生子のがん退治

47歳。昨年乳がん左乳房全摘手術と胆嚢全摘手術を連続でやっちまったの。がんなんかにゃ負けねえぞっ!!

セカンドオピニオン

2005-02-06 18:43:25 | Weblog
セカンドオピニオンということで、旦那に秋葉原の病院に連れて行かれた私ですが、実は後悔もありました。飯田橋の病院では、がんだけを切り取って、乳房を残す「温存手術」でいくと言われましたし、担当の医師が「一緒に直していこうね」って優しく言ってくれたのに、他の病院でも検査してもらうということが、飯田橋の先生を裏切ったみたいだったからです。

秋葉原の病院でのエコー検査では、飯田橋の病院と同じ「2.4センチのステージⅡのA」でしたが、驚いたことに、もうひとつの腫瘍(9ミリ)も発見されたのです。こちらは細胞針をしませんでしたから、この時点では悪性か良性かが不明でしたが、「安全のために小さい方も切り取った方がいい。全摘手術しましょう」ということになりました。担当医師には「がんは80~90%は直る」と言われました。

秋葉原の病院の方が「乳腺外科では知名度が高い」ことから、旦那も私の父も秋葉原の病院を選びましたが、肝心の私は「乳房を残したい。なんで全部摘出しなくてはならないのか?」という気持ちが、迷いを増幅させていたんです。

「運命」というのはいつでも「選択」です。どちらかを選択することでその後の運命が決まるのです。決めた以上は、時間は戻らない。どうしようもないんです。今となってはどちらがよかったのかなんてわかりません。今後、それはわかるのだろうと思います。私は勇気を奮い立たせて、「結末」を待ちます。

さて、私は手術のために秋葉原の病院に入院しました。怖かった。だって生まれて初めて手術するんですからね。それに乳房を失うのは嫌だとか、手術の痛みはどうかとか、麻酔はきくんだろうか、いや、もしも手術が失敗したら・・・もう旦那にも父親にも妹にも会えないのかとか、恐怖もありますが、二日後に手術するのに、なんで二日前から入院しなくてはならないの?かとかって。入院から退院までの期間は10日でした。旦那は、一日も欠かさずに私のそばにいてくれました。

私は、あまり人と接したくなかったので、二人部屋を選びました。個室まではちょっとね。11階のその部屋には既に、お年寄りが入っていました。その人は大部屋希望でしたが、あいにく満室で、こちらにまわされたのだそうです。私の部屋は窓際で明るく、冷蔵庫も付いていました。旦那は、「俺のクライアントが、窓の下に見えるビルに入っているんだよ」と言って、はしゃいでいます。でも、実は焦る気持ちを無理して隠しておどけているみたいでした。

病院には結構な数の着替えを持って行きました。まるで旅行です。本当に旅行ならば言うことはないんですがね。それに買い揃えなければならないものが沢山あるんです。タオルとか手術時につかう「T字帯」(ふんどしです)とかいろいろです。

旦那は、毎日、病院に寄ってから会社に行きます。帰りも会社から病院に寄って、面会時間終了まで私についています。ありがたいことですが、私は旦那の身体が心配でした。