生子のがん退治

47歳。昨年乳がん左乳房全摘手術と胆嚢全摘手術を連続でやっちまったの。がんなんかにゃ負けねえぞっ!!

乳がん発見!!

2005-02-06 18:38:46 | Weblog
昨年に起こったできごとは、私にとって本当に忘れられないでしょう。

1月、私は船橋の靴屋さんでパート仕事。元旦も仕事でした。

この時期に、左乳房にちくちくとした痛みがありました。すぐに病院に行こうと考えましたが、父が磯鶏ヘルニアで入院したので、父の手術が終わってから、同じ病院で診てもらおうと延期しました。

2月に入って、父の手術も無事終わり、無事退院したので、私は飯田橋にあるその病院の乳腺外科に行き、M先生の診察を受けました。症状を言うと、あれよあれよという間に細胞針検査。エコー。マンモグラフィー検査です。細胞針もマンモも痛かった。辛かったけど、今思えば良かったんです。

検査の結果、乳がんであると言われた日は、2月20日です。

わたしの心に準備もできないうちに、先生は「手術しよう。温存でいくから安心して。で、入院日はいつにしようか?」って言います。

そんなとき、「ひとつの病院だけで診断するのは危険だ」と旦那が言いました。だって、本当にがんでなかったら?不安と望みが半々でした。わたしも旦那も怖くて毎日泣きました。

乳がんの専門で、いい先生が秋葉原のM病院にいると旦那が調べてくれてました。今やセカンドオピニオンは普通です。M先生は快諾してくれて、紹介状まで書いてくれました。2月28日の土曜日、わたしは嫌でしたが、旦那に説得されて、M病院に連絡して診察を受けることになりました。当日は、専門のN先生が休みなので別な外科の先生が診察してくれました。同時にエコー検査も受けました。

飯田橋の病院から細胞針で採取された「私の細胞サンプル」を貸してもらって、M病院でもその細胞サンプルを検査してもらいました。

数日して、M病院のN先生に初めて診察を受けました。

期待に反して、やはり乳がんでした。しかもエコー検査では、さらにもうひとつの腫瘍が見つかりました。「こちらは悪性かどうかは切ってみないとわからないが、乳房は全摘するのが賢明でしょう」と先生は言いました。

飯田橋の病院のM先生にお詫びし、秋葉原のM病院で全摘手術を受けることになるのは、それから一ヵ月後のことでした。