や海に行った時の「みこころ」も感ずることができるかもしれません。
いわゆる聖地というところは、そのようなエネルギーが強いところですから、迷いが大きい時は聖地を訪れることも有用に思われ、日頃の雑念を祓っていただけます。

聖地を守り整えて下さっていることは本当にありがたいことと存じます。

今日もありがとうございます😊🙇‍♀️





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夢物語616

こんにちは。
最近はかなり秋らしくなって涼しい日が続いています。

玄米を食べていると、少しずつ贅肉が柔らかくなっていく感じがあります。こりが解けていき、素直になっていく感覚です。
ほぐれていく感じですが、それを感じるには、よく噛んで、食べるもののありがたみに感謝するといったことが重要に思えます。

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人口のデータとは人の数を数えたものです。人の数を数えることは、例えば「4人家族」「従業員300人」など、日常生活でも行われることですので、何となく難しくないことのように思えます。でも、実際に間違いないように着実に全国の人間をある期間に数えることはそれほど簡単ではありません。技術や知識など様々なノウハウが必要です。その点だけを見てもありがたいと思っております。

また個人的な視点でみると、人口を把握することは、すなわち「みこころ」を数えることだから、何か尊いことのように思われるのです。

人が生まれるのが、「みこころ」のお取り計らいだとすると、そのみわざを捉えてよく知ろうとすることは尊いと思いますし、また人口のみならず経済を計ろうとするのは、やはり「みこころ」のみわざがどのように財を構築していくのかを捉えることであり、そのこと自体がありがたいことであるように思うことがあります。

人口に限らず、社会をよくしようという様々な試みは全てありがたいのはもちろんのことです。

このように書くと、綺麗事のオンパレードで、現実は大変なこともたくさんあるとお思いになる方もいらっしゃるかも知れません。

でも最近私は大切なのは言葉なのかも知れないと思うのです。
見たことや感じたことなど受け取ったことを表すのが言葉ですから、言葉というものは思うよりも慎重に扱うべきだと思われるのです。もちろん緊急時にはそうも言ってられないと思います。だからなおのこと、平時の日頃は良い言葉を話す習慣をつけると良いと思うのです。やはり言葉から物事が成り立っていく側面があると思われます。

事柄をどのように捉えていくのか、良いところを見つけていくのが大切です。ひとつの事象に対してどのような言葉を選ぶのか、ということは身体の機能としては本当に個々人に委ねられています。ですからどのような波動を身体に満たすのか、選択しているのは実は私達自身なのかもしれないと思います。

「みこころ」が心地よくなるような発声を心がけることができれば、それはもうありがたいことです。好きな言葉を丁寧に発声してみる、というような習慣をもてば、良い波動を作ることができるのです。

私たちは実はなかなか興味深い世界に生きているのかも知れないのです。虫や鳥は私達に喜びを語ってくれます。

今日もありがとうございます😊🙇‍♀️
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夢物語617

おはようございます。

今日も創作夢物語です。

最近は玄米を主に食べており、なんとなく体調が良いです。お菓子を控えてるのも影響が大きいようです。健康診断まであと2週間ほど続けて中性脂肪の数値が下がると嬉しいのですが。

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「みこころ」は自分の命を大事にする心ですが、でも普段はそんなことを意識しないのが普通ですよね。
美味しいお菓子を食べたいと思ったり、何か面白いことないかなと様々な情報をみたり、あれやこれやと多くの時間をやりたいことで一杯にしているか、あるいはあれもやって、これもやってと義務に邁進して過ごすことが多いです。

日本はありがたいことに平和で、なかなか「みこころ」を意識することは少ないかと思います。

ですから、お宮などを用意して、家で尊いものにお祈りを捧げ、感謝することは「みこころ」を敬い大切にする習慣となって良いことと存じます。

頭も鍛えなければ、考えることができなくなるように、心も日頃からお祈りを習慣化して、尊ぶ心を育てるようにすることが大事なようでございます。

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お山にはおやまの「みこころ」がおありで、私たちの活動を見ておられるように思います。

海には海の、川には川の「みこころ」です。

もう少し浄化できるように精進しなければなりません。

今日もありがとうございます😊🙇‍♀️





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夢物語618

おはようございます。

タイトルの数字が急に減っているのですが、最初にスタートの日時を9月にして日にちを計算しており、間違えていました。失礼しました。あと618日です。

ここで書いていることは空想物語ですので、話半分に読んでくださると嬉しいです。
私は割と思いついたことを気軽に話したいタイプなのですが、そうすると誤解を招くこともあるので、ここに書くようにしたいと思います。

面白いこととか意外と役に立つことは思いつきの中にもあると思います。使い方次第ですし、他の方法での問題がないか、というチェックは必要ですが。
でも面白い事でも悪用(良心に反すること)はしない方が無難です。世の中のニュースを見ているとブーメランが飛び交っていて、空気抵抗が少ない時代になってきており、反射が速いように思います。
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皆が同じ「みこころ」を持っているのに、コミュニケーションがスムーズでなかったり、個性があるのは何故なのでしょうか?
これは生まれた環境や個々の性格が異なり、そのフィルターを通して物事を見るからだと思われます。

生まれた環境や個々の性格は、仏教で言うカルマを反映していると考えるのが良いようです。

このカルマが、社会でのいい感じの摩擦となって努力を促進し、社会を支えるエネルギーに使われることで、結果的に社会全体で暮らしやすくなるように協力し合って、今の文明は発達、発展して参りました。医療の充実や平和、安全などありがたいことでございます。

これが比較的順調にまわっているだけでも大変ありがたいことと存じております。うまく行かない時は社会が荒み、ストレスが増大し成長力にマイナスに働きます。順調に回るように心身を磨いて行くことが積善でございます。

また、社会全体の利益のみならず、個性のうち独善的なところを打ち消すことで、「みこころ」と一体となっていくと社会でも希望が通りやすくなり、個人的にも幸福に近づくということもご利益あるいはご功徳としてございます。

この独善的なことを修正することで、「みこころ」が自身でもつかめるようになりますと、大変ありがたいことがよくわかるようになって参ります。なぜなら「みこころ」は自身の命を大切に思う心そのものだからでございます。

独善を改めて生きられるよう、落ち着いて整えて参りたいものでございます。

今日もありがとうございます😊🙇‍♀️

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夢物語649

おはようございます。
今日も日々の徒然創作物語を書いてみたいと思います。

昨日は「みこころ」について自分を大切だと思う誰にもある心について触れてみました。

この「みこころ」は、生きて行く上でとても大切なものですが、心は目に見えないものですので、多くの方が意識をしてないことが多いように存じます。

自分を大事にしたいと多くの方は内心は思われていると思いますが、何となくの社会通念として自分大事というと、すなわち自分勝手=利己主義と思われてしまうのではないかというような漠然としたおそれのようなものがあるように思うのですが、これは私だけでしょうか?
このようなこともあって、多くの常識ある方々はそのようなことを語ることは控えておられるというように私には思えるのです。

ここで気になるのは、「利己主義と利他主義」というような対義語から自動的に派生するように思われる二元論的な考え方です。

二元論的というのはなんとなく○と×というふうに物事を単純化できるので、深く考える土台が少ない時には大変便利で有用です。でもそれが、本質的で、そのものの性質を描写しているというわけではないことも多々あります。

そして、心というものは、自分を大切にしたからといって、他者を大切にしない、というような不自由なあるいは単純なものではないように思うのです。

むしろ、自分をとても大切するからこそ、「みこころ」を持つもの同士で尊重できるという風に考えるのが素直な見方なのではないでしょうか。

私たちは、科学の時代を生きています。科学的な視点の根本は物事の「観察」です。そして精緻な観察を通して世界や事物の働きを明らかにして行くことで、その原理を応用し、文明を形作って参りました。

その観察眼を自分の認知や感情、「みこころ」にも向けて、正確に知ろうとすることがとても大切なように思えるのです。
当たり前にあるから、「わかっている」ということでもないように思います。

「みこころ」についての物語を書いていきたいと思います。


今日もありがとうございます😊🙇‍♀️

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