生子のがん退治

47歳。昨年乳がん左乳房全摘手術と胆嚢全摘手術を連続でやっちまったの。がんなんかにゃ負けねえぞっ!!

旦那と母

2005-02-06 18:55:58 | Weblog
私が乳がんになってから、旦那は人が変わったように私に尽くしてくれました。彼はそれまでの悪業を断ち切るようにまともになりました(今は、また元通りですが・・・)。

私が乳がんの宣告を受けたその日のこと、旦那は、帰るとすぐに台所へ直行し、冷蔵庫にあった野菜を全部鍋に放りいれて煮込みはじめました。そしてある程度まで煮詰めてできたスープを私に「飲め」といって渡します。彼の言うところの「がん克服スープ」です。今思えばかえって病気が悪くなるような配合?でした。だって、じゃがいも、人参、タマネギ、ブロッコリーにほうれん草をひととおり洗っただけで皮付きのまま煮込んだモノなんです。でもその時は、なぜか「効きそう」な気がしました。煮詰めてどろどろになった野菜も「食え」と言って差し出します。私は食べれませんでした。すると旦那は、それにカレールーを加えて「がん克服カレー」にしちゃいました(笑)。これはおいしかったです。

翌日から旦那は、あちこちの書店に行って「がんの本」のコーナーに行き、数冊のがんの本を選んで買って帰りました。そして旦那は電車の中で読み、帰宅してからも夢中で読んでいました。私をなんとしてでも「死なせないため」に知識をつけたいからでした。私が気落ちしないようにと、読んだ知識の「安全な部分」だけを私に話して聞かせます。

書店に並ぶ、がんの本は、ほとんどが患者の心の救いにはなりません。決してがんになられた本人が読むモノではありません。だって、たいていは「正直に書く」あまり、残酷な結末で結ぶモノが多いんです。経験者の方ならわかると思いますが、読むのが怖くなってしまいます。

反面、目障りがよく、希望に結びつけられるモノも多いんです。ここに落とし穴があるんです。

「末期癌を○○で克服!」的なモノは、そのほとんどが眉唾物です。○○の中には、メシマコブだとかイペだとか変な名前の植物が入ります。明らかにそれらが配合された「食品?」の宣伝なんです。中には新聞広告はありますが、実際には書店で売っていない本も多いんです。本当に詐欺っぽいんです。それらは確かに「身体にいい」モノなんですが、末期がんを克服するかと言うと???です。私はお医者さんではないのでわかりませんが、こういった類のモノを、私は許せないのです。

前にも書きましたが、私の母は「気と漢方で治す」という東中野の漢方医を信頼していました。「ある方法」で、がんか否かを判別し、その結果に沿って漢方薬を配合してくれるのです。判別するためのその「方法」は有名な方法で、それを実践する病院は結構たくさんあります。しかし、誰が見ても「陳腐」なモノです。「西洋医学は嘘だ」と否定し、東洋医学のみを肯定します。そういえば西洋医学の中にもK医師のように「がんは下手に切ると増殖して、余命が縮むから手術するな」っていう方もいますね。

東中野の漢方医は母だけでなく父や妹にも「電磁波除け」というお守りを売りました。小さな電子部品の一部のようなモノがちいさなビニール袋に入れられていました。明らかにインチキでしょう?「電磁波でがんになる」という、ここだけ西洋的な屁理屈で、彼はそんなモノを売りつけたのです。誰でも電磁波は全身をシールドしないと意味がないことぐらいはわかるでしょう?母は弱虫でした。当たり前です。誰でもがんだって言われれば、慌てて何かに救いを求めたくなるでしょう。でも母は、「できるだけ痛い思いをしたくない」と、西洋医学から逃げてしまったんです。

旦那は言います。「おまえの命を心配するように、俺は、お義母さんの心配もしてあげればよかったんだ」って。あのとき、適切な処置をしていれば、延命できたのかもしれません。今となってはどうしようもないことです。母の乳がんは初期のものでした。地元の病院で温存手術し、千葉市の病院で放射線を数回かけて治療する計画でした。2回くらい放射線を受けた母は、副作用がひどかった。被爆のようなものだって思ったそうです。母は原発事故と放射線を結びつけて考えるようになったんです。そんなとき、親戚(母の腹違いの姉妹)が「東中野にいい医者がいる」って言ってきたんです。

母は、その言葉に救いを見いだそうと、父とすぐに東中野の治療院に通うようになります。母は真から医師を信頼していました。でもがんは徐々に増殖していたんです。それでも数年は無事?でしたが、次第に動けなくなってしまいます。気がつくと呼吸困難にまでなっていました。

もうひとつ母にとって不幸な出来事がありました。母は地元の市会議員を1期務めたんですが、2期目は落選してしまうんです。おまけに妹が、親戚が住んでいる西葛西で一人暮らしを始めたんです。議員落選の強度の落ち込みと妹の心配が重なって、母はほとんど動けなくなってしまいます。

両親は、東中野の漢方医を紹介した親戚の薦めで、苦労して建てた鎌ヶ谷の家を売却。さらにその親戚に1000万円の購入費を借りて、親戚と妹が住む西葛西に新しくできたマンションを購入して移り住んでしまいました。妹も一人暮らしをやめて、両親と一緒に住むようになります。私たち夫婦は自己破産してお金がなかったので、鎌ヶ谷に残されたようになりました。

今でも思い出すのは、両親が鎌ヶ谷の家まで荷物を取りに帰ってきた日です。ちょうどみぞれが降る寒い日でした。母は40年以上住んだ家の前に立ち、売却してしまったその家を寂しそうに見ていました。私は泣いてしまいました。母はそんな私を見て「なんね?」と優しく言いました。ごめんね。お母さん。

母が西葛西に移り住むと、さらに病気は悪化しました。父のサポートなしでは、ほとんど動けなくなっていました。

そんなある日、父が風邪をひいて凄い熱が出ました。すぐに地元の病院に入院しました。父が入院した翌日、今度は母が倒れてしまいました。父と同じ病院に緊急入院した母の容態は最悪でした。病院に駆けつけた私たちに医師は、「肺全体ががんになっています。いつ亡くなってもおかしくない」と言いました。私たちは唖然としました。でも両親は漢方医の意見を尊重していました。東中野の漢方医は「がんではない。かびですから、引き続き漢方治療すれば治ります」と言ったのです。母の精神的な救いにはなったでしょうね。

母は、酸素吸入器を付けていないと呼吸も満足にできなくなってしまいました。病院は親切に対応してくれましたが、母は入院中「西洋医学の薬は飲まない」と言って、漢方医の薬ばかり飲んでいました。医師や看護婦には嫌われていました。病院にいづらくなった母は、自宅で酸素吸入器を借りて治療をするようになりました。しかしその後、また容態が悪化して、同じ病院に再入院してしまいます。その時、お金を借りた親戚が、苦しむ母の病床までやってきて「貸した1000万円を返してくれ」って言ったんです。私たちは怒りました。

旦那は、「病床までやってきて、お義母さんの精神的負担を増やして死期を早めることになったら犯罪だ。すぐに破産した時の弁護士に相談してみろ」って言います。私と妹は弁護士に相談しました。弁護士はすぐに動いてくれて、親戚と交渉に入りました。すると親戚は自分たちのことを棚に上げて怒りました。「なぜ弁護士まで立てるのか?」と逆に自分たちも弁護士を立ててしまいます。最悪でした。そのうちに母は亡くなってしまいます。

母の葬儀の日、葛西の葬儀場に親戚がやってきました。私たちは口もききませんでした。母の義母(私のおばあちゃん)は、よろよろと母のお棺まで歩み寄り「○子、よかったね。もう苦しまなくてもいいんだ。よかったね」って泣き叫ぶんです。親戚は慌てて止めに入りました。おばあちゃんは可哀相でしたね。でも今更どうしようもないんです。

火葬場には親戚のひとりのご主人だけがやって来ましたが瑞江の火葬場に着くと、もう姿はありませんでした。火葬場では、母はすぐに炉に入れられました。母が焼かれる間、私と旦那は火葬場の外に出て、母の「煙」を見に行きました。でも今は煙がほとんど出ないんですね。それでも私と旦那は煙突に向かって手を合わせました。よく晴れた気持ちのいい日でした。