ああ、確かに私は家族の事、自分の周囲で起きた出来事、自分の失敗談から何から随分さらけ出している。
それが出来るのも、友達を除けば、公には匿名だからこそだ。
匿名にしているとはいえ、あらゆる話の断片を拾っていけば、ある程度住んでいる場所も絞れる。ITに関する操作に長(た)けた人なら、私がどこの誰であるか、名前も住所も直ぐに特定出来るのだろう。
最近誕生日を迎えて、私は66歳になった。
この66年という期間に体験したり感じた事は山ほどある。その中でも、失敗した事や、無知であったがゆえの誤った行動は、同じ轍を踏まないように、子供たちに出来るだけ知らせておきたい。
ノートに書き残しておこうと思ったものの、いつ書こう、何から書こうと思いながら、仕事や家事に追われて出来なかった。
息子にブログを書くよう勧められて、構成も順序もバラバラではあるけれど、気が向くままに書き始め、結局はこんなスタイルで書き残す事になった。
子供たちが生まれた時にはすでに他界していた私の父。たまに子供たちに父の話をすると、娘は「会ってみたかったなあ」と言った。
父に実際に会わせることは出来ないけれど、ブログの中に父の人柄を知ることが出来るだろう。
父に対しては、親不孝をしてしまったという申し訳無さがいつもあるのだが、父の思い出をブログに書き出していく内に、少し心が軽くなって行った。親不孝の事実は変わらないのだが…。
あれだけ長い期間一緒に暮らしていても、親の事となると、意外と何も知らないという事も感じた。
何を考えどんな思いでいたのかという事は、ある程度推し量ることは出来ても、実際の心の内を知ることは出来ない。
会話の多い親子であれば、より深く理解し合えたのだろうが、私と父は、特に思春期以降は、会話の無い親子だった。
「親の気持ちなど、実際に親になってみなければわからないものだ」と父はよく言っていた。その通りだった。
今となっては、もっと父と話して、父が体験した思い出話を聞き出したり、深く父の事を知りたかったなあと思う。
私がブログを書くことで、子供たちは私が何を思い、どう感じているのか、より良く知ることができるのでは無いかと思う。
今は生きているから話すことは出来るけれど、私の死後も、ブログを懐かしく思い出しながら読んでもらえれば嬉しい。
もし、孫でも出来れば、私がこの世に存在していなくても、ブログを読むことで”変なお祖母ちゃん“(私)の事を、知ることが出来るのだ。
更に、恐れ多くもこんな私のブログを読んでくださる貴重な読者の方には、私のバカ話に付き合っていただいて、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいし、生活のヒントであったり、何かお役に立つことが有ればいいなと考えている。
また、私が書き残す文章は、もしかしたら
ずーっと先の未来では、昭和、平成、令和を生きた名もなき市井の人の生活の記録として、貴重な文章となるかもしれない。
あのピラミッドの建設に関わったエジプト人達が、奴隷ではなく実際にはお給料をもらっていた労働者であったという事実も、発掘された記録があったからこそわかった事だ。
壮大な歴史的事実を比較に出したけれど、私の文章だけでなく、これだけ多くの人がブログやSNSで記録を残しているのだから、未来の人は過去の歴史をYouTubeの映像と共に、どの時代も生々しく体験出来るだろう。
その頃にはバーチャル空間も飛躍的に進化を遂げ、学校の歴史の授業では、その時代に行って学ぶことになるかも知れないなあ。
1000年先はどんな未来なのか、この目で確かめることが出来ないのが残念だ。